アボリジニに助けられた話(前編)
今日は月に1度更新すると勝手に決めた旅ブログ公開日である。
創作とは己との戦い
否
己との破ってはならぬ大切な約束なのだ。
っと、グダグダ言ってねえでさっさと書けよって話なのだが
しかし、前回の旅ブログから大分ご無沙汰だった為どこまで書いたのかをうっかり忘れてしまっていた。
しばしお待ちを。
過去のワイが書いた記事を遡った結果、時系列で追ってみたらどうやらこれ↑が最新のようなので続きを書いていくことにする。
それでは、はじまりはじまり~
2011年元旦。
ワイは居候させてもらっていたおじさんの家を飛び出し妙にだだっ広くストレートな3車線幹線道路の脇道をそう多くない荷物を背負って大泣きしながら歩いていた。
想像してみてほしい。
もし自分が頼れる人もいない見知らぬ土地で人っ子一人歩いていない歩道をゆくあても無く歩く羽目になったとしたら…
筆舌に尽くし難いとはこの事よ。
踵を返したくなる気持ちを怒りで押し殺し、歯を食いしばりながら1歩1歩足を繰り出した。
そう。後ろは決して振り向かねえってばよ!というNARUTOばりの強い気持ちを持ってだ。(←うるせぇw)
20分程歩いた頃だったろうか。
歩道脇の子供の背丈ほどありそうな草むらをかき分け何かが飛び出しワイの行く手を阻んだ。
「ハッピーニューイヤー!」
という掛け声と共にだ。
涙の止まった目を丸くし呆然としているワイに、その何か改めオーストラリアの先住民アボリジニは先程のテンションと同じ勢いで「ハッピーニューイヤー!」と再度繰り返した。
いや聞こえとるわ!
そりゃあお前にとってはハッピーだろうが誰でもがハッピーってわけじゃねえぞ。
腐ったワイはそんな事を考えつつも、見知らぬ人とは言え声をかけてもらえた事で透明化していた己が徐々に輪郭を現すような、言うなれば世界とreconnect(再接続)したのを感じた。
外国人が元旦早朝から誰も歩かないような歩道を泣きながら歩いていたら、言葉は通じなくとも察する部分はあったのだろう。
そのアボリジニの男の子は飛び出してきた草むらを指さしこちらに向き直りワイに向かって手招きする。
誘われるがまま後について行くと、友達と思われる10人程のアボリジニがサークル状に座り酒を酌み交わしていた。
程なくサークルに加わったワイはあまり衛生的とは言えない薄汚れたプラスチックのカップに注がれた味のしない酒を飲みほし、これまであった一切合切を皆の注目を浴びながらやおら話し始めた。
不思議なもので中学レベルの英語力でも強く伝えたい気持ちがあるとスラスラと言葉が出てくる。
その一切合切の愚痴を聞いた酩酊状態のアボリジニの1人が「行く宛てがないのならウチに来たら良い」と言ってくれた。
渡りに船とはまさにこのこと。
ワイは彼の家に行くことを即決した。
そこからの酒が異様に美味く感じたのを今でもよく覚えている。
続く( ᐕ)
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