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ボクが生涯をかけて証明したいことの1つ

俺の兄貴は偉大だった。
 
年は13離れている。
その存在の遠さに憧れていた。
 
この俺が抱いた「憧れ」というものが、
どういうものか説明しよう。

※ サムネイル は「RUDY」という映画です。
 意味が分からない人は映画をみて下さい。
 意味が分かる人は…好き♡

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とにかく、
俺の兄貴は偉大だった。

小学校の頃、
流行り始めたユニクロのフリースを着ていた。
はやい奴は、みんな着ていた。
 
そんな時、不機嫌そうに
俺の部屋に入ってきた大学生の兄貴は、
「これ、着ないからやるよ。」と
ネルシャツやトレーナーを置いていった。
タグにはA.P.C.と書かれていた。
 
UNIQLOの「Q」を「ク」と発音することに
同級生が優越感を感じている教室で、
俺だけがアルファベットを
フランス語読みしていた。
同級生の中で、
俺だけが「C」をセーと呼んだのである。
そんな服をくれた兄貴に、憧れない方が難しい。
 
なんてったってアーペーセーだぞ、馬鹿野郎!
そう同級生に心の中で叫んでいた。
 
数年後、テレビで
堂本剛が木村拓哉のエピソードを話していた。

木村くんは大量の服を
段ボールで置いていってくれて、
最後「つよし!」って呼びながら、
手に持っていたネルシャツをバックハンドパスで、
僕に投げつけたんですよ、と。

カッコイイ〜!と観覧のお客さんが沸く中で、
テレビの前の俺は思っていた。
 
「兄貴って、ほぼキムタクじゃん。」
 
もらったA.P.C.のネルシャツの襟は、
少しくたっていた。
が、中学校でもフランス版のアルファベットは、
まだ全然、馬鹿野郎だった。
 
ヤバイ12歳だったと思う。
いまあの日の同級生たちに弁明する。
ただ、その遠さに憧れていたんだよ。
 
////
 
俺の兄貴は偉大だった。
 
誕生日が来ると、おめでとう!と一緒に
親による兄貴のエピソードトークが始まる。

「お兄ちゃんは、○歳の時には
 一人でゴルフ場に行ってプレイしていた。」
「お兄ちゃんは、○歳の時には
 少年野球で全国大会に出たんだよ。」
「お兄ちゃんは、○歳の時には
 韓国にテコンドーの留学をしていた。」
「お兄ちゃんは、○歳の時には
 学年トップの成績で卒業したのよ。」
 
俺と兄貴は違う。比べないでくれ!
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…
みたいな下手なコンプレックスを
持つことはなかった。


まるでイチローが数々の最年少記録や
得点記録を成し遂げいく様を、
いくつかの下の世代のプロ野球選手として
見ているような気分だった。
 
同じ時代に、ましてや
家族に生まれたことを感謝しなくちゃね。
誰かが史上最高になっていくことの、
気持ち良さを感じていた。
 
兄貴が一族の最高傑作であることを、
そしてそれを信じてやまない
自分や家族の状況を、誇らしく思っていた。
 
ラグビーで花園に出たり、
サッカーでプロになったり、
東大の教授になったり、
それなりにすごい人は一族にもいた。
でも、すごいではダメなんだよ。
偉大でなくちゃ。
 
生意気な中学生である。
ただ、この14歳は
誰かをまっすぐ尊敬することの
快楽を知ってしまったのだ。
 
だって年間最多安打をイチローが打った時、
あの球場にいたら、
食べかけのホットドックもそのままに席を立ち、
まっすぐにイチローに拍手するだろう?
そんな気持ち良さだ。
 
