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5月読んだもの観たもの

中森弘樹『失踪の社会学』
書籍。とても面白かった。なぜ失踪か、失踪がどのように変化したか、失踪された者たちと失踪した者の話、失踪と責任についてのような流れで(ちょっと記憶が朧げ)、丁寧に積み重ねられながら論が進む。几帳面さの効いた論理の積み重ねが、卒論を書いている時を彷彿とさせる。
失踪の定義や、「失踪」という事象の捉え方の歴史といった、前段部分がかなり面白かった。自由に人と関係を結べるようになったことが、孤独への不安を増大させ、むしろ血の繋がりや、人とのつながりなどを重視させるという調査結果が新鮮で、毒親から自由になれる、なることの重要性がとくと語られることや、所謂メンヘラのことを考えるなどした。なんとなく、自分の中で写真技術の発達や(遡れば鏡でもいい)インターネットの発達、そして資本主義も、それらと深く絡みついていると感じるので、ちょっと探っていきたい……と思った。

ストレンジシード
鳥公園『私の知らない、あなたの声』

演劇。草がいっぱい生えていて、木に囲まれた空間に光が差し込んで、風がびゅおびゅおとふいていて、不思議な空間だった。セリフの間に風の音や外の音が差し込まれてくるけれど、それが溶け合っていておもしろかった。昔大学の教室で観た『髪結の亭主』の空気を朧げに思い出す。
ホナガヨウコ『対角線の交点の求め方』
ダンス。途中で、あ、これはプロじゃなくてきっと参加している子どもたちだ、と気付く。子どもが思っていることを叫ぶ声というのは、それそのものが生々しくて強く、だからこそその反面、それを家族ではないこういう人間が見ていいのだろうか、とか大人が作った作品としてこれを私がここで観ていいのだろうか、という、どことない罪悪感がつきまとう。そわそわした。
dobby/仮説『非有識者会議vol.2』
ダンスと音楽。しばらく観ていて、は、ダンサーの人が下に履いてるの、弓道の女子用と同じ形の袴だ……!と、気づく。帯の部分の結び方の工夫とか、トップスの合わせ方でこんな風に見せられるんだ〜と、新鮮で面白かった。そして打楽器は楽しい。 謎の祭壇もよくって、全体的に楽しかった。るんるん。
コトリ会議『しずおか神経の糸と対話する』
めちゃくちゃ、テレビを屋外に置いて、リモートで人形劇のような、不思議な、不思議な演劇を観た。逆光で画面がみにくかったので、目を凝らして凝らしてそれでもみんなゲラゲラ笑いながら観た。緊急事態宣言で来られなくなったということや、オリンピックの状況がいじわるに織り込まれていて、これくらい意地悪だともう楽しくなっちゃうね、と陽気になった。愉快だった。
ロロ『ちかくに2つのたのしい窓』
演劇。2つの会場で、それぞれに俳優がいて、実際にzoomで繋いでお芝居をして、最後にはなんとその画面の向こう側に行っちゃう、という結末にどきどきした。去年の5月とかの本当に、zoomの向こう側の人々に全く会えない時期に、逢えないその結末を観ていた時のことを思い出して、その、逢える結末に、寒天ゼリーを一緒に食べることができる結末が、その地点から今に至る時間を感じさせて、不思議な体験だった。
大熊隆太郎『Team Walk』
パントマイムパフォーマンス。ランナーのような格好をしたパフォーマーが最初空間に入ってきた時の、えっ、知らない人はいってきちゃった、みたいな揺らぎ、その後のパフォーマンスのリズム、観客が足踏みをすることで地面から立ち上がることができるパフォーマーなど、次々に展開していきながら、観ていて単純に身体が楽しいと感じるパフォーマンスだった。結構最近実感するけれど、よく鍛えられ訓練された身体の動きというのは、それ自体で充分人を圧倒させるんだな、と思う。

