「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論497」
皆さん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。
~Fitness Business通巻第12号(2004.5.25発行)「日本版カーヴス目指す・Jサーキット」1~※名称等は当時、一部文章省略
一般的なフィットネスクラブのビジネスモデルとは異なる発想からユニークなコンセプト、ターゲットを設定し、独自のビジネスモデルを築き、市場深耕を成し遂げている施設とその経営者を紹介する本コーナー。
第1回目は日本版カーヴス「Jサーキット」(兵庫県西宮市)。
今までの経緯
「Jサーキット」のオーナー、A氏さんは27年間の米国生活を経て約2年前に日本に戻った。
米国の大学院でMBAを取得後、不動産会社やディベロッパー、商社などのビジネスに携わりながら、いつか何かアメリカのいいビジネスを日本に紹介したいと考えていた。
神戸の震災の後にはツーバイフォー住宅を日本へ輸出したり、商社での業務を通じて数多くのものを輸出したが「これ」というものに出会うことがなかった。
そんなある日、Aさんの友人がここ数年急成長してきている「カーヴス」のビジネスを始めたことを聞き、見学させて貰うことにした。
「カーヴス」は女性専用クラブであることから通常は男性は入れないが特別に見せてくれたのである。
この体験がAさんの人生を急転回させることになる。
Aさんの目に飛び込んできたのは70歳近くになると思われる女性が実に活き活きとワークワウトを楽しんでいる姿だった。
周りのメンバーと一緒に全く臆することなく自分のペースで楽しそうに身体を動かしている姿に「これだ!」と思ったという。
その当時、商社に籍を置いていたAさんは、早速、油圧式サーキットマシンの販売代理権を取得し、企画書をまとめて当時勤めていた商社に一つの事業として取り組むことを提案。
しかし、商材がその商社が中心に扱っていたものとあまりに異なっていたことから企画は却下されてしまう。
「それなら」とそれまで世話になった会社を退社し、日本に戻り、同事業を立ち上げることを決意した。
日本に戻ると、会社の設立手続きもそこそこに出店候補地探しを始めた。
「カーヴス」のビジネスモデルを基にしながらもリスクを低減するため出店地を2~3等地の住宅街に絞り、できるだけ家賃の低い物件を探した。
そこで見つけたのが3年間入居者がなかった物件。
しかしこうした物件は意外にもAさんには好条件だった。
立地についてAさんは次のように話す。
「私はこのクラブをできるだけ多くの方々に使っていただけるようにしたいと思っていたので、会費も参加しやすい料金に設定したいと考えていました。そのためには家賃などのコストをできる限り抑えることが必要です。幸いこうした物件は周りの小売業や飲食業と競合することから借りてがつかなかったようですが、Jサーキットはそうしたビジネスとも競合しませんので、既存のフィットネスクラブとも競合しません。適度に小売りや飲食のお店が近くにある住宅地近くの店舗用スペースは狙い目です。」
こうして2003年6月に大阪府豊中市北緑丘に1号店、続いて9月には兵庫県西宮市の苦楽園に2号店をオープンさせた。
~ここまで~
国内サーキットジム1号店は、当時専門誌を読んだ記憶でJサーキット苦楽園かと思っていましたが、北緑丘がそのようでした。
記事のクラブプロフィールによれば、2003年6月オープンで会員数115名、月会費4,800円とあります。
日本のカーヴス1号店からさかのぼること2年前に出店できたのは、米国に居住し、実際の急成長ぶりをつぶさに見ていたからだと思います。
やはり体感を伴う起業には強みがあることを感じさせます。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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