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From 大阪のおばちゃん To 寡黙なマスター

アプリサービスにおいて、閲覧やコミュニケーションの順番をどう考えるべきか。

ユーザーの閲覧行動、あるいはそのためのリコメンデーションには段階がある。水が上から下に流れるように、まずは大阪のおばちゃん的なコミュニケーションから始まる。


大阪のおばちゃん

なんか勝手に野菜勧めてきたり、アメちゃんくれる。向こうが良かれと思ったものを、グイグイとオススメしてくれる。嬉しい人には嬉しいが、苦手な人もそれなりにいる。

サービスでいうなら突然飛び出すポップアップや、ファーストビューでのバナー、PUSH通知だ。

それでも解決しなければ…


回転寿司

なんかいい感じのものが、いい感じの流れてくる。場の雰囲気で流れてくるものがチューニングされることも。

これは無限に続くタイムラインなどがあたる。

それでも解決しなければ…


バイキング

色々置いてあるので、自分で好きなものを盛り付けてご自由にどうぞ。

サービスではカテゴリ一覧、特集という形で提供される。

それでも解決しなければ…


寡黙なマスターに聞く

自分から店長に聞く。適切な質問しないといけないのです色々と怖い。

これは検索フォームなどである。


多くのアプリでは、ボタンやタブの配置や優先度は上記のような優先度を持って行われる。上のレイヤーで解決しない時に、下のレイヤーが呼び出される。

 

このような理由から、僕はわりとVOICE UIの普及に疑念を抱いている。音声で命令を出すという行為は、「寡黙な店長に聞く」のレイヤーだからだ。

このレイヤーは最終防衛ラインだ。色々な仕組みで解決しなかった人々を救済するためのものである。つまり限りない万能性、汎用性、柔軟性を求められる。未来への技術投資としては必要だが、直近でこのレイヤーを包括的に解決できるのはFANGクラスでも難しいと思う。


個人的には寡黙なバーのマスターのようなコミュニケーションは好みだが、それが生み出すのは静かで閑散とした空間であるように思える。

なんか仲良くなってしまう、そんな大阪のオバチャンUI。たまにウザいこともあるけど、憎めない存在だし、実際助かってる。そんなものを僕たちはちゃんと作れているだろうか。


いただいたサポートは、コロナでオフィスいけてないので、コロナあけにnoteチームにピザおごったり、サービス設計の参考書籍代にします。