道路脇に捨てられていた傘のことを考える。
傘のこというより誰がなぜこの傘を捨てたのだろうということを考えている。

定期的に開催される街の清掃活動に参加しゴミ拾いをしていると、道路植栽にビニール傘がひっそりと捨てられていた。
綺麗に折り畳まれボタンもしっかりと留められているその姿は、ゴミにしては傘としての性格を全く忘れていないように見える。

この傘の持ち主はなぜこんなところにこの傘を捨てたのだろう。

朝までお酒を飲み明かした大学生が無敵になった気分で捨てたのだろうか。
交際相手の家から飛び出した女性がその手に持っていた傘をその勢いのまま捨てたのだろうか。
学校の帰り道に中学生がお互いの度胸を試し合うように捨てたのだろうか。
仕事中のサラリーマンが世界がポンっと爆発することを願い、黒ひげ危機一発の最後の穴に剣を刺すように捨てたのだろうか。

こんな綺麗な傘を道路の脇に捨てたとき、少しの罪悪感と一緒に頭の奥が痺れるような快感を感じたんだろうなと思う。

何もかもうまくいかない日だったのだろうか。
傘の持ち主はその日の朝、テレビの天気予報を見て雨が降ることを確認したんだろう。
それなのに外に出ると誰も傘を持っていなくて、その日結局雨は一度も降らなかった。
そんな小さなことを気にしてしまう自分も嫌になる。
いろんなことがうまくいかない、たぶん。
これまでも、これからも。
だから次の日、天気予報で晴れと言っていたのにきっと雨が降った。
みんな傘を持っているのに彼だけが持っていなくて、湿った空気が身体を包む。
雨に濡れたとき、彼は捨てた傘のことを思い出すのだろうか。

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