「ボカロで覚える中学英単語」を読んで

“知り合いのイタい投稿を晒して笑いあうアレ“がめちゃめちゃ苦手だ。

皆さんに黒歴史はあるだろうか?おそらく多かれ少なかれ誰もが持っていると思う。実際私はめ〜ちゃめちゃある。小学校高学年から今までの各時点に散りばめられている。実際の会話やSNSの投稿、中学時代先生に提出する日誌に書いていたアレコレ等、死ぬほどある。そういう忘れられない強烈な行いの断片が集まって、私の10代の記憶を形成している。言ってみれば私にとっての青年期とは、「あの頃の思い出したくない恥ずかしい思い出達」なのだ。

何が言いたいかと言うと、“知り合いのイタい投稿を晒して笑いあうアレ“、もうやめませんか、ということ。バカにするなって意味じゃなくて寛容になってほしいってことね。確かに私も知り合いのイタい投稿を見たらニヤニヤするし、きっと内心バカにする。でもそれを晒し上げる必要は(おそらく)ない。あいつらだっていつか絶対に「あの頃の自分って……」って気づくし、なによりそれを否定してバカにしてしまうと、私たち自身の過去を否定することになってしまうからだ。

思うに「イタい投稿を晒してバカにする風潮」は、彼ら自身の過去の恥ずかしい行いを否定し、目を背けたいと思う気持ちと、集団で個を批難しようとする同調圧力が原因なんじゃないか。少し前まで私も“そっち側”だったから、気持ちはなんとなくわかる。
黒歴史というのは、若気の至りであって、成長過程である、と私は思うのだ。だからそういう種の”痛々しさ”をむやみに否定して、「やっちゃいけないこと」というレッテルを貼るのはやめませんか。“痛々しさ”を悪とすること自体、やめませんか。

SNSが身近になって、今では誰でも気軽にお気持ち表明ができる。インターネットを使いはじめる年齢だってすげ〜若くなってる。SNSを使っている人の中にはネットリテラシーに精通していない人だっている。むしろ若い世代はそういう人の方が多いかもしれない。画面越しに見ている人たちが全員「そういう時期を経験して、”痛々しさ“を知っている人間」ではないのだ。

“痛々しさ”がデジタルタトゥーとして形に、データに残ってしまう、私たち若い世代はそういう時代で生活している。きっと上の世代の人間も(現代のように形には残っていないだけで)黒歴史を持っているはずなのだ。人間であれば誰しも経験するであろう“痛々しさ”を忌避するのはもうやめよう。「そういう時期あるよな…」って思おう。


追記: 今後私が“イタい”ツイートをしても目を瞑ってください。

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