芹沢銈介美術館 のれんときもの
とてもよかった! 四季スタンプラリーもらったから、せっかくなら行きたいな〜と思う。

SPAC『アンティゴネ』
演劇。過去の上演写真を観て、観たいな〜〜〜〜と思ってチケットを取った。配られていたパンフレットにあった、アンティゴネという作品への解釈や、ギリシア悲劇を演出する際の意図など、面白くて、なるほどなと思いながら観た。セリフをいう俳優と、身体を担当する俳優とが、ばらばらの人であるというのは意外とすんなり観られるものなのだ、と面白かったし、『バッコスの信女ホルスタインの雌』を観たときにはわからなかった、コロスのあり方も徐々にわかってきた気がする。ギリシア悲劇に徐々に興味が出てくる。
死んだ後に、鬘を外すところが面白くて(最初に鬘を割り振られるところも)、輪廻をこのように表現できるのか、と、思った。

マーロン・ジェイムス『七つの殺人に関する簡潔な記録』
小説。ラリった頭の混濁した文章がかっこいい。訳している人はどんな気分で訳したのだろうと思う。しょっぱなのバンバンの語り口や、混乱したときのニーナの文がめっちゃ千鳥足でかっこいい文章。
と言いつつ、めちゃくちゃに長くてGW中に読み終わらなかったので、後半まだ残ってる。来月中には読み終わるといいな。

堀越耕平『僕のヒーローアカデミア』1〜30巻
漫画。「才能と…血筋の話なので……よんで…」という友達の後押しに従ってようやく読んだ! とても面白かった。出てくる人間の書き込みが丁寧で、一人ひとりのことがとても好きなので、絶対に今後酷い目にあって欲しくなさすぎて、今からハラハラしている。
ヒーローとその人気が社会と絡み合うというテーマ、アメコミで結構じっくりやられているのかなというイメージがあるが(映画の『ダークナイト』と漫画の『ウォッチメン』くらいしか触れていない人間なので)、それがすごい、すごいバランスで描かれている。自己犠牲によってそのヒーロー自身がボロボロになることや、そのヒーローの周辺の人々が傷つくという描写の巧みさ、親子関係のバランスや才能の種を持つか持たないか、それをどう育て付き合うのか、などあらゆる面白みが、いろんな角度から照らされていて、緻密に面白い……。ほんととてもいい作品。

『ヴィジランテ』1〜100話
漫画。ヒロアカのスピンオフ。メインでは話を引っ張るためにある程度の派手さを保って話を進めているけど、スピンオフではその派手さのないところでしかできない面白さみたいなものがあって、スピンオフとしてスピンオフの面白さが極まってて良かった。さいこう……。スピンオフのメインキャラ3人は本編には全く出てきていないキャラなのもマジでいい。
あとは、単純にイレイサーヘッドが好きなのでスピンオフにたくさん出てきて嬉しい。スーツを着ているシーンで、今後謝罪会見にも出るかもしれないじゃない!!って言われている、みたいな細かい本編とのリンクで、にへにへする。ファットガムもすごい好きなので、良かったな〜〜。

クリストフ・コニェ『白い骨片』
書籍。強制収容所に関する写真についてまとめている。私の中には、まだこの間読んだプリーモ・レーヴィの『これが人間か』の記憶があって収容されている者が写真を残すなど、できるのか…、という思いがあったが、その収容所の性質、そして何で収容されたかなどで結構変わるのだろう。ユダヤ人か、ユダヤ人ではないかで大きく扱いが変わると、レーヴィは記していたが、それを実感した。
あとは、スーザン・ソンタグの『他者の苦しみへのまなざし』を読んだあとでよかったなと思う。戦争による惨状を映した写真についてのあれこれ考えたのちに読めたので。
レーヴィの文章を読んでいる時に考えたり、『なぜならそれは言葉にできるから』を読んだ時にも思ったが、なんとか伝えたり証拠を残したいという考えがそこには発生したのだということをもっと掘り下げてみたい気がする。

coten ラジオ
垂れ流して聴いてたら、人間についての興味の話が飛び込んできて、思わず聞き直した。
出来事の歴史より思想史の方に自分の中でバランスが寄っているのだけれど、歴史の面白いところって、自分の知らない価値観にぶん殴られるということはまじでそうだ!と思う。

