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嘆き 短編集1

所業

私は自らの堕落や私欲による悪業によって報いを受けていることを自覚している。しかし、他の人間が善良故に豊かな生活を送っているとも到底思えない。


仏滅

屠殺される雌牛のような胴間声をあげる妊婦の肉体を張り裂き、大きな肉塊がその頭を突き出す。私は助産師と共に、分娩台の上で血塗れで痙攣するその肉叢にいかめしい喝采を浴びせる。針金のような硬い髪を持つ医師が宣告する。

「おめでとうございます。立派な自意識です!」 


両性具有

私がかつて愛していた女に陰茎が生えている。
私は跪き、ただそれを羨望しながらしゃぶるばかりだ。


退廃

パスタが茹で上がる前に私は満腹になってしまう。どうやら二十年で私は生を満喫し、全うしたようだ。残りの数十年は労働で得た泡銭で過去の追体験を買い、諸悪の根源たる肉体の死をただひたすらに待つ。


不幸ジャンキー

男は身に起こった不幸とその発露を、紫色の女体のようなくびれを持つ陶器に詰め込み、街の大通りの、人通りが1番多い時間帯に売りに出す。一見、男の風貌は見窄らしくみえるが、前髪は手入れされ、これみよがしに白く若い肌を露出し、スニーカーの廻しテープには一切の汚れがない。その光景を初めてみる、何も知らない者たちは男に群がり、陶器を一通り嗜めるとあれやこれやと男に質問を飛ばし、男に訊かれたわけでもなく各々の感想を述べる。ある者は陳腐と化した不幸の美化を鼻で笑い、ある者は自分が恵まれていることに安堵する。ある者はあまりに見慣れた光景に、一瞬たりとも意識も寄せない。

愚衆をよそに、どこからか飄然と浮浪者が姿を表す。酷い乱視の両目はどこにも焦点を合わせていない。左腕は無惨にも切断され、残った片腕の手の指もあったりなかったりするその老夫は、歯のない口で喃語を話しながら、残った指先で肥えた都心のネズミ達を調教する。

アーバンドルイドたるそのホームレスは、男の陶器が定まらぬ視界に入るなり、男の元へいそいそと向かう。汗や小便、下水混じりの臭気で愚衆を解散させ、挨拶のような擬音を発すると、眉を上げて目を細め、その乱視で陶器の中を一瞥する。「まだまだ足りないね」と、溶けた前歯で区切りのなくなった発声でそう一言放つ。そして、男の持っていた陶器の深いくびれを素早く何度も舐め、声高らかに笑い出す。男はバツの悪そうな仕草で俯いている。

苦労人めいた老獪な顔つきのその浮浪者は、不幸者の強者としての勝利宣言に満足すると、近くのマンホールの蓋を半日かけて上げ、地底の巣へと戻ってゆく。 


哀愁の楽園

私は荒々しい色を絢爛と浴びせる白練の砂浜の上に立っている。心地よい海風が頬を撫で、私に僅かな微笑みを授けてくれる。

遠くの湾曲した砂浜に見える、一切の汚れがない月白に輝く灯台の元へ向かう。しばらく歩くと、屹立するその灯台と白練色の砂浜をわずかに区切る、大きな岩に腰掛けた人影が映る。私がかつて何処かで交友を結んだ、愛する友人達の姿だ。

静かに談笑をしながら明鏡止水の大海を眺める仲間の元へゆく。
私は手を大きく振って友人らの輪の中に入り、遅れて来たことを詫びる。

何十年もの空白の時を経た再会を喜び合い、友人らの甘く優しい声や、麝香のように健康な色の肌に私は涙する。愛する友人達もまた私を歓迎してくれる。ある者は微笑み、ある者は綻ぶが、皆一様にどこか侘しく、憐憫な表情で私を見る。

私は友人の1人にあることを尋ねる。すると暫くの間を置き、彼女は暗澹たるまなざしで静かにかぶりを振る。そして私は、我々にはもうすでにその時間がないことを告げられる。

私は黙って頷き、解するように僅かに微笑みを浮かべてみせる。寂寞たる思いを胸に、私は愛する友人達と、深水幾尋にも及ぶ濃青色の溟渤をいつまでも眺めている。


Crawling

私は実父と婚活バスツアーで出会った女が混浴した後の濁り湯に浸かっている。

答えはその浴槽の中にあるのを他所に、何故私の人生はこうも見窄らしいのかを考える。栓を抜くと、排水溝のパイプへ、濁音と共に私の自我が吸われてゆく。


無題

暗室の時計の針は止まったままだが、死んだはずの太陽は目まぐるしい勢いで浮き沈みを繰り返し、窓のないこの部屋にさえその光と影をもたらして全てを蝕んでいく。認識が追いつく間もなく木々が芽生え、その活き活きと生命を谺させる緑黄を味わう間も無く、時と共に枯れゆく音だけが遅れて残る。

終わりのない痴呆や内省にもうんざりすると、私は現像した写真とネガフィルムを1番使わない奥の、噛みの悪い引き出しに苦し紛れに押し込む。鍵は朽ち果てた外の木の小枝に絡まり、錆びついている。


捨て駒

白昼堂々、インテリ気取りの女が私をピーラーで剥く。毒素の溜まった表面の皮膚を気持ちよく剥ぎ、ドロついた血が溢れ出る。私は一皮剥けたのだ。私は父に始まり兄、教師、クラスメート、店員、同僚、傲慢な主婦、弁慶、通勤中に癇癪を起こす会社員、理系の男、シグマメール、虚言癖の女、はたまたリベラル... 様々な社会階層の人間に、頼んでもなくピーラーで身体を剥いてもらう。皮膚が剥かれるごとに血の鮮度も増し、どこからか精血が湧いて出る。私は満身創痍であると同時に、洗練されていく。

数十年が経ち、「よくできた身だね」と誰かが言う。そう言われる頃には、私はあまりにたくさんの刃を受け、死にかけのユダヤ人だったり、KGBに捕らえられた宇宙人のような、まるっきり変わってしまった風貌になっている。 分厚い丸メガネ越しに目を細め、「もう骨まで見えちゃってるじゃないか。だいぶやっちゃったね 」と誰かは続ける。

一矢報いようと何とか笑ってみせるが、筋肉までむかれてしまった私は、その感情を表現することができない。辛うじて残った何かの筋が、中身の抜かれたカニの脚の関節のようにキシキシと動く。

「でもねぇ」と誰かは続ける。
「もう食べれるところはどこにもないよ、ごめんね」

申し訳程度にそう謝ると、大切に残しておいた一皮を慈悲もなく剥いて、私をゴミ箱に捨てる。

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