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ノラカドウ_発見14 マッスに出来心!なのかも?

まあ事情は分かりますよ。これ残しておこうという判断があったわけでしょう。というか面倒くさかったって事なんだろか? 巧まずして「面倒くさ」という人為が入り込んだ造形ってことかもね。で、気になるのはこの木を切ったヒトの意識。どこに鋸をあてるか?ってところ。まあ切り易いところで切ったんでしょう。そもそも面倒くさいんだから。でも中途でなにがしかの出来心が沸いてしまった!? 特に右側の入り組んだあたりをスパっと行かなかったのは何故?それは「造形が刺激となって出来心が生まれちゃった」ということであれば興味深い。まあアートなんて出来心を繋げたり定着させたりってのが実体だ!と考えればココは切らんでおこうっていう判断(出来心)をさせたものが、きっとこの部分の造形に有ったのでしょう。ちなみに「ココは節っぽいから硬そうだ。じゃパス!」って説も否定しません… で、事の真偽は分かりませんが結果としてこの造形が金網中に残されて、それを面白がる別の人間が現れて… という具合に「面白がる」が不連続に続くってのが良いと思うのです。造形にテーマとか主題とか意味とかそういうのを込めるなんて野暮でしょ。造形が先んじていてそれが勝手に意味を想起させてしまう・行為を誘導してしまうみたいな事の、混じりっけの無さみたいなのが粋ってもんでしょ。ちなみに出来心とスケベ心は違うので、ここ要注意ね。 というわけで、これがノラカドウかどうかはどっちでも良いです。でもひとまずノラカドウに認定しておきましょう。この辺はいい加減でいいんです。ちなみに、自分はこの造形の「重さ」もしくは「軽さ」が気になります。それって「マッス」って話なのかも?この塊の重量的な具合に私の回路がなんか反応しております。

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