INFJ にとって人生とは、「自分が存在して良いと思える場所」を探す旅かもしれない
INFJ の記事を巡回していて、この記事を拝見した。
読んでいて、私が感じていたことが明文化されていて感動した。「そうか、私が人生全体に対してなんとなく不安に感じていたのはそのためだったのか」と思った。
元記事から INFJ の項目を全文読んでいただければ、同じ INFJ の方にもその感動が伝わると思うので、ぜひ読んでいただきたい。
私の場合を詳しく書くと、確かに家庭・職場・それ以外の場所、どこであっても「ここが自分がいて良い場所だ」と感じることがない。最近であれば、プライベートな問題ではあるが、特に家庭においての問題を抱えている。
というか今まで生きてきて、常に「ここは自分の居場所ではない」という漠然とした思いがあった。
実家で暮らしていた学生時代、社会人時代の一部、一人暮らしした時、結婚したとき。どれも「自分が存在して良い場所」を求めての行動だったが、どこにいても、何をしても「私が本来存在すべき場所はここではない」という漠然とした思いが募っていた。そして今もその感覚は非常に強い。
私の中の心象イメージとして、「私を背後から見下ろす、大いなる視点」というイメージがある。わかりやすく言えば、「大いなる神の眼」のようなイメージである。
そのイメージが心の奥底にあることで、私は何をしても「自分がやってきた行いは本当に正しいのか、大いなる眼に見られても後ろめたくない行為なのか」という漠然とした不安が常に横たわっている。
おそらく私にとって、「自分がどこにいるか」ということより、「自分が人生において何を達成すべきなのか」「私という存在自身を許せるか」「私が存在しても良いと思えるのか」という本質的な問題が解決されれば、そのときに自分が存在している場所こそが「私が存在して良い場所」となるのだろう。
今回、この記事を明文化したことで、また一つ自分自身のことについて理解が進んだように思う。
しかし現段階でわかるのは、「私が存在して良い場所」を見つけるのは、まだまだ当分先になりそうだ、ということだけである。まさに先の記事のとおり、それを見つけることこそが、私の人生において永遠に解決すべきテーマなのかもしれない。
あるいは。
「正解を探し続ける旅をすること」こそが、私の人生を続ける原動力の一つになっているのかもしれない。
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