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「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論551」

皆さん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。

~Fitness Business通巻第15号(2004.11.25発行)「スイミングクラブの成長戦略」24~※名称等は当時、一部文章省略

Ⅲ成長クラブの事例研究

事例研究8「フィットネスに強いパートナーとのコラボレーションで店舗展開」(株式会社ベストスイミングスクール「ベストスイミングスクール」「フィットネスクラブBEST」)

株式会社ベストスイミングスクールは来年3店舗の新規オープンを予定している。
まず6月に北九州市に大人向けフィットネスクラブと子供向けスイミングスクールの空間を分けた施設を、また8月には上尾に大人向けフィットネスクラブと子供向けスイミングスクールをそれぞれ独立させて隣接するという新しい出店形態をとる。
導線を分けることだけでなく施設自体を別々にすることでターゲットする顧客がそれぞれにとことん満足できる環境を提供する。
施設を隣接させておくことでスイミングスクールが持つリスクも軽減できることになる。

同社は昭和59年(1984)に佐賀県鳥栖市にスイミングクラブを共同経営で設立したことに始まり、現在までにスイミングスクールを3施設、フィットネスクラブを2施設展開してきている。
代表取締役会長のK氏は学生時代に競泳に打ち込んだ一人。
高校を卒業してから一般大手企業へ就職が決まり、埼玉県へ上京。
数年後に九州の支社へ抜擢され栄転が決まり九州に戻り、勤務しながらボランティアで子供たちにスイミングを教えていた。
当時は「人口が5万人いて、小学校が4~5校あればプールが1軒成り立つ」と言われていた時代。
K氏は好きな分野でビジネスにチャレンジしようと一念発起し「スイミングクラブ鳥栖校」をオープンした。
当時はスイミングブーム真っ盛り。
K氏の指導力もあって順調に会員数を伸ばした。
そして鳥栖校設立から3年後に独立し、再び埼玉県熊谷市に戻り、念願の関東1号店を、その6年後には上尾に同2号店を、その6年後には鴻巣に同3号店をと順調に店舗展開を進めていった。

この鴻巣店でK氏は、その後の経営パートナーとなる現フィットネスクラブベスト代表T氏と出会う。
この鴻巣店はもともと「三井不動産ハミングスポーツクラブ」として経営されていた施設だったが、T氏がこのクラブが売りに出ている情報をキャッチするとすぐにK氏に提案した。
「K社長、買いましょう」と。
立地的にも鴻巣は既存のベストスイミングが立地する熊谷と上尾の間であり、比較的しっかりした施設であったことからの判断だった。
しかし平成8年(1996)といえば、バブル崩壊後フィットネスクラブも苦戦していた時期、大手企業が次々に撤退するのを見て、K氏は反対。
しばらくの間「スイミング」対「フィットネス」、「競泳の立場」対「女性の立場」での議論が続いた。
同クラブの継承は土地建物すべての購入が条件づけられており、5億円の投資となることもK氏を躊躇させていた。

しかしその一方でK氏はスクールの集客状況に異変を感じていたのも事実だった。
同氏が埼玉県に1号店を造った場所はイトマンスイミングスクール3店舗に囲まれた場所、立ち上げ当時こそ苦戦したが、不屈の営業努力で会員数を右肩上がりに伸ばしてきていた。
ところが、平成8年(1996)に入った頃から、その熊谷店の在籍会員数が下降傾向となったのである。
K氏は改めて考えた。
「少子化は避けられない現実であり、子供のマーケットは必ず縮小する。スイミングクラブ事業を続ける上でもフィットネス事業はリスクヘッジになる」と。

購入後、大のスタジオフリークであるT氏は、施設内のあるスペースに目を付けた。
子供用の体操室である。
T氏はこのスペースを、「空いている時間だけ自分に貸してくれないか」と申し出た。
K氏は「家賃も払ってくれると言うし、どうせ空いている時間なら」と了解。
T氏はお気に入りのインストラクターを呼び、エアロビクスクラスを提供し始めた。
すると、すぐに成人会員が80人集まった。
手応えを感じたT氏は、今度はプールの空き時間を利用してアクアビクスをやりたいと申し出た。
このクラスも着々と参加者が増えていく。
こうなると欲が出る。
大人向けにサービスを充実しようと利用率の低かったベビープールをジャグジーに変えることを提案、さらに更衣室の場所を移して、そこをマシンルームにすることを提案。
手直しするたびに成人会員が増えていく状況にK氏も断る理由を見つけられず、どんどんフィットネス部門が拡充されていった。
この頃にT氏をフィットネスクラブBESTの代表として正式に迎え、以来K氏の経営パートナーとしてなくてはならない存在となった。
T氏はその後も着実に成人会員を伸ばし続けた。
そしてK氏も遂に心を決め、フィットネスクラブ事業に本格的に進出することにした。

~ここまで~

スイミングクラブ事業者とフィットネスクラブ事業者の思考は、ともすれば相反するものとなりがちでありますが、それぞれの長所を活かすことが出来れば、ハードやソフト、そしてヒューマンウェアを効率効果的に共有することが可能になると思います。

従って、代表者がどちらか一方の経験しかないようであれば、記事のケースのように別ジャンルのパートナーを迎え入れることはとても有意義です。

アバター近藤も様々な規模・業態で経営するフィットネス事業会社をいくつか経る中で、立場によって考え方が大きく異なることを実感してきました。
その中で、やはり自分の考えに固執する人、自分の考えが絶対だと思う人は中長期的には活躍できないことを目の当たりにもしてきました。

「偏り」と「こだわり」は表裏一体と言えますので、悪循環に陥っていないか常に自己点検する必要が特にリーダー層は必要になると思われます。

お読みいただきありがとうございました。

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