『「利他」とは何か』
書籍。利他というものを考える時、「私」が他に与えようとするのだ、ということを考える必要にさらされるので、私と他について考えることになるのだというのがなるほどだった。
論文の並び方が徐々に現実的なところから深みに踏み入っていくような感じで面白かった。
伊藤亜紗「「うつわ」的利他」
『介護する息子たち』という本で、弱者を支配せずに弱い者として尊重することができないといけない、ということが書いてあったのをおもいだした。十分に検討されない親切は暴力にもなりうるので、うつわという概念すごい、と思った。
中島岳志「利他はどこからやってくるのか」
ヒンディー語のあたりが、『中動態の世界』で言われていたアレと同じっぽい?って感じでわさわさした。業が、何かどうしようもない大きな力、と思っていなかったので、そういうものなのか、と再認識した。あと、すごく心地よく読める文章だった。
若松英輔「美と奉仕と利他」
面白かった! 先週、芹沢銈介美術館で、彼が柳宗悦を師としていたというのをみて、民藝きになるな〜と思っていたがこういう形で再会するとは!!だった。
國分功一郎「中動態から考える利他」
『中動態の世界』の内容の先に進んで、責任についての言及がされていたのが面白かった。ギリシア悲劇、みたばっかりで、徐々に興味が湧いていて(その演出も神と人間との関係性に言及されていて)、もっと踏み込んでみたい気がする。
磯崎憲一郎「作家、作品に先行する、小説の歴史」
書いてあることの中に、数人の作家が出てくるのだが、そもそも私が好きだったり、私が好きだなぁと思っている人が好きだったり、という作家が多く、頭の中の有象無象が一つの網に捉えられてザザァーっと引き揚げられるような快感があった。三崎亜記とかも好きなのだけれどそういうどこかに迷い込んでしまう心地よさを思い出した。

神崎宣武『聞書き 遊郭成駒屋』
書籍。著者が中学生くらいの時はギリギリ遊郭があったが、研究をし始めた頃には無くなっていて、それらに関わっていた人や残存したものを手掛かりに、遊郭の姿を解き明かしていく本だった。遊郭が女郎を縛るあり方は、今の価値感で測ってみると酷いものだが、自分はその時代に生きていた人間ではないので、なんというか何もいうことができない、と思う。
どのようにそこに人が絡んで、存在していたのかというのがわかって、郭話とかはこういうものが背景にあったんだなぁと思うと、不思議な感じがする。

和山やま『女の園の星』2巻
漫画。めっちゃ好き。まじこの温度のギャグずっと読める。和山先生の絵とこのギャグのトーンのバランスがやばすぎると、友人と話す。

高橋那津子『昴とスーさん』1〜4巻
漫画。Kindleでハルタコミックスにセールかかっててちょっと気になってたやつ買ったら、面白かった。普通に続ききになるから、新刊出たら買う〜。

プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』
書籍。やっぱり本によって見えるものが全く違って、レーヴィの著作は読みながら読みて良かった、という感触がある。ラーゲルについて書く、ということについてまず書く、という姿勢や、それを踏まえた上で書くという姿勢に、そう思わされる。こういう風にものを見る姿勢を尊敬する。生き残ることの苦しみについて書いてあり、その彼の生涯を思わずにはいられない。
まだ、他の立場で書かれたものはあまり読んでいないので、いくつか読んでみないとなと思っている。

岡崎京子『I wanna be your dog』
漫画。岡崎京子の作品は、読んではいるけどすごい刺さるという実感はない、くらいの温度感でいくつか読んでるのだけど(書かれた当時に読むことが大事な作品群なのかもしれない、と、リバーズエッジの映画版見た時に思った)、結構これは好きだった。リアリティーない方に振り切れる気持ちで読めるからかも。

『いちばんやさしいグロースハックの教本』
書籍。3年目にもなると、そこそこちゃんとインプットせねばという気にもなるのだ、というのをひしひしと感じているため、仕事に集中できなくなったら合間に読む、を繰り返した(家だと集中できないし、これなら罪悪感が減るのでメンタルヘルスに良い)。
巧妙に練り上げられた知識がビジネス界にも脈々とあるのだなと思うが、なんでもでかくして拡散し最大にしていくことが善なのだという価値観にちょっと心がやられながら読んだ。反動で雨ニモマケズとか朗読したくなる。
(でもわかりやすくて便利な本ではあります)

