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【Voice!】第4回 GK21 河畑 光選手

今シーズンより、地元福井県小浜市出身の河畑光選手が加入。

15歳で親元を離れ、名門浦和レッズユースなどで研鑽を積んだ若手

GKは、一度サッカーを離れるなど紆余曲折を経験し、故郷に帰還。

生まれ育った街、福井で新たな挑戦をする河畑選手に話を聞いた。

PROFILE
1999年8月10日生まれ 福井県小浜市出身。
2024シーズン、レイラック滋賀FCより加入したGK 。
安定感のあるシュートストップとチームを鼓舞するコーチングが持ち味。

ー 出身地と家族構成について教えてください
出身は福井県小浜市です。5人家族で、両親と2個上の姉、自分、7つ下に弟がいます。父は電力会社に勤めていて、転勤族だったので小浜で生まれたあとは高浜や兵庫県の西宮、美浜にも住んでいました。父の勤務先に合わせて引越しをしましたが、自分は人見知りじゃなかったので、転校してもすぐ学校には馴染めました。

ー サッカーを始めたきっかけは?
サッカーを始めたのは、美浜から通っていた第二早翠幼稚園のサッカースクールで年中のときです。自分が3歳のときに日韓ワールドカップをTVで見ていて、ボール蹴るのが好きになっていました。最初に入ったチームは敦賀FCでしたが、当時住んでいた美浜から小浜に引越したので、練習に通うことが難しくなって、小学校3年生からはALTAS若狭小浜FCに入ってサッカーを続けました。

サッカーを始めたころ、第二早翠幼稚園時代の写真 ※本人提供

ー ゴールキーパーを始めたきっかけは?
サッカーを始めて1年くらいしたら、ゴールキーパーをやっていた感じです。自分は小さいころから変わっていて(笑)。GKはみんなとは違うユニホームを着られるというのも理由のひとつでした。例えば、戦隊モノとかでも赤や青の役どころが好きな人が多いと思いますけど、自分は黒や黄色、シルバーとかが好きでした。なんか特別感が良かったんですかね。自然とGKをやりたかったんです。

ー 浦和レッズユースへの入団の経緯を教えてください
中学校1年生で北信越のナショナルトレセンに参加させてもらいました。そのときに、浦和の関係者の方が他の選手を見にきてたそうですが、自分がその選手より目立ってたみたいで、声をかけていただいたのが最初です。最初はレッズと言われてもピンときていなかったので、J1の浦和レッズだとは全く思っていなくて、レッズという別のチームだと思ってました(笑)。それで、中2の冬に初めて練習参加をして、中3の4月と6月にもユースの練習に参加しました。そこから自分の中で「プロサッカー選手」という目標がカタチづいてきた感じです。他のクラブからも声かけてもらっていましたが、下部組織の環境が良かったので浦和に決めました。

ー 浦和レッズユースでの思い出があれば教えてください
最初の1年目は地獄でしたね(笑)。中学生の頃に福井県では敵なしみたいに鼻を伸ばしていたのを、バキバキに折られた感じでした。練習についていくのがやっとで、自信も折られました。浦和ユースに入ると同時に、単身寮生活だったので、親元を離れて初めての一人暮らしで、寮の規則も厳しくて辛かったですね。いま、振り返ると鬱っぽくなった時期もあったと思います。それで、2年目からちょっとずつ寮にも練習にも慣れてきました。私生活が安定したことで、高2の最後からメンバー入りして、3年生から試合に出られるようになりました。今振り返ると、あの3年間でサッカーも人間性も伸ばしてもらったと思います。サッカー選手である前に、人としてしっかりした人間になるのが基盤でしたから。

ー 同期のメンバーは?
同期には、橋岡大樹(ルートン/イングランドプレミア)や荻原拓也(ディナモ・ザグレブ/クロアチア)、長倉幹樹(新潟)、弓削翼(いわて)らがいて、たくさんの刺激をもらいました。彼らのなかには、年代別の日本代表に選ばれている選手もいましたが、そういう選手こそ謙虚に練習に取り組んでいました。

