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人間三衰

 五時に目が覚めた。そして、こんなに早い時間に起きる必要はなかったと思い、ふたたび眠りにつこうと布団をかぶった。前の勤務先―四年間勤めたーに通っていたときは、場所の都合上、朝五時に起きなければいけなかったので、仕事が変わった今でも時々その時間に目が覚めることがある。
 
 わたしは幼いころから早起きが苦手だった。というか、今までの人生、睡眠に関わるあらゆることが苦手だったのかもしれない。起きてしばらくは目は三分の一しか開かないし、うんかううんしか言えないし、とても機嫌が悪い。寝起きが悪ければ寝つきも悪い。ベッドの上をごろごろ転がったり、布団をはいだりかぶったり、そうしてようやく眠れたと思うと、だいたい二時間ごとに目が覚める。反対に、昼寝をはじめるとそれが夕寝になっていることや、試験や会議などで集中しなければならない、眠ってはいけないと強く思った次の瞬間にはそれらが終わっていることがしばしばある。
 つまり、世の中のだいたいの人が眠っているときにわたしは起きていて、彼らがせっせと動いているときにわたしはうとうととしてしまうのだ。それだからときどき、「眠り姫」と呼ばれてしまう。眠り姫。姫。姫か。悪くないな。いや、眠っていてばかりでまるでお姫様のように何もしないやつと思われ、遠回しに嫌味を言われているのだから、何とかしようと思わなければ。

別のときには、「あなたはお人形さんみたいねえ」と言われる。この場合の人形は、フランス人形やリカちゃんやバービーではなくて、市松人形のことを言っているのだろうと思う。わたしの髪の毛は生まれつきの直毛で、それが一番楽だからという理由で前髪もうしろの髪も切り揃えている。艶やかな黒髪を「髪は烏の濡羽色」といって褒めそやすが、わたしの髪の毛は少し赤茶けているので、濡羽色というよりも黒檀といったほうがいいだろう。黒檀色のまっすぐな髪の毛に、そこそこ白い肌をしていて、笑顔よりも真顔でいるほうが好きでいるので、確かに市松人形なのだ。
 姫でも人形でも、わたしはとりあえず喜ぶ。だってお姫様もお人形様もかわいいものだから。女の子はみんなかわいいものが好きだから。その言葉の裏に別の意味が含まれていたとしても、わたしはうれしい。

 けれど最近わたしは考える。顔にできたにきびが治りにくくなってきた。少しぶつけただけですぐに青あざができる。手の甲のしわが多くなってきたような気がする。天人五衰ならぬ人間三衰か。老いるのがおそろしい。年をとってしまったら、わたしのことをお姫様ともお人形様とも人は呼ばないだろう。それがわたしはとてもおそろしい。おそろしくて死にたくなってしまう。だってわたしはかわいくもないし、美人でもない。よく眠るから眠り姫、まっすぐした黒髪をしているから人形と言われるに過ぎないのだから、それがおばさん、おばあさんになってしまえばそれはただのよく眠るおばさんで、まっすぐした黒髪をしたおばあさんなのだ。もしかしたら白髪のおばあさんかも。

 深夜二時、枕につるつると黒髪を広げて、このまま眠るように死んでいけないものかと考えると、今晩もなかなかうまく眠りにつくことができないでいる。


大学OB有志小説集より

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