茨木のり子『自分の感受性くらい』
詩集。これは、父親が昔なぜか買った詩集で、ちょっと高くて良いケーキを二口で食べてしまうような無粋な人間が、詩集なぞ買うのか!!とにわかには信じがたいのだけれど、確かに父が買ったらしい(高いチョコレートの粒もぱくぱく食べずに味わってほしい)。表題作しかペラペラと捲って読んだことがなく、全部通しては初めて読んだ。
思ったよりいたずらっぽく笑っている感じの作品が多くて、ほかの詩も読んでみたい気持ちになった。言葉のリズムが心地いいものや、皮肉なユーモアのある作品が好きだった。

ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』
書籍。レーヴィの『これが人間か』と『溺れるものと救われるもの』を読んでから、読んでよかったなと思う(この本では溺れるではなくて、沈む、の訳がされていた)。
自らについて語ることのできない回教徒に代わって生還者が語るという、アウシュヴィッツの証言を引き金に、論が展開していくのだが、その巧みさに読みながらどんどん脳みそが回転する。アウシュヴィッツに関する書籍や、現象学にまつわる興味、『中動態の世界』などがガシャガシャと頭の中で動き、未踏の領域への踏み込み方がちょっとわかった。ニーチェとか今まであんまり手触りを感じられていなかったのが、脳内地図のどの辺に設置すればいいかがわかった。
読みたいものがどっと増える。本当はわかった気になっているだけなので、なるべく発話とかでアウトプットして固めて詰めたいけれど、なかなか機会がない。
そういえば、アンティゴネで演ずる者と発話するものが分かたれていることや、能でシテのセリフを皆で発するというのは、こういう、こういうことかー!!という気にチラッとなった。
1〜3章まではなんとかついて行ったけど4あたりで自分の力の足りなさを実感したのでもっと色々読む。

ポイエティークRADIO
この回とても良くて、A子さんの恋人のくだりとか、うわぁ、たしかにそうかもと思うし、村上春樹の言っていた、村上春樹の小説を書く理由などを思い出した。
ポイエティークラジオの影響で興味が湧くもの様々。今更ながらクイーンズギャンビットを観ることにした。遡ってラジオを聴いていて、そろそろ聴き終わる。

オフィスコットーネ『母』
演劇。女は家にいるもの、男は外にいるもの、の対比が強くて、いちいちセリフに引っかかっちゃうな〜〜みたいなところあったが、そもそもが1900年初頭の戯曲なので、そんなもんだよね〜〜と思いながらみた。最後の展開からみると、その対比自体も皮肉だなと思ったから、もっと皮肉っぽい演出の方が今の時代は見易かったのかな、と思うけれど、前半に本気で言ってるっぽいからこそ、後半の対比とかが面白いか、という気もする。
後半にかけてぐいぐいぐいと盛り上がってきて、同じことで押し問答し続けるエネルギーが面白かった。

『クイーンズギャンビット』
Netflixオリジナルドラマ。衣装とか家具とか壁紙とかすんご〜〜セットすんご〜〜と思いながらみた。結構1話ごとにノリとか演出の雰囲気違うけど(チェスの魅せ方のバリエーションよ)、きちんとどのシーンも同じ作品に観える〜〜なんかすご〜と素人目に思った。そう観えるだけなのか?
攻撃型で、何かを犠牲にしながらも勝つというベスのチェスのスタイルが、話とリンクしているのは明らかなので、チェスがわかったらもっと面白いのかもな、と思った(でもわたしは『ヒカルの碁』も『3月のライオン』もノリで読むような人間なので、そこの理解は諦めました…)。でももう演出が巧みなので、それは本当にカバーされてる。
2人目の母との関係性好きだった。母すぎないところと母である部分のバランスが、よかったな〜。ジョリーン役の俳優さんもめっちゃかっこいいし、最後の決戦の天井の演出もイカしてるし、最後の決戦のメイクもめっちゃ良かった。

赤瀬川原平『新解さんの謎』
書籍。科学信仰のない頃の文という感じがちょっとして気持ちが良くなった。もっと適当なことをたくさん書こうと思った。この日、鎮座DOPENESSずっと聴いてたので、酔拳のような文章を書きたい欲が高まる。

松本直也『怪獣8号』1〜34話
漫画。ジャンププラス内のポップアップにつられて読んじゃった。こういうアクション表現一番気持ち良くて好き、といったタイプの漫画だった(加速感と溜めなのか、なんだかようわかってないけどワクワクする動き)。これも毎週チェックして読むか〜〜ってなってる。

