#28「人間がするべき仕事が問われる時代」

現代社会は人間にとって幸せな世界なのでしょうか?
まだ読んでいる途中ですが、ルトガー・ブレグマン著「隷属なき道」という本の中では、現代はユートピアであると書かれています。
ブレグマンさんはオランダ人なのですが、50年前の平均的オランダ人よりも、現代のホームレスの方が豊かな生活をしているという事実から述べられています。
つまり私達は50年前の人々からみればユートピアに暮らしている訳です。
たしかに、餓死することはなく、清潔な家に住み、安全な水が蛇口から注がれ、水洗トイレで衛生的に暮らし、戦争は遠くの国の出来事です。
もちろん日本は裕福な国ですが、世界全体で見ても、もちろん不幸はあるものの、50年前と比較すれば、ユートピアと呼べる状況にあると思います。

この豊かさは何によりもたらされたのでしょう?
これは技術革新であり、単純に一つの労働で1つの成果が生み出されたいたものが、1つの労働で10の成果が生み出されるようになっているからです。
そして、その技術革新は今でも継続されており、AIやロボット技術の進化は止まらず、人の仕事がAIやロボットに則られる!という危機感さえあります。
これを私達は「危機」と捉えるべきなのか「幸福」捉えるべきなのか、ですが、私は「幸福」と思っています。

先に技術革新で1の労力で生み出されるものが10になっていると例えました。
この数値は架空のものですが、では、私達の仕事量は減っているのでしょうか?
現実には朝から夜まで働いており、人の労働は減っていません。
むしろ、どんな状況でも仕事ができてしまうので、仕事量は増えているかも・・・
では、この私達のしている仕事は本当に必要な仕事なのでしょうか?
仕事をしないといけないので、仕事のための仕事を造っていないでしょうか?
よく思い浮かべてみると、本当に必要な仕事というのは、自分がしている仕事の中のごく一部だと気付きます。

つまり、山口周さんが「NEW TYPE」で述べているところの「くそ仕事」が増加し、私達の本来なら技術革新で削除されるべき仕事を補って、仕事量が減っていないのだと思います。
これは「仕事は義務でありやらなければならない」「働かざる者喰うべからず」といった、これまでの固定観念の弊害であり、「真面目」を評価基準にしてきたくだらない「常識」による幻想なのだと気付きます。
資本主義や政治、法律等のシステムが、現代の技術革新を前提としたものに改善されたとき、人の労働時間は本来必要な労働時間になり、これは一日3時間ぐらいになるのではないかと思います。

では、両手放しで、やったー!一日3時間労働でいいんだ!ってなるかというと・・・ここが「人間がするべき仕事」を3時間するということであり、私をはじめとして組織で働く人間にとって、実はとても厳しいものだと思います。
くそ仕事はAIとロボットで自動化されるとすると、社会ですでに問題とされていることは、自動的に解決されるわけです。
残された仕事は、問題を見つける能力と、新しい価値を創造する能力です。
これが人に残された仕事であり、イメージとしては「無から有を生み出す」仕事ということになります。
想像してみてください・・・これはかなり難しいです。

人間はパターン行動、習慣行動をすることは簡単です。
朝起きて、顔を洗って、歯磨きをして・・・いつもの通勤路でいつもの時間に通勤して、いつものオフィスでいつものような仕事して・・・・
こういうのに慣れてしまっているサラリーマンが、突然「創造することが仕事です!」と言われたところで何ができるでしょう?

サラリーマン仕事がくだらない「くそ仕事」の連続であることは多くの人が気付いていて「なんでこんな無駄なことをしないといけないのか・・・」と思っていると思います。
しかし、この「くそ仕事」をしなくて良くなったという時、私やあなたはどんな仕事・創造をするでしょう?
今後の未来に起こる変化として、今から取り組まなければならないと思います。

本日もご視聴いただきありがとうございました。
ではではまた。

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