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#10 ギャラリーという人生の敗者

こんにちは。fkr8です

このnoteでは、プログラミングとHIPHOPに関することを書いています。

俺は小さいころから、スポーツ観戦に興味がない。

小学生のころに、父に連れられ野球観戦に行ったことがある。

会場のドーム内で、負けた球団のファンであろうおっさんが、

飲んでいたビールの缶をゴミ箱に投げつけながら「畜生!」と

怒鳴り声をあげていたのを初めて目にした。

そこで俺は

「なんで自分のことじゃないのにこんなに怒ってるんだ?」と思ったのを

いまでも鮮明に覚えてる。

自分が好きでお金を払って、好きな野球を観に来ているのに

イライラして帰っていくおっさんの様子を見て、

とても不思議に思ったものだ。

グレてしまっていた中学生の時、よく殴り合いの喧嘩になった。

俺は喧嘩が弱いほうだったけど、当時は自分の感情を

ぶつけないと後悔すると思ったときには、躊躇せず喧嘩をした。

また友達が喧嘩をしているのを度々、目にした。

そういう時に決まって、関係ない人々が周りを囲うようにギャラリーとなり

後々「あいつよりおれのほうが強い」とか「おれやったらカウンターで…」

などと会話を楽しんでいるのをよく聞いた。

こういうギャラリーの存在に「なにもやってないのになぜわかるんだ」と

疑問を感じずにはいられなかった。

(もちろん今となっては、暴力はいけないことを理解しているけど)

HIPHOPが好きな俺は、18歳で上京してから

毎週クラブのイベントに遊びに行った。

最初は遊びに行くだけでも楽しくてしょうがなかったけど

1か月ほどたったころ、何とも言えない焦りみたいな感情が芽生えた

「自分はギャラリーで、この空間を創ってるのは自分じゃない」

バイトで貯めた20万を元手に、楽器屋でターンテーブルを買い

DJを練習してイベントをやるようになった。


現在は、自分の創りたい世界観をオンライン上で実現するために

プログラミングを学習して

ウェブサイトを作成しながら

「ヲフトレ」というメンタリングサービスの運営メンバーとして

活動している。

使い古された言葉だけど

人生は一度きり、主役は自分だ。

見るのとやるのじゃ、全然違う。


プレイヤーになることは、

努力が必要。

思わぬ批判をされる痛みも伴う。

だけどプレイヤーとギャラリーとの間では、

見える世界が全く異なる。

自分の一生を、ただ見てるだけのギャラリーとして

時間を費やすのか

人の心になにかを刻むプレイヤーとして

濃厚な時間を過ごすのか

どちらが後悔しないだろう。

蛇の道進む、長く太く。


安全な場所で指くわえて見てるだけの、薄っぺらい人生を変えたいなら。

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