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寅さんみたいになりたい人と、10年の月日
ことあるごとに寅さんみたいになりたいぜと言っている友人がいる。苗字が後藤だから「ごっちゃん」。
ごっちゃんは学生時代、富士見荘という木造アパートに住んでいた。風呂がないので毎日銭湯生活。銭湯がいかに素晴らしいかをわたしに教えてくれた。
着ているのはいつも適当なTシャツと、ボロボロでぺらぺらのピンクのビーサン。久々に会った時にちゃんと靴を履いているから、あれビーサンは?と聞いたら、ついに破れて仕方なく靴を買ったらしい。
ご飯を一緒に食べればだいたい店の人から一杯飲む?とお酒をご馳走してもらえる。こんな格好してるから可哀想に見えるんじゃねえの、って。
そんなごっちゃんは、大学を卒業して福島で記者として働き始めた。夏休みが長い仕事がしてえなあとよく言っているけど、誰とでも気さくに話せる雰囲気だし、記者はかなり向いているんじゃないかなと思う。
「面白いおっちゃんが沢山いてさ」
「漁師のおっちゃん、かっこいいんだよなー」
「相馬野馬追(そうまのまおい)っていう祭りがあってさ、この土地の人はみんなそれに命かけてんのよ。絶対見た方がいい」
「なんでおっちゃんが理不尽にこんな思いしなきゃいけねえのかな、ほんと許せねえよ」
連絡を取ればいつも(なぜか大体はおっちゃんの視点から)福島の人の話をしてくれる。
ことあるごとに寅さんみたいに生きたいと言ってるけど、実際に土地に根ざして人の気持ちを汲んで人とかかわっている様子を見ていると、もう十分やってるじゃん、と思う。
2012年に復興事業のみちのく潮風トレイルの調査員として青森から福島までを歩いてまわったごっちゃんは、震災後10年になる今年、NHKスペシャルの企画を担当していると教えてくれた。
放送日時:2021年3月9日(火)22:00〜
2011年の3月ごろといえば
その話を聞いて、そうかもう10年なんだ、と思う。10年前は高校を卒業して上京するというタイミングだった。大学の入学式はなくなりそれとなく授業が始まった。大学7年目の人(大学5年生以上があることを初めて知った)、スーツを着た社会人、他大学の人などがもぐっていたオープン授業。得体のしれない人ばっかりでめちゃくちゃビビった記憶がある。で、震災後というのもあってかなにかしら社会的な活動をしている人がとても多かった。
なにかしなくちゃみたいな雰囲気がキャンパスにはあって、授業を一緒に受けていた人たちとはこれからの生き方やら価値観についてよく語らった。講堂前の階段に座り、コンビニで買った酎ハイを飲みながら夜まで話した。
その頃からずっと、人と関わるってなんだろう、社会と関わるってなんだろう、働くってなんだろう、何がやりたいんだろう、豊かに生きるってなんだろう、みたいな漠然としたもやもやがずっと心のどこかにあった気がする。
10年という月日を経れば、調子がいい時や悪い時、満足してる時期やもやもやしている時期、いろんな時期があって。留年や留学、転職や引越しもしたし、なにがしたいんだっけと考えては、わからないままにもがいてきたと思う。
そもそもすぐにこたえを出せるものでもないし、別に出す必要もない。それにやりたいことなんて曖昧かもしれないけれどとっくにあって、多分手段にもやもやしていたのかもしれない。
そんなことをぐるぐると考えながらも、まだまだ一向にわからないことばかり。こたえを無理に求めるんじゃなくて、今は友人やいろんな人と過程を共有していくこと自体を大切にしたいなと思っている。
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そうそう、個人的に3年ぐらい前から編み物にはまっていて、1日の中に少しでもものづくりに没頭できる時間があるのはいいなあと思っているのですが、編み物や手を動かすことは、すぐに解決しない問題と共に生きていくのに有効な手段だ、という記事もありました。
instagram:@madokaknitting
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詩人リルケの「問いを生きる」という言葉は、学生時代からちっとも先に進めていない気がしていた時のわたしに勇気をくれたのでシェア。
あなたの中で解き明されぬすべての「問い」に忍耐強くあれ
そして「問い」そのものを愛せよ
与えられぬ答えを追い求めてはならない
なぜならあなたはそれを生きることはできず
大切なのはすべてを生きることだから
今は「問い」を生きよ
いつの日かその道のりの果て
気づかぬうちに あなたはその答えを生きているだろう
出典:リルケ(高安国世訳)『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』
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