「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論352」
みなさん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。
~Fitness Business通巻第5号(2003.3.25発行)「バブル崩壊後のクラブ業界」1~※名称等は当時、一部文章省略
以前、本誌既刊号に「日本のフィットネスクラブ産業史」と題する記事を書かせていただいたことがある。
この記事は既存のクラブ関係者に止まらず、新規参入組や市場関係者等多くの方々に関心をお持ちいただいた。
記事の執筆から丸2年が経つが、この間、当業界はかつてないほどの変化を経験している。
今後も暫く「再編期」は続くだろうが、編集部はこのあたりでもう一度、産業史をまとめておきたいと考えた。
バブル崩壊以降、とりわけこの数年間の動きと今後、向かうであろう方向を中心にまとめてみた。
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日本のクラブ産業史は1985年から89年まで1年間におよそ200クラブが新規出店するという空前のフィットネスクラブブームに湧いたが、91年のバブル経済の崩壊と相前後して低迷期に入った。
だが、94年後半になると徐々に業績を回復させるクラブが出始め、新規出店数も再び上向き始めた。
再成長の主因は主に適切な立地選定、施設上のボトルネックの解消、施設・サービスに対応した値頃な料金の設定・変更、開発・運営の効率化にあった。
繁盛したクラブはさらに、プログラムやサービスの拡充と一層のローコスト化という一見、相矛盾するっ策を同時に打ちながら、積極的に広告宣伝、営業活動を行って会員数をぐんと伸ばし、利益率を高めていった。
こうして2000年までクラブ市場は毎年およそ1.5%の伸びで成長を続けた。
しかし、このところ1~2年は市場規模成長率が再び横ばい~若干のマイナスとなってしまっている。
時間・空間を限定したいくつかの会員種別の投入等により一時的に集客を進めたものの、それによりクラブの雰囲気が変わってしまい、退会率他の各指標が悪化する方向へと向かってしまった。
一部のクラブは今こうしたことを反省し、より精緻なマスカスタマイゼーションを行い、顧客満足度を高めるとともに、客単価を高めるべく質を重視した経営・運営を進めようとしているが、今のところ、まだその成果ははっきりとは出ていない。
とはいえ、日本経済全体が低迷する中で、クラブ業界は健闘を見せる数少ないサービス業種の1つとなっている。
~ここまで~
今回の記事でも、パンデミック前後のフィットネス業界の流れをそのまま表現したような展開を読み取ることができます。
やはり主要プレーヤーがあまり変動してこなかった業界ゆえに思考・行動も変化対応できなかったということでしょうか。
はっきり言えることは、上記施策の焼き直しで回復できないことは既に2年間の結果として出ているので、同じ轍を踏まないことが何よりも大事だと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。