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「TAR/ター」を見て、大衆酒場こいさごで飲んだ


彼女は特別だったのか。

ケイト・ブランシェットが演じた美しい(The RowとJIL SANDERとLEMAIREとMax Maraをお召しになっててめちゃ素敵。目を凝らしてたんだけどお履き物はなんでした?)女性指揮者リディア・ターは、クラッシック界の名だたる栄冠を手にし、作曲も手がけながら現代音楽との間に橋を渡し、ゲイであることを世間にカミングアウトし、妻(とあえて言うのは、ターが自らを子供の"パパ"と名乗るシーンがあるから)と子供と不自由ない暮らしを送る。さらに女性指揮者を育てるファウンデーションを立ち上げ、システム的にも経済的にも次世代の女性たちをエンパワメントする、まさに"類い稀な"人物である。

権威性は加害性と切り離せない。というかむしろ、権威は相対的なもので、それ即ち加害である。(加害性を持ち得ない権力ってあるかなー、ちょっと考えてたんだけど誰か気付いてたら教えて)

年齢を重ねたら、裁量権を持ったら、部下/後輩ができたら、誰かに奢ろうとするとき、何かをあげようとするとき、そこに権威性/加害性を孕む可能性を意識すべきだ。権力は、持ちたいと思って手に入れられることもあれば、持ちたくないと思ったっていつの間にか手にしちゃってることだってある(ハリーポッターの賢者の石だよね)。知らんけど、キアヌ・リーブスさんなんかは、ゴシップ誌による良い人エピソードからすると自らの権威性を手放すために細心の注意を払っている人なんじゃないかと思う。それでも彼は彼の意思とは関係なく権威性を完全には振り払えない。(もうちょっと身近な例はなかったのかよ)

通常、権力は監視されるべきものである。持たざる者よりも持つ者の持ち物は注意深く監視され、その使い方は注目される。なぜなら、権力はキラキラして見えるし、でかいから、重いから、動くと影響が大きいから。今はみんなが一挙手一投足、SNSなどを使って目を凝らして見張っている。どこに目があるかわからない。だから権力はそう長くは持たない、その方がむしろ健全である。(かなり残念ながら、日本の政治においてそのシステムは機能していない)
権威性/加害性を手にした人はいずれ、その指揮台から引き摺り下ろされる。そしてまた新たな人が指揮台に立つ。それは性差で、人種間で、芸術の世界で、クラッシック音楽の世界で、大学などのアカデミアで、楽団で、師弟関係で、家庭で、私とあなたの間で、いつだって起きる。

彼女は特別だったのか。

特別であり、特別じゃなかった。彼女の栄枯盛衰の物語は輪廻の一部であり、観ている人の誰もがその輪廻の中にある。

ポーションが酒飲みサイズで色々頼めて楽しい


大衆酒場こいさご

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