「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論273」
みなさん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌(元々はクラブマネジメント誌としてスタート)のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。
~クラブマネジメント通巻第36号(2001.9.25発行)「米英のフィットネスクラブ産業史」10~※名称等は当時、一部文章省略
2.英国のクラブ産業史
英国にフィットネスクラブまたはヘルスクラブと呼ばれるマーケットができたのは80年初頭であると言われる。
80年に現在、公開企業となっているホルムズプレイスが1号店をオープン、続いて82年、テニス選手として有名なデビッド・ロイド氏が1号店をオープンした。
これらのクラブは、テニスやプール、フィットネスセンター、スタジオなどを複合させた会員制のクラブで、英国にとっての新しいコンセプトが注目を集めた。
それまでにも英国にはいくつかのタイプの施設があった。
ジムタイプの施設やスカッシュコートのわきに数台のマシンが置かれたスカッシュクラブ、社交場としてのカントリークラブ、そして安い都度利用料で利用できる地方自治体の施設などである。
これに対して、新しいコンセプトの大規模多目的クラブは、その代表的存在であったデビッドロイドクラブの創業者デビッド・ロイド氏の知名度とともに、大ヒットした。
88年にイギリス政府から民営化プログラム(PFI)が発令され、このことも、クラブ業界の成長を後押しした。
同法令により、公共施設の運営権を民間企業が取得できるようになり、公共のフィットネス施設の運営も民間クラブ経営企業の手に委ねられるようになっていった。
こうした機会をホルムズプレイスなどの先行企業が上手く捉えて業績を徐々に伸ばしていった。
90年代初めの経済不況を経て、本格的に業界が成長し始める契機となったのは、93年、デビッドロイドが株式を公開したことにある。
同社は株式市場から約114億円の調達に成功、95年には企業価値が2倍以上の247億円になり、その時点で、ビールメーカーのホイットブレッドに380億円で買収された。
このことが、業界はもちろん金融界の注目を集めた。
そしてこれ以降、金融市場からの資金調達機会が広がったことが、業界企業各社の成長を後押しした。
~ここまで~
英国のフィットネス事情は、専門誌等でもあまり情報として入手しづらく、今更ながらに初期の経緯を知りました。
米国はラケットクラブから、日本はスイミングクラブから、英国は有名テニス選手によって手掛けられたフィットネスクラブがきっかけという様々なお国事情が見て取れます。
金融界からの注目が大きな契機となった点は、米国と同様であり、その点で日本は飛躍するチャンスを得られなかったと言えるかもしれません。
一般的には米英の流れを敏感に感じ取り、日本でも同様の流れになっても良さそうですが、何故そうならなかったのか残念ではあります。
本日もお読みいただきありがとうございます。
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