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最近、3つの「君たちはどう生きるか」を観た気がした

「一度インタビューしたくらいで、相手のことわかった気になるなよ」
先輩編集者が言ったその言葉は、私の心に錨としてずっと残っている。

対象者と対峙し、話を聞き、原稿にする。そんなインタビューの仕事では、記事の中で結論めいたことを言いたくて、「わかった気」になって物事をいいがち(書きがち)だけど、「わかった」なんていつだって幻想だ。ちょっと考えてみても、自分が誰かに何かを話す時に心のうちをすべて上手に言葉にできた経験があるだろうか。そもそも自分のことだってよくわからないのに、人に伝えるために言葉にしてみてそれを相手が一言一句同じように捉えて"わかり合える”なんてきっとありえない。そもそもわかるってなんなのか。


わかるってなんなのか。(『カモメよ、そこから銀座は見えるか』を観て)

岩松了作・演出の舞台『カモメよ、そこから銀座は見えるか?』を観たのは今から1ヶ月以上前。本多劇場で上演された1時間50分。舞台が終わって席を立ち、一緒に観劇したパートナーと互いに無言で駅のホームへと向かう。電車に乗り込んで一息、やっと出た言葉は「疲れたねぇ」だった。いやマジ難しかった。マジわかんなかった。時折ある説明的なセリフは物語の筋道を示してくれるものではなく、断片的で唐突で、観ているものを巻こうとしているのではと思うほど。それでも何かを汲み取ろうと必死で喰らいついても、雲をつかむが如し。さすがに途中で、「わかろうとしても徒労に終わるやつだな」と気付くも、それでもどうにか振り落とされないように追いかけて、追いかけて、追いかけている間に舞台は幕を閉じた。出演者が壇上に並んで頭を下げる様子を見て、物語のしっぽも掴めず完全にわからなかったのだという事実を突きつけられて呆気に取られる。「こんなにわからないことなんて、久しぶりだよ」心の中でそうつぶやいて、ふと気付く。

これまで「わかった」と思っていたもの、それは本当にわかっていたのか。

パンフレットのインタビューで、岩松了は"わからないことの重要性”についてこうコメントしている。

「価値基準を設けられない人間というのは、人間として劣っているのか。だって、善悪なんて、人が勝手に決めることでしょ。だったら、わからないっていうのが本当のはずじゃないですか。でも、そう言い張ることはできないでしょう、社会の中で生きている人間は。そうやって、わからないまま留まっている人間をちょっと描きたいなと思ったんです」

「決められないことの重要さってあるような気がする。そのことは、わりと重要なテーマであるような気がするんですね。何かを決めることが善であって、それが先に進む動機になっていくんだっていう考え方が多い中で『そんなこと、わからないじゃないか。これが善なのか悪なのかわからない、だから一歩も先に進めない』という状況はドラマだと思うんです。そのことを今回はドラマと考えて表現したいなと思ったんですよね」

『カモメよ、そこから銀座は見えるか』公式パンフレット 岩松了インタビューより

さて、この投稿は『君たちはどう生きるか』を見て何か書こうと思ったんだった。まぁ一言で言えば、「わからなかった」ただわかることは重要じゃなくて(岩松了もそう言ってたし?)、すごく良かった。

未来への託し方について。(『REVOLUTION+1』を観て)

『君たちはどう生きるか』を見る一週間前、『REVOLUTION+1』(監督・脚本/足立正生)を渋谷ロフト9で見た。(映画の題材となっている安倍晋三襲撃事件からちょうど1年が経った日だった)

足立正生監督はインタビューで、当時の首相を襲撃した主人公・川上を「ヒロイックに描いていない」と明言している。「ヒーローとしては描いていませんが、感情移入はしていますよね」という記者の質問に対しては、以下のように答えた。

「感情移入したぶんだけ、ヒーローではなくなっているんです。映画は主人公に密着しているわけだから、そこは揺るぎないわけです。決行した瞬間に川上が喜ぶ表情を見せるなど、ヒロイズムとして表現することは簡単なんです。そういう表情はいっさいさせていません」

サイゾー/足立正生監督が描く「宗教2世」の苦悩 追い詰められし者の決起『REVOLUTION+1』』より

正直、映画自体には引っかかるところがたくさんあった(今もどこかで生きている主人公のモデルの妹役に監督の心情を語らせるシーンや、“理解ある彼女”が都合よくシャツをはだけて胸を貸すシーンなどには嫌悪感さえ覚えた)。けれど、襲撃事件があってすぐ映画化を構想し翌月8月末には撮影を開始、その翌月9月末の国葬の日に上映を実現させたのはさすがとしか言いようがない。御年84歳、かつては日本赤軍のスポークスマンとして活動した映画監督が、次の世代に問いかける『君たちはどう生きるか』だ。

バトンの所在について。(『君たちはどう生きるか』を観て)

※ネタバレするようなことは書いてないけど、大して気も使ってないから繊細に避けているなら読まないでほしい。

『君たちはどう生きるか』そのタイトルの通り、観たものすべてにその問いが投げかけられていると感じた(一緒に観た私のパートナーは50歳で、その問いの矛先が自分に向いているとは感じず、どちらかと言えば問いを投げかける側だと言っていたけど)。「若い人だけがいつも希望そのもの」、観終わったあとはそんなふうな感想を言い合った。今私たちが生きている世界は破綻寸前(寸前っていうかもう破綻している)で、次の世代がその崩れた世界を積み直す。

その鍵を握るのは劇中のあの少年で、風の谷ではナウシカで、悪意が蔓延る現実世界では悪意ある私たち(34歳の私は、パートナーとは異なる感想を持ち、"どう生きるか”と問われていると感じたから)だ。

宮﨑駿監督は、完成披露試写会の上演後、

「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」

https://book.asahi.com/article/14953353

とコメントを寄せたらしい。映画のタイトルで検索するとネットには「考察」「解説」「ネタバレあり/なし」の文字が並ぶ。監督が訳が分からないところがあると言ってるんだから、考察したって仕方ないと思うんだけど、わかりたい気持ちはわからなくない。でもこの映画には、「わからない」ところから、自分で考えてみることを試されているような気がした。

以上が感想。

しかし毎日クソ暑い。胞子が飛んでいる時の風の谷みたいに、命の危険を感じるから特別な装置でもつけないと太陽が出ている間はおちおち外を歩けない。地球って、こんな風だったっけ。生きている間に気候変動を実感するようになるなんて。

「いつまで清志郎に頼ってるんだ この時代はこの時代でかたをつけんだ」ってマヒト(GEZANの)が歌っていた。バトンはもう、おじいさんたちから私たちの手に移っているはずだ。



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