フィッシャーマン・ジャパン担い手担当・高橋由季
フィッシャーマン・ジャパン(以下FJ)事務局の中では数少ない生まれも育ちも石巻の高橋由季さん。東京の大学に進学するために一旦石巻を離れましたが、転職で石巻に帰ってきました。
彼女はなぜ東京から石巻へUターンをし、FJに就職するという決断をしたのでしょうか。
■Uターンの選択とフィッシャーマン・ジャパン
FJに就職する前は東京の出版社で日々を過ごしていた彼女。しかしその時もいつかは家族が暮らす石巻に戻りたいと思っていたと言います。
仕事が区切りを迎えた2017年、Uターンを決意。石巻での仕事探しの条件は2つ。ひとつは、東京で積み上げてきたスキルを生かせること。もうひとつは、震災で傷ついた故郷・石巻のためになること。ちょうどその頃、FJで人材を探していることを友人に聞き、紹介を受けます。水産のまち・石巻で生まれ育ちながら、水産業の知識は全くなかった彼女。それでも、自分の知らない世界に興味を持ち、やったことのないジャンルだからこそ、挑戦してみたいという思いに駆られ、FJに飛び込みました。
『なにかを作ったり、写真を撮ったり、文章を書いたり、誰かに伝える』ことが好きという彼女。石巻のようないち地方、そして水産業の世界には、まだまだ世に知られていない、伝えるべきものがたくさん眠っていると感じたことも、この仕事を選んだ理由だと話します。
「話すこと、書くこと、伝えること。自分の好きなことは変わらない。私自身、FJの仕事を『水産業の仕事』と意識しすぎていないのが、逆にいいのかも」
好きなことを活かせる場として選んだFJの仕事。そして、FJに対する思いがもうひとつ。彼女がFJに入った頃、事務局スタッフは、震災後に移住をした人いわゆる「よそから来た人」で成り立っていました。
「これだけこのまちの産業のためにやっている人が、みんなよそから来た人。ありがたい気持ちと同時に、申し訳ない気持ちもあったんです」
石巻のことを強く思いながら活動している団体に石巻で生まれ育った人がいないという事実に少し寂しい思いがあったのではないでしょうか。そして、水産業について知っていくうちに仲間や漁師たちがどれほど熱い思いで水産業と関わっており、そして水産業の未来のために行動していることに、彼女自身も影響を受けてしまったようです。高橋さんは水産業という手付かずの分野を変えていけるチャンスの中に自分はいるのだと楽しそうな表情を見せていました。
■生活の一部として
高橋さんが今中心に行っている業務として、担い手育成事業(TRITON PROJECT)があります。今まででこのプロジェクトを通じて多くの担い手が誕生しました。この事業自体は数人のチームで行っていますが、高橋さんはその中でも石巻エリアを中心に担当しています。
高齢化や後継者不足などによる漁師の減少が目立つこの水産業。そんな中、漁業に興味を持ってくれた人と、人手を欲している漁業、水産関係者を繋ぎ、未来に繋がる産業にするためにこのプロジェクトがあります。それを運営する一員として、高橋さんは奮闘する日々を送っています。
「ずっと東京で働いてきて、大きな仕事もたくさんしてきました。でも、石巻にいるからこそできる仕事もあるし、必要とされることも多くあります。このまちを選んで全国各地から若者がやってきてくれるのも純粋にうれしいですね。それから、地方のいち企業がやっているからこそ、注目されることや、応援してもらえることも多くて。東京にいたら出会わないような人とたくさん繋がることができるのも、このまちで働く魅力の一つと感じています。」
■最後に、この場所に魅力を感じた人へ
「やっぱりここで働くのであれば、人と関わることが好きな人の方がいいかも。人とのコミュニケーションのもとで仕事が成り立っているので、そういうのが苦じゃない、フットワークが軽い人の方が楽しんで仕事ができると思う。」
漁師さんであれば、お客さまというより、一緒に水産業を変えていける “仲間” として関わることが重要です。悩み相談に乗ったり、頑張ろうとしていることを心から応援できる1人の仲間として。
またFJの本拠地「TRITON SENGOKU」の2階は働くためのスペースとなっています。しかしオフィスとしての堅苦しさは感じさせない、暖かくて居間のような、そんな光景がそこにはあります。
「この空間は仕事というよりかは生活の一部みたいになっちゃってて、切り離せていない。部活みたい。」
ただのFJの一員として日々を過ごすわけではない、みんながそれぞれの志を持っており、楽しくそして何より本気で日々と向き合っている、そんなメンバーの一員として、彼女は今日も働いています。