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読書日記 「バカの研究」

noteの「良いサービスを考える会」で、「バカの研究」という本をオススメいただき読了。

本書は、あきれるほどおバカな本だ。なぜなら「バカとは何か」という問いを、ノーベル賞受賞者(ダニエル・カーネマン)ら世界最高峰の頭脳達にぶつけた、インタビュー集だからだ。

世界の英知を結集して、エベレスト級のバカを定義するという、あまりにもリソースを無駄遣いした本といっても過言ではない。とてもフランスっぽいエスプリのきいたバカである。

各人ごとに異なるバカの定義を、あえて総括すると……バカとは自信たっぷりで、自らの過ちを疑わず、意見を翻さず、周囲を巻き込み、ひどく迷惑をかける存在であり、知性やIQとは関わらず発生するモノらしい。


SNSにおけるバカ

本書はバカを多面的に観察したバカの万博であるが、特に面白かった(noteの設計に役立ちそうだった)のは、フランソワ・ジョストによる「SNSにおけるバカ」の章。

ジョストによれば、SNSはバカの生産マシーンとして、3つの特徴を持つ。

・人間の生活がスペクタクル化されること
・なんでも裁こうとする傾向
・存在意義のために有名になろうとする欲求

SNSでは、あらゆる人生は、表層だけのスペクタクルとして消費され、「行為そのもの」よりも「どうみられるか」が中心となる。

当事者と傍観者はモニターにより隔てられ、安全に見物できる見世物となってしまう。距離の遠さは、万人をコメンテーターへと変え、侮辱や捌きをカジュアルなエンターテイメントに変化させる。

そして有名になろうとする欲求は暴走し、当事者は冷蔵庫に飛び込み、ビルから飛び降り、拳銃で自分を撃って死ぬ。一方で傍観者は、カジュアルに人々を断罪し、書を燃やし出す。

バカはバカだから、やっていいことと悪いことの区別がつかない。仮に区別がついても、バカだからその場のノリでアクセルを踏んでしまうのだ。

条件を見る限り、自分も立派なバカたりえる。


みんなちがって、みんなバカ

どうも、こういったバカな行動は、知的レベルとは関係なく発生するらしい。つまに、誰もがバカからは逃れられない。みんなちがって、みんなバカ。万バカの万バカに対する闘争なのだ。

…ということは、バカをとりまく問題は個々人の努力で解決すべきではない。システムによってこと、解決されなければならない。


バカとの戦いは、プラットフォーマーがシステム的な実装で、

バカの気の迷いを防ぎ、

バカにわかるように説明し、

バカを正気に戻し、

バカの行動を思いとどまらせ

バカの拡散を喰い止め、

バカの失敗をアンドゥ可能にし、

バカに更生の機会を与えるなければならない。


誰もがバカに感染し、ゾンビのように拡散するのならば…システムやサービス設計こそが、バカの発生を軽減しなければならない。自分は、意志の力で自分をバカでなくできるじしんがない。


…ということを、思いました。ちなみに、同インタビューに出たフランソワ・ジョストの「デジタル時代の行動における悪意」は、まだ未訳らしいので、日経さんなりハヤカワさんなりから翻訳がでるといいなぁ。


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