野田彩子『ダブル』1〜4巻
漫画。4巻の一番最後の話だけ未読で、それ以外は毎月公式サイトで読んでいたのだけれど、4巻を買ったのを機に読み直した。
思った以上に、2人の関係性の異常さがはなからあることに、驚いたり、結構ずっと友仁さんは嫉妬をしているということや、多家良は内側の友仁さんと会話をするという傾向を改めて見直して面白いなと思ったりした。

楳図かずお『漂流教室』1〜6巻
漫画。読みながら、人間とはなんと醜い………と結構落ち込むのだけど、お母さんが強すぎて、たまに突き抜けて面白い方に転がる(わたしだけでしょうか)。でも全体としては基本落ち込む!
ギリギリの環境下の人間のパニック、あまり好きではないのかもしれない。バトルロワイアルとか、デスゲーム系もそんなに惹かれたことないし。

「DOORS」
演劇。大道具が組まれた大きな舞台をあまりみにいくことがないけれど、人と行くことで観に行った。結構面白かった。
車に乗っていることを示す演出が面白くて、みなしの力がふんだんに使われていたが、そのみんなで見えないものを見ていることを舞台の側から明かされると、やはりみんな笑うんだなと思う。

黒田夏子『abさんご』
小説。ひらがながたくさんで、文章の調子が面白い本だった。目を閉じて、手で触って物を確かめていくような読み心地で、なにが指し示されているのかにゆっくり気付いていく。
調子がつかめれば、けっこうサクサクと読めた。併録されている鞠、タミエの花、虹を読みつつ、けっこうちゃんと同じ人が書いた匂いがする、と思う。これらの作品と表題作との間には、半世紀の時があるが、三つ子の魂百までとよく言ったものよ〜と思う。

萩尾望都『イグアナの娘』
漫画。むかし、多分中学生くらいの時に『トーマの心臓』を読んで、あんまりピンとこないかも、と思って以来、萩尾望都を読んでこなかったのだけれど、こんなにしっかりと刺さる……と思いながら読んだ。やっぱり年齢とか、時代とかあるのだろうな……と思う。作品と出会うタイミングは重要なのだ。なんとなく、『失踪の社会学』を読んだときに、不倫をして家を出ていく妻の図式があったというのを読んで、『岸辺のアルバム』(妻が不倫をする気配のあるテレビドラマ)を思い出したけれど、そういう流れの上にこの作品はあるのだろうか、と思った。けど、イグアナの娘は1990年代の作品で思ったより最近だった。

「女が5人集まれば皿が割れる」
展示。タイトルが秀逸でビラのデザインもかっこよかった。展示もよかった(日記に書いた)。
カフェが併設されていて、いい雰囲気だった。

星野源の結婚にまつわる、オードリーANNと星野源のANNを行き来して、ふひひ、となる。
『YELLOW MAGAZINE』も届いたので読んだ。ハッピーな気分。

アゴタ・クリストフ『悪童日記』
小説。ぺろりと読める。そのぺろりさらりとした淡々とした語り口に対して、内容はぎっちりとつまっている。戦時下のおそらくハンガリーが舞台となっていて(作者が明示していないが、訳注にたくさん補助的に書いてある)、ちょうど最近強制収容所にまつわる手記などをたくさん読んでいたので、同じ時期の別の面だ、と思いながら読んだ。
自分の知らない時代の、世界のことがじんわりと頭の中で緻密に緻密になっていくのを感じている。訳者後書きのアゴタクリストフの経歴を読むと、なんて様々なことがあった波乱の人生なのだ、と思うが、この時代にこのような波乱を生きた人は数知れずいるのだというのが、前より身体感覚としてわかってきた。
続編あるらしいので、よみたいな。

アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』
小説。『悪童日記』の続編。いろいろあって、段ボール一箱分の蔵書をセレクトしてもらって、それを借り受けており、『悪童日記』もその一冊だった。貸してくれた人の行動を想像するに、きっと続編もこの段ボールの中に詰めてくれているはず、と思って探したらやっぱりあった。
『悪童日記』は双子が書いたもので、かなり抑制された文体だったのだけれど、『ふたりの証拠』はいわゆる普通の文体に近く、物語の土地は同じなのだが、頭の中での物語の立ち上がり方が全く異なっていて、何やら不思議な感じだ……、と思う。物語が1作目とは全く別のものになっている感触があるが、徐々に、同じ物語であると飲み込めるようになる。
良い意味でも悪い意味でも強靭だった双子が、弱々しく感じられ、物事が全てどこか物悲しい雰囲気に浸されている。前作とはまた違う面白さだった。

