たかはし

日々のこと

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不世出の英雄

※初めにこれは完全に主観であり、語句は感覚的に使っているだけなので、文中の抽象表現ははっきり定義されているものではないです。ご理解ください。 私は他者を判断する時、彼(仮)の“表出された言動”でしか彼のパーソナリティを判断することができない。その“表出された言動”が彼の思考と異なっていた場合は、なおさら彼の思考を読み取ることは出来なくなる。その前提を理解していながら、今まで私はこの事象を自分自身に当てはめて考えていなかった。「なんで俺のすごさに誰も気づかないんだ」といじけ、

    • 田舎のヤンキー

      ある程度親しくなった人とどんな話をすればいいのかわからない。お互いがお互いの身の上を知っている状態では、「初対面の時以上の新鮮さを持つ話」なんてできるわけないのだ。 僕が人との会話で重視している点は、新しい情報を得られるかどうか、である。初対面であれば、どこに住んでるとか、普段何をしているとか、まだ知らないことが沢山あるから話していて楽しい。身の上をある程度知っていると、相手から与えられる情報量がどんどん少なくなる(また相手のレスポンスもある程度予想できるようになってくる)か

      • これは多分、書き留めておくべきこと。

        社会・他人に迎合し続けることが大人になるということならば、僕は一生子供のままだ。今のところ。でもそれを良しとしているわけではない。空気を読んで話を合わせることも目上を持ち上げることも、自分が今後得をするために必要な行為なのだ。それを理解しているからこそ、できない自分に落ち込む。僕だってどこかの物語のような恋愛がしたいし、仲良くない人との飲み会も楽しく過ごしたいのだ。努力もできるだけしてきた。でもその努力(=迎合)をすればするほど、途方もない絶望が襲ってくる。迎合することで得ら

        • 「ボカロで覚える中学英単語」を読んで

          “知り合いのイタい投稿を晒して笑いあうアレ“がめちゃめちゃ苦手だ。 皆さんに黒歴史はあるだろうか?おそらく多かれ少なかれ誰もが持っていると思う。実際私はめ〜ちゃめちゃある。小学校高学年から今までの各時点に散りばめられている。実際の会話やSNSの投稿、中学時代先生に提出する日誌に書いていたアレコレ等、死ぬほどある。そういう忘れられない強烈な行いの断片が集まって、私の10代の記憶を形成している。言ってみれば私にとっての青年期とは、「あの頃の思い出したくない恥ずかしい思い出達」な

        不世出の英雄

          明日はあるけど未来はない

          つくづく大学生ってダサいなーと思う。大抵が親のスネかじりだし、サークルも部活も“大して努力しなくていい遊びの範疇”で満足するし、しまいには酒だのタバコだの、変なところばっかり大人になろうとする。子供と大人の悪いところを詰め込んだ最悪の存在だ。それに大学生には変な“あきらめ”がある。“現実的”、“大人になった”なんて言えば聞こえはいいけど、高校までに飛び抜けて打ち込めることもなかったし大学で適当に遊んで卒業したら就職しよう、みんなそうだし、って言い訳してるだけじゃないのか。意志

          明日はあるけど未来はない