ー 思い出に残っている試合は?
高校3年生のとき、プレミアリーグEASTに初めて出た試合です(2017年7月19日)。そこまでチームが勝てていなくて、自分が初めて出た試合で勝ったんです。ホームでの横浜F・マリノスユース戦でした。終わった後に嬉し泣きしたのを覚えています。

ー クラブユース選手権の決勝戦にも出られていましたね
決勝戦では、FC東京ユースに0-2で負けました。あの試合もよく覚えています。当時、久保建英選手(レアル・ソシエダ/スペイン)らの攻撃を前半は橋岡選手中心に抑えていました。でも、後半の途中で一瞬の緩みというか、自分の中ではしっかり対応できていると思っていたところをやられたんです。右サイドのゴールライン際、角度のないところで久保選手がドリブルからクロスの体勢に入ったと考えて、目線や肩の入り方も確認していました。そこで自分が気持ち早く動いていたのを久保選手は見逃さず、逆にニアへズドンと決められました。それまではほぼ完璧に抑えていたのに、あのシュートは止めることができませんでした。

現日本代表選手らを輩出している浦和レッズユース時代(河畑選手/1列目の左端)※本人提供

ー その後は大学に進学。日本体育大学を選んだ理由は?
ユースからのトップ昇格は叶いませんでしたが、当時はプロの選択肢もありました。ただ、プロになるのは当たり前と思っていたので、サッカー選手としてのキャリアが終わったときのことも考えて、大学で教員免許を取りたいと思い、大学進学を決めました。そのなかでも教員免許を取得できる関東1部リーグは、筑波大学の他には日本体育大学でした。当時、日体大の監督だった鈴木政一さん(現四日市大テクニカルアドバイザー)がクラブユースの試合を見てくれていて。監督推薦枠という形で入部を決めたらチームは2部に降格して、鈴木さんから監督が変わっていたんです(笑)。

ー 日体大時代は?
入学後はCチームまで落ちて、この先どうしよう、どうなるんだろうと不安でした。でも、そこで腐らずにCチームでもできることに専念し、2年生からトップのAチームに所属しました。でも、今度は両肘靱帯断裂などのケガでほぼ1年間サッカーできなくて、3年生はコロナ禍でサッカーすらできない日々でした。

ーここまで、苦難の連続ですね。
でも、そこが自分にとってのターニングポイントだったと思います。ケガから明けた3~6月、筋トレとランニングをしっかりとしたことで、リーグの2節目からGKが交代して、自分が試合に出られるようになりました。4年生のときは教員実習に行ったり、総理大臣杯の予選のアミノバイタルカップはコロナ感染で棄権したり。リーグ後半戦は肩の靱帯の怪我もあったので、プロの道を模索しても、JFLにしか行けない状況でした。自分の目標のひとつに"プロになって、ユニフォームを大好きな祖父に渡す"ことがあったのですが、その祖父も病気で他界したことも重なり、サッカーを一旦離れる決断をしました。

日本体育大学時代 ※本人提供

ーしかし、社会人2年目にレイラック滋賀FCへ
やっぱりサッカーに戻ったのは、ユースや大学時代の同期の活躍を見たり聞いたりして、悔しい気持ちだったのが正直なところです。
それと2022年の年末に家族旅行に行ったとき、弟から「もうサッカーしないの?」って言われたんです。そのときは「しないよ」と答えたのですが、弟から「お兄ちゃん、サッカーしていたときの方がかっこ良いよ」と言われたのが印象的でした。
そこで、後先考えずにやってみようと思い、当時所属していた社会人チームのHBO東京の代表から、当時レイラック滋賀FCの監督だった寺峰さん(現滋賀GKコーチ)を紹介して頂いて、入団することになりました。せっかく就職したのにすぐに辞めることになったので、両親には反対されるかなと思っていましたが、「やっぱり戻るんだね」と言われて逆に自分の背中を押してくれました。感謝とともに、両親にはなんでもお見通しなんだなって思いました。

