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人のふり見て我がふり直せ

昨日、帰宅する電車の中で「がっかり」の場面に出くわして、色んなことを考えさせられた。

昨日はなぜかスマホを扱うことなく、外の景色や車内の広告などを眺めながら立っていたのだけど、車内を見渡してみると、老若男女問わず8割の人はスマホを扱っていて、下を向いている。
いつもの自分もその一員なので、はたから見たらこんな風に見えるのかとちょっとゾッとしたところからスタートした。

そしてすぐさま「がっかり」の場面が訪れた。

乗った電車は快速電車で2人掛け席が2つあるタイプだったのだけど、停車駅で窓側の人が降りて行ったので別の新しい人(以後、Aさん)が席に座ろうとするところを眺めていたら、通路側に座ってる人(以後、Bさん)が窓側に移動しないので、荷物が多いAさんは 「すみません、すみません」 と言って難儀しながらBさんをまたいで窓側に入りこむのだが、中々荷物が邪魔して入れない。

時間が掛かったもののBさんは席に座れたので良かったけれど、僕の気持ちは凄く気持ち悪い。

●なぜBさんは窓側に移動しないのだろう。
→これはBさんが次の駅あたりで降りるなら仕方がないか。
でもBさんはAさんよりも身軽だよなー
〈がっかり①〉

●なぜBさんは通りにくそうにしているAさんのために立ち上がったりしないのだろう。
→Bさんは忙しなくスマホを扱っていたので急ぎの連絡があるのであれば仕方がないか。
でもそれでもちょっと立ち上がるぐらいできるよなー
〈がっかり②〉

●「がっかり」の極め付け
Bさんのスマホ画面をみたら忙しなく手を動かしていたのはスマホゲームのためだった。

結局、BさんよりもAさんの方が先に降りることになり、乗り込む時と同じパターンでAさんは難儀しながらBさんをまたいで降りて行った。

Aさんはどんな気持ちでこの時間を過ごしただろうか。
沢山の荷物は楽しい時間を過ごした後のことなのか、これから始まる楽しい時間のためなのかわかるはずもないのだけれど、凄く寂しく、悲しい気持ちになったのではなかろうか。

Aさんと同じようにBさんの1日がどういうものだったのかわからないし、電車内でのスマホゲームがBさんにとってとても大事な時間なのかもしれないけれど、少なくとも優しい社会の姿ではないと思った。

偉そうなことを言っているけれど、僕も本を読んだり、スマホに夢中になってBさんと同じようなことをしたことはなかったかと問いただす。

こういうちょっとしたことを一人ひとりがやっていければ、間違いなく優しい社会になっていくはずだ。

まずは自分から。
『人のふり見て我がふり直せ』だ。

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