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人生100年時代後半戦の、折り返し地点に差し掛かって思うこと (このままでは危ない団塊ジュニアのために)

現在、私はもうすぐ73歳であるがまだ仕事をし続けている。気がつけば、60歳で突如定年退職となって13年近く経った。90歳まで元気で諸々の活動を続けるつもりでいるが、そろそろ中間点である。

突如定年退職と言うのには事情があるのだが、その事情については別途お話しすることにして、中間点なりの振り返りをして今後の行く末を考え直してみたいと思うようになった。(その理由についても、別のところでお話しするつもりでいる。)

少し寂しいことだが、73歳にもなると同世代で働いている人は、殆どいなくなる。しかし、毎日ストレッチングや高速散歩を欠かさないでいると、身体的にはまだまだ問題は感じない。(血圧が高いのは難点ではあるが。)年に一度の大学の同期会で出会う同級生も、一部を除きそこまで老け込んだ感じはしない。

それなのに、それなりの教育を受け最低でも大企業の部長クラスを務めた面々が、日本の生産性向上に貢献する機会を失い家に引っ込んでいる。少子高齢化の進むこの国がこのまま我々が子供の頃の貧しい日本に逆戻りしていいのだろうかという疑問が、頭の中を駆け巡る。

問題は、もう一方の方向にも感じる。定年予備軍の50代の人たちである。人生100年時代という言葉が流行し、定年後の2000万円問題も喧伝されるようになってきた。その結果か、我々の世代よりははるかに問題意識が高いようには感じるが、果たして定年後の20-30年という長い人生を上手く対処して行けるのだろうかと。

その問題意識から、巷のいわゆる定年本を何冊か読んでみたが、今ひとつ腹落ちしない。書いてある内容そのものはそれほど間違ってはいないのだけれど、どれも基本的には当たり前のことの課題指摘(「〇〇すべき」の類)が多く、「ああ、そうすれば良いのか!」という気づきが得られない。

しかし、少し考えてみればそれも当然である。著者のほとんどはまだ若くて、私に言わせれば後半戦の未経験者だからである。人生100年時代への備えの重要性を唱えるリンダ・グラットンでも、「ライフ・シフト」を書いたのは61歳の時である。経験のない事柄については、「〇〇すべき」とは言えても「〇〇すれば良い」と言えるはずがない。

ということで、たとえ中途半端でも経験者が人生100年時代の後半を過ごしながら学んだことを伝えることには、少しは意味がありそうだと勝手に思うことにした。そのことで、我々団塊世代が産んだ団塊ジュニア世代に少しでも貢献できればと思う。

我々のせいではないと思うが団塊ジュニア世代が産んだ子供の数は少ないので、彼らが過ごす定年後の人生後半戦は今よりもはるかに厳しくなることが予想される。その厳しさへの備えの一助になれればと思う。

さて、厳しさへの対処の第一歩は、危機意識を持つことである。これがないと何事も始まらない。

https://note.com/fkngkch/n/nb07ad9bcd564






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