赤坂アカ×横槍メンゴ『推しの子』1〜43話
漫画。絵が、絵が絵が可愛い〜〜〜。しかも、めっちゃ変わった設定を土台に敷いて(タイトルの意図!!)、ハイパーメディアミックス業界漫画を展開〜〜よだれが出る豪華さやんけ〜おもろ〜〜になってしまった。目の中にめっちゃ星あるの、超可愛い。

アゴタ・クリストフ『第三の嘘』
小説。『悪童日記』三部作の3作目。なんてことだ!一人称じゃん!となる。ふたりの証拠は三人称で書かれているから。またトーンが変わる。3作を読み通すことがすごく面白い読書体験で感激する。最近小説読むのサボってたけど、やっぱり小説って面白いのだ……(積んでるドストエフスキー読みたくなってきた)。脳裏にはマーティン・マクドナーの『ピローマン』などもよぎる。こういう話がとても好きだ。

ジーモン・ウィーゼンタール『殺人者はそこにいる』
書籍。戦後、逃亡していたナチス幹部などを調査し、追いかけていたウィーゼンタールの手記。教科書的にはこんな、大変に良くないことがあり、それを裁くための裁判があり、つらつら、というように書かれているが、実際にはナチの肩を持つ人間がいたり、自分の利権などを守るためにわざと見ないフリをする人間がいたり、混乱に乗じて結局法で裁かれなかったり、こうも人間はただ人間が傷ついたということに対してきちんと行動ができないのか、という事実が書いてあって、落ち込む。
どこで、だれが、どのようにして、殺されたのかということの明確な記録がないというのが至る所にあるのだという事実もこの本を読むとよくわかる。公的になされた調査では十分とは思われない、とこの本を読むと感じる。他の本で違う角度から見る必要はあると思うが、あまりに混乱しあまりに膨大で、そして全く別の問題も勃発していく状態だったのだろうと思う。
あと、建前として存在する法というか、責任の問題とか、そういうものの意味がわたしの中ですごい理解されてきた。ソクラテスはなんで自分の死に際しても落ち着いて受け入れたのか、謎、と思っていたが理解できてきたような気がする。

魚豊『チ。』1巻
漫画。友達と喫茶店で話していて、そういえば『チ。』ってどんな話なん〜〜?となり、ならここで1話読んでみなよ〜とタブレットを借りてさささーと、結局1巻丸々駆け足で読んでしまった。
漲る系だった。元気ではなく、人間の気持ちが、漲る感じ。ベチャァ〜って。完結したら読むかも〜と思う。

ゆうめい『姿』
演劇。初演時は台風に阻まれオンライン視聴したのだけれど、今度こそ!と生で見た。2019年の時のわたしと、2021年のわたしとではかなり家族に対してや、労働に対して、社会に対する考え方が違くて、それによって見方も全く変わったと思う。例えば両親の親ではない面についてや、祖母の祖父への不満や、会社で働くことのままならなさや、働かねば食ってはいかれぬのだという実感などである。話も知っているので1回目より距離を持ってみたきがする。
今回はその舞台装置の面白さみたいなのに、目を開かされた。プロポーズのシーンで母・若父、若母・父の並びで座っているところなんか、すぎてしまった時間というものがぎゅぅーと出て、たまらない。
最後のゴミ拾いのシーン、とても好きなのだけれど、若父・若母が、ホウキで履き、弟がちりとりで掃除をしているのがよかった。なぜなら、若父・若母は、弟の父母でもあり、弟は池田さんの役を演じてもいて、そういう親子が共に掃除をするというのもあるし、弟が受けた掃除の時間のいじめ(ちりとりで参加するが、参加させてもらえない)の別の形がそこにあるからだ。その時のいじめをする生徒も、若母若父なので、全部がオーバーラップする。
帰り際に会場で、たくさんの知り合いにあい、偶然もあり、楽しかった。

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