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44 情景描写が好きなのです
我ながら少し変わっていると思うのだが、わたしは小説の情景描写が好きである。
文字で書いてあることを頭の中でイメージして、自分の脳内にひとつの世界を創り上げる。
もちろん読んでいるものは小説であり、文字でしか書かれていないため、これが正解です!というイメージはない。
きっと一人一人が思い描くイメージにまったく同じものはなくて、みんな少しずつ細かいところが違っていたりするのだろう。
そこに広がっているイメージの世界は、その人がこれまで生きてきた中でいろんなことを経験し、いろんなことを見てきたものの結晶だからだ。
たとえ自分と同じ小説を読んでいる人がいても、その人によって広がっている世界が少しずつ違っていて。でもそこで起こっている出来事は同じで。
その人の中にはどんな世界が広がっているのか。そんな話を誰かとするのが憧れだった。
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人は表に出ていない情報に想いを馳せるのかもしれない。
わたしは小説の情景描写が好きだし、ドラマやアニメなどは、登場人物の佇まいや表情の作り方から汲み取れるその人の心理描写を必死に追っている。
どちらの場合も、みんなが共通して思い描くイメージには若干のずれがあると思うからだ。
もちろんドラマやアニメが嫌いなわけじゃない。きっちりとみんなの中で景色や表情などが固定化されて、わかりやすくもあり、その中に味を感じる部分がある。
イメージに差異がないからこそ、きっと他の人と共有したくなる部分も多いと思うのだ。
でも、わたしは表に出てこない部分が好きだ。
表に出てこなくて、正解がない部分に惹かれる。
きっと、これがわたしの好きなこと。
正解なんて存在しないものに対して、自分の思いをあーだこーだする時間が好きなのである。
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私は空想に耽るのも好きなので、そもそもイメージすること自体が好きなのだと思う。
一種のモノづくり的な感覚なのだろうか。実際のものではなくて、あくまで作り上げるのは文字と、そこから映し出される景色だ。
実際の部材を組み合わせて作り上げるモノづくりとは、近いようで何かが違う気もする。
有形物と無形物であるが、通ずるものは似ている気がするんだけどなあ。
ちなみに、わたしが好きな小説の中には、とても気分が上がるお気に入りの情景描写がある。
眼前に広がっていたのは絶景であった。
黎明のやわらかな陽光の下、うっすらと朝霧がかかり、視界は茫洋として定まらない。まだ眠りから覚めやらぬ温泉街の向こうには、白神山地のゆるやかな稜線が白くかすかに煙っている。ときおり風がきらめいて見えるのは、透徹した朝の日差しが霧の雫に反射しているためであろうか。微かに風が流れ、ときに光が踊る。その下で、神の住まう森といわれた原生林の幽玄の起伏が、陰影と濃淡を明らかにしつつかなたまで続いている。はるか先に目を凝らしても、空と地には境がない。
それは光と水と土とがおりなす一個の奇跡であった。
何度読んでも高揚感が尽きない。自然が織りなす景色が好きなのも相まって、一文ごと風景がより鮮明になっていく。
部分的な小さい領域の情報が、いくつか組み合わさって、大きな領域の情報となっていく。
そこから周囲を見渡せると錯覚するほどの世界が完成されていくのだ。
わたしの脳内で一つの世界を創り出して、遠くから、わたしもその世界の住人となる。
山々の景色を眺め、ゆるやかに通り過ぎる風を肌で感じて、空想と現実の境目がわからなくなって、気がついたらぼーっとしている。
小説といったらストーリーが重要視されるかもしれないが、やっぱりわたしは情景描写も好きだ。
小説の醍醐味とまで思っている。
なので、わたしもこんな情景描写が書けるようになりたいと思う。
いつかそんな日が来ることを夢見て、少しずつ練習を積み重ねていきます。
雪白真冬
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