だからこそ、兄貴ほど尊敬できる人は、
人生にそんなにはいない。
誰にでも思ってしまうのだ。
すごいではダメなんだよ。偉大でなくちゃ。
 
グレートティーチャー鬼塚みたいなことを、
誰にでもふっかける、
だいぶポイズンな中学生だった。
 
////
 
俺の兄貴は偉大だった。
 
ある日、夏休みの宿題をしていると、
俺のキムタクであり、イチローが帰ってきた。
 
俺のキムタクは、頭が丸坊主になっていた。
洗面所でバレないようにジェルをパクっていたほど
憧れていたその髪型の変化に、俺が驚いていると…
 
挨拶も早々に冷蔵庫を開け、
牛乳を取り出して、1リットルを飲み干し、
ガッと冷蔵庫を殴った。
 
俺のイチローは、感情がむき出しだ。
 
ヨット部だった兄貴は、夏の大会に敗北し、
キャプテンとして責任を取って丸坊主に。
見るからに、イライラしていた。
 
冷蔵庫って、こんな風に凹むんだと
手を伸ばして、
ベッコリしたそれを撫でてみていた。
 
その激烈な感情の高まりにも、当然憧れた。
その5年後に来る、自分の高校バスケの引退試合。
坊主にして臨んだことは、今に思えば
気合という言い訳のもとに、
憧れを体現していたように感じる。
 
負けて怒り狂うほどの何かに、
人生では出会うべきだと学んでいた。
 
憧れ方を全力で間違う、
捻挫した背番号17番の副キャプテン。
 
ベンチを熱々にしていた、あの夏。
みっともないほどに、
生きるのが下手な高校生だった。
 
////
 
ここまで話せば、
俺が兄貴から受けた影響は
理解してもらえると思うが、
やっぱり兄貴は偉大だった。
 
何が偉大かといえば、
一生遊べるものを僕にくれたからだ。
いま僕が、
うまく行かずに怒り狂える原因=【ものづくり】
その【ものづくり】をし続けるのは、
100%兄貴の影響である。
 
僕が子供の頃、人生の楽しみにしていたのは
兄貴が借りてくるビデオを一緒に見ることだった。
 
「愛と追憶の日々」をはじめとする、
数々の名作の出会いは
この兄貴のレンタルビデオを
一緒に見ることによるものだ。
 
兄貴は偉大なだけではなく、
イカれてもいるのだけれども、
それは小学生の俺に
「ガープの世界」とか「奇跡の海」を
見せたことで、わかってもらえると思う。
 
映倫が幼い俺への強すぎる影響を配慮して
設置したR指定という柵を、
兄貴が何も気にすることなく、
ガツガツと壊してくれた。

 強い表現に弱い人は、大人でも
「ガープの世界」とか「奇跡の海」は
オススメしない。

とにかく…

その映画たちが持つ、
強烈なまでに本物の作家性は、
25年の月日をぶち抜き、
トラウマにも似た映画やものづくりへの
執着となって、今でも俺に
こびり付いている。
 
タモリがやったから、もうやらないが
俺も兄貴の葬式の弔辞で、白紙の紙を眼前に
こう言ってしまっても語弊はない。
 
「私もあなたの作品の一つです。」
 
大学から俺は映画を撮り始める。
兄貴が選ばなかった道を爆走するんだ、と
勝手な使命感が突き刺さっていた、
映画監督志望の大学生だった。
 
////
 
俺の兄貴は偉大だった。
 
と、30歳を過ぎてまで言えなくなった。
 
大人になったと言えば、それまで。
いつまでも誰かに憧れてはいられない。
自分の人生を歩まなければいけない。
誰の真似でもないスタイルを
確立しなくてはいけない。
 
30歳を過ぎた頃が、
今思えば、俺は
いちばん子供だったのかもしれない。
 
しばらく、
兄貴とは会わない時間が増えた。
 
そして、少し前のことである。

鏡に映る30代の自分に
驚かなくなった今日この頃、
俺は兄貴に一通の手紙を書いた。
もう一度会いたいという、
内容の手紙を出した。
 
当時、仕事はうまくいかなくなっていた。
絶望に感じるほど真っ白な雪国の道を走りながら、
俺は何をやっているんだろう、という疑問と共に
兄貴のことを思い出していた。
 