ー 今シーズンより福井ユナイテッドFCに加入しました。移籍を決めた経緯は?
滋賀を契約満了になった後に、一番最初に声をかけていただいたのが、福井ユナイテッドFCでした。最初はJFLでのプレーを考えていたんですけど、環境面を考えると、サッカーに向きあう時間が少なくて。地域リーグなら、福井ユナイテッドと決めていました。北信越リーグ1部というカテゴリーですが、自分の印象ではJFLのチームより基盤がしっかりしていて、選手がサッカーに1番に打ち込める環境だと思っています。

ー チームの印象は?
昨年の8月にハピネスマッチFUKUIで対戦したときとは印象が違って、選手同士がいい意味でギスギスしていないと思います。これまでは、サッカーが終わった後ピッチ外でちゃんと会話できる選手が少なかったんですが、福井はピッチ内とピッチ外で切り替えがしっかりしている印象です。

2023.8.12 ハピネスマッチFUKUI2023 vs.滋賀

ー ここまでの自分のキャリアに影響を与えた人は?
浦和ユース時代の監督 大槻さん(元草津監督)と、コーチの池田伸康さん(現浦和コーチ)、GKコーチの安藤智安さん(現浦和GK コーチ)です。今のサッカーとなる部分とメンタルを教えていただきました。

ー ここからはピッチ外のことを少し。就業先について教えてください。
就業先は、福井ユナイテッドのパートナー企業でもある富士フィルムBI福井のサービス配送課です。コピー機のトナーをお客さんのところにお届けしています。あとは、富士フィルムBI福井と合同会社百食万笑、日本オラクル株式会社、福井ユナイテッドとの4社で行っている事業「サブスク型災害用備蓄品シェアリングサービス"あってよかった"」の営業をしています。
大学卒業後には、機材のレンタルリースの提案営業をしていたので、営業の経験はあります。ただ、今回のような新規営業は初めてです。福井は能登半島地震の影響もあって、既に備えをされている方々が多いなという印象ですが、そこは他社さんとの差別化を図るために、色々と工夫してお話をしています。

ー 選手アンケートでは「マイブーム:家でじっとしていることがある」と書いてありましたが、オフの過ごし方について教えてください。
オフの日は家で本を読んだり、映画を見たりしています。たまにオフが2日間あるときは、小浜の実家に帰っています。基本的には、自分ひとりの時間が好きですね。

ー オススメの映画はありますか?
自分はマーベルが大好きで。一番のおすすめは、えっ、え~(しばし熟考後)…やっぱり「アイアンマン」が好きですね。ベタかもしれないですが、心が躍るというか。あとは、ディズニーが好きです。

大好きなマーベル"アイアンマン"について熱弁する河畑選手

ー ディズニー?
ディズニーは大好きです。毎年1~2回は家族全員でディズニーランドに行ってました。姉が一番好きでしたが、ウチの家族はみんな好きですね。
自分の推しはドナルドです。可愛いじゃないですか(笑)。あの可愛さといったらないですよ。
園内のマップは頭に入ってます(笑)。自分のおすすめのアトラクションはフィルハーマジック。あまり混雑していないですし、穴場ですね。

ー 6/23(日)には嶺南でリーグ戦が開催されます。嶺南や小浜の魅力を教えてください
もちろん海鮮は美味しいですし、おすすめの食べ物は色々あるんですけど。自分の思い出というか、個人的には、浜の湯の近くにある「こてや」と「こだま食堂」さん。カツ丼とお好み焼きが美味しくて、中学生時代には友だちとよく食べに行っていたのが懐かしいです。
あと、遊ぶスポットも色々とありますが、高浜町の「若狭たかはまエルどらんど」。弟から「アスレチックなどが体験できて楽しい」と聞いているので、ぜひ一度足を運んでみてください!

ー 最後にサポーターに向けてメッセージをお願いします。
福井県全体で、特に嶺南地区はサッカーをする子どもたちが減っているので、僕たちみたいな地元出身の選手がサッカー選手として子どもたちに夢を与えられる存在でいたいと思っています。そのうえで、福井ユナイテッドFCをJFLに昇格させて、J3、J2とプロのリーグに押し上げていかなればならないと感じています。福井県一体となって、自分たちと一緒に戦ってもらえたら嬉しいです。

  ピッチ外のプライベートでは、意外な一面も存分に話してくれた河畑選手

(ライター/細道 徹)