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【大学生風俗嬢の日記】とりあえず従っとくって性に合わない。


こんにちは!

先日友人と赤坂で期間限定でやってる【ルール展】に行ってきました。

沢山の展示物と共に色々なことを考えさせられたので、記録に残していこうと思います!


ルールとは【この場における決まり】である。
では、その決まりというものは誰のために作られた存在であるのか、あらためてここで問いただしてみましょう。

例えばレジ待ちにおいて足元に示されている案内に沿って、先着順に並ぶルールが発生します。それは先に会計しに来た人が、後から来た人よりも早く会計に進めるよう、視覚的に分かりやすくするためのルールです。
このような順番待ち等のルールは消費者のために作られたルールのように思えるが、実はそれだけではありません。

そこにいる店員の負担軽減も考慮されています。誰が先だったのかお客さん同士で揉め事になった場合、どちらを優先させるのかの判断はその場にいる第三者。つまり店員が下さなければなりません。どちらの肩を持っても角が立つし、自分も見ていなければ判断のしようもないですよね。
バイトであっても、やる事の多い仕事であるにも関わらず、そんなことのため時給が消費されることを企業も望まない。だから、消費者が自らのために主体的に行うことができるよう、分かりやすく表示されているんです。
一見使う側のために作られたルールも、実はルールを作った側の都合で作られていることは、往々にして起こり得る。ってことを色んな展示物を通して感じ取りました。


ここからは私の感想に移ります。

私たちの暮らしは日々文明の中で進化し続けています。
ネットに個人情報を載せるなと注意喚起をされた世代は今やSNSで出身も学歴も顔写真も晒すし、知らない人とも平気で繋がり、出会うことができる時代です。

初めはうどんみたいだ!と馬鹿にされていたAirPodsも、今や誰しもが素知らぬ顔で付けています。なんならドヤ顔で。
進化し続ける過程の中で、価値観や慣習が変化するのは皆当然のように受入れられますよね。
この短い人生の中でも前と変わったなぁと思うことはとても多いです。




では、法律は?
大勢の人間が共存していくために、必要不可欠な国の中で最大のルール。作った時代では必要なものばかりかもしれない。
しかし施行後、正しいフィードバックを行なっているのは一体いくつなのでしょうか。
法律を作る立場の政治家や官僚は、誰がどのぐらい困まっていて、有限である社会資源の配分をできるだけ多くの人が享受できるよう考える責任があります。様々な事情とリスクを天秤にかけ、頭を働かせて。
だから聡明で決断力のある優秀な人が求められる。こなせる人が限られています。決して私みたいなチャランポランが務まる職業ではないです。



でも熟考した上で作られた法律は、全て100%正しかったのでしょうか?
施行後に正しかったのかを評価するのは、それを考えた政治家でも官僚でもなく、ルールを使う側の国民なのではないでしょうか。



作るのは難しくとも、それを評価するぐらい私にだってできる。
良かったら継続して、何か悪かったら改善点はまた偉い人が考えればいい。それが仕事なんだし。



選挙以外で国民に是非を問う機会が与えられないのはなぜなのでしょうか。選挙のように厳格でなくても、今はマイナンバーもある。大抵誰しもがインターネットに触れることができる。以前よりもやろうと思えば評価を問う機会は簡単に作れるはずです。 
聞かないのはなぜか?
理由は簡単で、作った側の都合でしかない。ルールを作る!までがゴール(実績という意味でも)で、そのアフターケアまでは眼中にない。法律というめちゃくちゃデカいルールも、誰のためかというと作った側本意であることが言えますよね。
(レポート?)


価値観や暮らしが数年単位で変動しているにも関わらず、施行後ろくに評価・改変せずに行使し続けている檻の中で私たちは生活しています。
ルールとは何か。古来より伝わる基準が本当に正しいのか。何に従うべきかを考えて、選択しながら生きていく必要性をあたらめて感じました。


先生の言う事、大人の言うことが正しい!がモットーの学級委員長みたいな子がいたけど、誰かに責任丸投げで何も考えずに行動に移せるの凄いなぁと思ってたのを思い出したルール展でした。

 



めっちゃ性格悪!!!!!!!

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