生き方が分からなくなると、ロールモデルを探す。
どこを目指して生きてきたのかを、
思い出したのだろう。
 
道に迷ったら北を探せ。
思えば俺の人生の北極星は、
ひとりだけである。
 
久しぶりに会った兄貴には、
憧れよりも共感の眼差しを向けていた。
 
キムタクも、
そんな会社のメンバーとの関係に悩むのか。
イチローでも、
モチベーションの揺らぎに落ち込むのか。
 
兄貴と俺は、同じDNAを持っていた。
当たり前だが、
気づいたのはその時が初めてだった。
 
ちなみに言っておくが、兄貴は俺と違い、
キムタクまではいかないまでも
本当にイケメンだ。

イチローではなく、
松井秀喜の世代だったと思うが。
 
エニウェイ!
 
違いばかりを見ては、憧れを抱いていたが、
似ているところも沢山あったのだ。
 
笑っちゃうくらいに、
それが長所であり短所だった。
自分のことのようにわかるよ、と
ヘラヘラしてしまった。
 
その中でも、最も似ていたのは
「このまま終わってたまるか。」という
気持ちだったと思う。
 
俺たちはまだまだ、
ステイハングリー、ステイフーリッシュだっだ。
 
改めて、俺は思った。俺の兄貴は偉大だ。
もう過去形にする必要もなくなった。
俺の解像度が、上がったのだと思う。
 
成長を実感することほど、
難しいことってないと思うが、
あの再会のスターバックスで、
俺はそれを実感した。

※再会したんですよ、ヒルズの下のスタバで

俺の兄貴は偉大だ。
常に偉大でなければいけない。
だからこそ、今もこれからも
兄貴がやることは偉大である。
兄貴がつくる会社は偉大で、
兄貴が生み出したブランドは偉大だ。

兄貴はいくつかの会社を経営しているが、
実際に今の会社がどうなのか。
それは明言が難しい。
少なくとも兄貴は、満足していなかった。
 
とりあえず
兄貴が目指している会社の姿を、
ビジネスの形を、
ブランドのアクションの指標として
言葉にしようということになった。
 
つまり、コンセプトをつくることである。
悲しいかな、俺の武器はこれしかない。
 
偉大な兄貴に貢献できることは、
これしかない。
 
スターバックスからの帰り際、
1つだけ、兄貴から本を提示された。
 
この本をベースに、その言葉づくり、
ヴィジョンづくりをやってみないか、と。
 
渡された本は、
「ビジョナリーカンパニー」
というタイトルだった。 

サブタイトルは、こうだ。
 
偉大で永続的な企業になる
 
ほらね、俺の兄貴は偉大だ。
兄貴の企業も偉大である。
 
ここから俺たち兄弟の挑戦が、始まった。
偉大な企業をつくる。
それが次の、俺の挑戦である。
 
これ以上ないメンターであり、パートナーであり
キムタクであり、イチローである、
兄貴と俺の戦いが始まった。
 
いつまでも憧れてばかりは、いられない。

なぜなら偉大な兄貴の、弟もまた、
偉大でなければいけないのだから。
 
さて、ここでお知らせです。

(脳内で気持ち良い音楽を流して下さい)

私たち兄弟の企業に、
参画することをぜひオススメします。
 
今のところ、なんの根拠もありませんが、
必ずや偉大な企業になりますので。
 
社員として、ブレーンとして、お客様として
どんな形でも、ご興味がある方は
お声がけください。
 
事業の詳細は、また次のnoteで。
もしくは直接お会いしたタイミングで。
 
それでは、また!
次はワールドビジネスサテライトか
カンブリア宮殿で、お会いしましょう。
 
待ってろ、村上龍!
では、また。

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