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アイスクリームが不味くなった話

妹とは絶縁しているので、『元妹』と呼ぶことにする。

前にも書いたんだけれど、こっちは小学生の時点で跡継ぎ(厳密にいうと女だから跡継ぎにもなれなかったんだけれと)として希望していた職種を、父から「妹たちがいるのだから」と言われて進路を狭められ、それに従ったのに、「高卒で資格を取って働く。親に迷惑をかけない」と言っていたはずの元妹が急(確か高3の秋以降だったはず)に今までの資格が全然関係ない都会の大学に行きたいと進路変更するのは「流石におかしい。私と同じ対応をしてほしい」と父に抗議した直後の話である。

ちなみに妹の学力は私より下だし、妹が都会で取りたい資格というのは私の希望する職種と同じで地元でも充分取得出来る資格でもあった。


私は社会人で、元妹とどこかに遊びに行く程度には仲が良く、その日も某フードコートで購入したアイスを前に神妙な顔をした妹がいた。

「大学のことなんだけど」というので私が反対しているのだということは伝わっていたのだなと思った。(厳密にいうと反対ではなくて同じ対応にしてほしいということだけれども)

元妹は続ける。

「この大学に行きたい。でも、お父さんが『お姉ちゃんはお前たちがいるから市内になった。だから、どうしても行きたいのなら、お前がお姉ちゃんを説得しなさい』と言われた」と。

は?


思えば父は(教師のくせに)私とは向き合わない人だった。

お姉ちゃんなんだからと全て私に押し付け、私が耐えきれず潰れた時には「知るか」と「勝手にしろ」と。

父はドラマに出てきそうな『熱血先生』だった。特に私の1つ下のクラスの印象的な子を気に入ったようで、私の進路先は「○○(担任の間に病気で亡くなった子)がいて、私に

○○は△高に行きたかったのに志半ばで亡くなったのだから、お前、○○の分まで高校生活楽しむんだぞ」とか。

(これ聞いて、ぶっちゃけ進路変えようかと思った。どうせ親子3代に渡って同じ高校がステータスだっただけて1つ上の高校も入れるレベルだったし)

私が結婚するにあたって、親族の顔合わせの時には「実は僕も父親が××(重犯罪)の子の担任をしていたことがありまして…」と話し

(お前はそいつを家に呼んで「おい、服貸してやれ」)とか言ってご飯食べさせて随分と可愛がっていたよなぁとか。


そうして親戚との集まりで酔っ払っては

「今は資格の時代」「大卒じゃないやつは資格がないとやっていけない」「俺は子どもたちに大学に行かせるか、資格と免許だけは取らせるようにしている」と高卒の甥姪たちの前で宣うような、気分の悪くなる人だった。


今回の話だって、正直にいうと別に妹の進路を潰したい訳でもない。

父から同じことをされたのだし。

ただ、せめて、怒っている私と向き合ってほしかった。

普段から飲みに連れていかれる仲だったのだから、申し訳なかったと一言でも、元妹が望んでいるのだからと『父が私を説得』してほしかった。

というか、元妹の一存で決められる程度の資産状況だったのかよ、うちは。

そして、そんな妹が私を説得する時の言葉の中で引っ掛かったのが「もし私が大学で遊んでしまったら、お姉ちゃんが私を叱ってほしい」で、正直、

「え?今の時点で遊ぶ前提なの?」

「なんでお前が遊んだら、こっちが片道○時間もかけて叱りに行かないと行けないの?」

「こっちは女だから跡継ぎじゃなくて、そのせいでお母さんいびられてたから、せめて一族の職種に就こうと7歳の頃から思っていたのに、そんな心構えで都会の大学行けるんだ。ふーん」


なんかもう本当にどうでも良くなった。

一旦どうでも良くなると人はこんなにも微笑めるのかというくらいには、にこやかな笑顔を向けていた気がする。

ただ、もうアイスの味はしなかった。

和やかな雰囲気で一緒に帰って、数ヶ月後に元妹は都会の大学へと進学し、

案の定遊び呆けて、ゼミの先生から「(説得した時の)職になんか就けないし、就職先も世話しない!散々好きなことしたんだから好きにやれ!」


そう言われる始末。

父は放任なので母がゼミの先生から呼び出されて説教された云々の話を聞くたびに(やっぱりな…)と呆れたものでした。

正直、両親にも不信感はありました。

だって父親は大学で遊び呆けていた話しかしてなかったんだから。


ただ持ち前の調子の良さで社長に気に入られ、希望する職種に近い仕事に就くことが出来たようです。

話を聞かされる度にうんざりしていた私も、これで良かったのだと思うようにしました。

そして約1年後…

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