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余は如何にしてフェミニスト(仮)となりしか。その1 〜原風景

「余は如何にしてフェミニスト(仮)となりしか」
という大時代的なタイトルに掲げられた「フェミニスト」。

しかし、フェミニストの定義は人により若干異なる。

誰かにとって、
僕はフェミニストであるかもしれない。

しかしまた、
他の誰かにとっては
僕はフェミニストとして認められないかもしれない。

はたまた、「フェミニスト」という概念を超えた
何者かであるかもしれない。

そんな思いを込めて、「(仮)」をつけた。

この文章を書こうと思った時、
そして実際に書いている今、
僕はとても楽しい。

楽しい気持ちで書き綴れる幸せを今、
噛み締めながらこの文章を書いている。

原風景


心に浮かぶのは、北国に小さな街の小さな借家である。

僕は幼稚園児か未就園児で季節は冬。

父と母の間で諍いが起こっている。
その原因は幼い自分にはよくわからない。
父が、その抱えた大きな怒り
(その大きな怒りは残念な事に息子に受け継がれた)、
そして「自分が稼いでるんだ」という思いあがりで、
終始一方的かつ威圧的に怒鳴り散らしている。

その時感じた恐怖と生理的な嫌悪感。

それが「男性」に対する感情のベースになっていると思う。今も。

そしてもう一方、母親に対して感じた
「今、自分は小さくて力も弱いけど、
僕はママの味方だよ」
とういう思い。

それもまた「女性」に対する感情のベースになっていると思う。

そう、今でも。

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