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日影の忍者勝彦の歌詞『偽幸せ』と『微幸せ』から学ぶ、本質性と余白を突く大切さ

どうも、ふくだです。

古いネタになりますが、ダウンタウンの松本人志さんが作った、「日影の忍者勝彦」という曲をご存知でしょうか。まずはお聴きください。ほぼ全ての方が知らないと思います。笑

みなさん、『なんだこのふざけた曲、ふくだ大丈夫か?』と思われたかもしれません。
しかし、しっかり歌詞まで聞いてください。言葉選びの凄まじさにびっくりしますよ。

「日影の忍者勝彦」は、おそらく皆様もご存知?の「エキセントリック少年ボウイ」の第二弾として出された曲です。「エキセントリック-」同様、松本人志が作詞を、増田俊郎が作曲を担当し、1998年5月にリリースされましたが、売り上げ枚数は前作の10分の1以下でした。

それは「勝彦」のあまりの完成度の高さ故に、一般人がついてこられなかったからだと(松本人志本人にも)言われています。キャッチーなメロディーも素晴らしいのですが、振り切ってる歌詞が秀逸すぎます。改めて歌詞をご覧ください。(版権の関係があるのでリンクで失礼。)

http://m.kget.jp/lyric.php?song=14639

つっこみたくなる歌詞で全てが構成されており、いかにもまっちゃんがちょっと力を出し過ぎた感が満載。笑 今回は特に気になるフレーズがあるので、そこを深掘りします。

「幸せかい? それとも微幸せかい?偽幸せじゃないのかい?」

この歌詞は、途中、浜ちゃんの語りとして出てくるフレーズです。微幸せ、偽幸せ。なんて深みのある言葉なのでしょう。

ふと考えてみると、『微幸せ』ってよくありますよね、“どちらかといえば幸せ”って瞬間。あぁー幸せだなぁーって思う時ってそれほどなくて、幸せは「微幸せの積み重ね」なのかもしれません。

そして、『偽幸せ』。自分をだましだまし「幸せだよね」と言い聞かせながら生きていく我々にとって、なんて痛烈な単語なのでしょうか。ゲスの極み乙女の川谷絵音、森山直太朗あたりが曲のタイトルにつけそうです。

微幸せも偽幸せも、さりげなく出てくるだけですが本質的なところを言語化したすごい単語だと思いませんか?

語らずして多くを語る“余白”

他にも、

「日ノってるかい? 仏ノってるかい?米ノってるわけじゃないんだね~」

という歌詞もあります。ノってるかい?に日、仏、米という国をつけたというあまりにも強引過ぎる新語。しかし、なんかこれもニュアンスは伝わってきます。なんとなく、米ノりたくは無いですね。

語らずして多くを語る。それが余白となり、議論を呼び、話題となる。この余白の作り方が絶妙です。さらに、余白を作りつつ明確な答えを出さないというスタンスも重要です。

最近だと炎上してしまったKANEBOさんの『生きるために、化粧をする』がまさにこの余白をギリギリ生かせなかった事例です。

自分をさらに生かすために必要なときには化粧をする、という本質的かつ余白の多いメッセージで素晴らしいクリエイティブです。

しかし、回答も準備してしまったが故に、余白を自ら狭めてしまい、テーマも捉え方によってミスリードを生みやすい設計でした。化粧が必須のように取られてしまったり、化粧が必要ない人にも必須かのように届いてしまうことが炎上の原因となり、謝罪することになっています。

本質的なんだけど、余白がある絶妙なライン

私も広告の仕事に携わっていて、ここらへんの難しさは痛感しています。そもそも本質を突くメッセージ作り自体がめちゃくちゃ難しいですし、そこからちょうどいい余白を作ることは困難を極めます。

しかし、この微幸せ、偽幸せは本質的かつ余白も見事な言葉で、もっと評価されるべきではないかなと思います。

松本人志さんのその技術には本当にいつも驚かされます。

みなさん、幸せですか?微幸せですか?偽幸せじゃないですか?

それでは、んちゃ。

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