〔読書録〕人間の死に方を読んで
今回は、タイトルを読んで考えたこと、感じたことをまとめておきます。
著者は久坂部羊さん、内容は医者である父の生き方と介護、看取りまでをまとめたもの。著者自身も医者でありながら医療を信頼していない父の医療との付き合い方、死への向き合い方が描かれています。
この本を読んで私が感じたことは二つ。一つは死への恐怖がどこからくるのか。もう一つは関わる人の心理状態がケアされる側の介護度を左右すること。
一つずつ考えていきたいと思います。
○死への恐怖と宗教観
人は分からないこと、知らないことには不安や恐怖を感じるようにできています。それは生存本能とでもいうか、未知のものはどれくらい危険を孕んでいるか予測がつかないので、自分の生命が脅かされる未知のものに対して恐怖を感じるようインプットされているのです。
死ぬことについても、誰も経験したことがない(仮死体験などはあるとして数は多くない)ので、未知のもの=怖い、と感じるのでしょう。
しかし、死はいつかは誰にでも訪れるもの。
この「体験したことがなく不安だけど避けられない道」という体験。この感覚を考えた時に思い出したのが自身の出産でした。
私は子どもを二人育てていますが、一人目の妊娠の時、出産の痛みがどれくらいのものなのか分からないので不安な日々を過ごしていました。
出産の痛みは一般的に「鼻からスイカが出るほど痛い」と言われていますが、体験したことがないから想像しかできないし、鼻からスイカなんて鼻が裂けるに決まっているし恐怖でしかない。
臨月になり、いつ生まれてきてもおかしくないという状況になっても、その時がわからないので、毎日をドキドキして過ごすしかありません。
そんな日々が続いたある日、「まだ起きてもいないことを不安に思っても仕方がない。その場がきた時にやるしかないのだ」という気持ちになりました。
それは開き直りと言えるかもしれないし、覚悟を決めたとも言えるし、全てを委ねよう、という心持ちになりました。
先のことを心配しすぎて、今、毎日不安でいっぱいの日々を過ごすのは自分で自分を苦しめているだけのような気がしたんです。
この感覚を死に対する気持ちに当てはめた時、死への恐怖に怯えながら毎日を過ごすよりも今をどのように生きるのか、を考えることに繋がります。
死への向き合い方として、著作の中で父は無為自然を大切にしていますが、キリスト教は肉体は滅びても魂は永遠に生き続ける、と言い、仏教は輪廻して生まれ変わると言われています。死生観も、何を信じるかによって形成されるのだ、という気づきもありました。
死ぬことへの恐怖心を、生前の行いによって救われる、と説いてくれたり、神を信じる心がある人が死後の世界も穏やかに過ごせる、と説いてもらうことで少しでも和らげたり受け入れたりすることができる。そこに宗教の本質というか、受け入れ難い、でも自分ではどうしようもできないことを神の力や神の名を使って受け入れられるマインドを作る素地があるように感じました。
○認知症への強迫観念
テレビやCM、新聞などのメディアでは「認知症予防に効果的!」といった文面をよく見かけます。認知症になると物忘れがひどくなり、自分の子供の名前もわからなくなり、一人で徘徊したり、、、とネガティブなイメージで溢れているように感じます。
ですが、著者は「物を忘れていくということは生物の老化として当たり前のことで、必要以上に恐れる必要はない」と述べています。
それよりも、周りの関わる人の心理状態が認知症のある人の介護度に左右する、と。医学的根拠はないとしていながらも、それは大いに共感できました。
私は障がいのある成人の生活支援員をしていましたが、介護現場での自分達支援者の精神状態が的面にご利用者の精神状態に表れるのです。
例えば4月。職員の入れ替わりや新人職員が入ってきて、新人指導や普段と違う雰囲気で職員がバタバタしていたり、気持ちがさざなみだっていると、ご利用者にもその雰囲気が伝わって、落ち着きがなくなったり、イライラした声出しが出たりします。
普段、言葉でコミュニケーションをしていると気が付きにくいですが、私達は言葉以外でも相手の動作(扉をバタンと閉める)、表情(眉間に皺が寄っている)、などで相手の感情を読み取ることができます。
認知症で記憶が飛んだり、自分がどこに居るのか分からなくなって不安に感じている時に、周りの人がイライラしたり怒ったりするよりも、穏やかに接することができると本人も安定した精神状態を保つことができるのではないか、と思います。実際に認知症のある方と密に関わったわけではないので、あくまで私の推察ですが。
なので、認知症が良くないのではなく、認知症をどんなものか知り、それに関わる人の精神状態が穏やかであることが、認知症のある人を取り巻く環境に必要なことなのではないかと思います。実際そうは言っても、と言われることかもしれませんが、支援する人を支援する人になりたい、と個人的に考えている私としてはそれが関わる人みんなが幸せになれる方法なのではないか、と現状考えています。
○自分の死生観を考えてみる
出産の中でも書きましたが、まだ起きていないことを考えて不安に思うよりも、今を生きるという価値観は仏教的な思想だと思います。
無為自然、全ては自然のあるがままに、という価値観にも共感します。
瞑想やマインドフルネスで言われる「今、ここにいる」という感覚を持って今を生きる、というのは先の予定や時計を行き来できるようになった現代では意識的に行わないと忘れてしまう感覚なのだということにも気が付きました。
スティーブ・ジョブズが毎朝「もし今日が最後の日だとして、今からやろうとしていたことをするだろうか」と自分に問いかけていたように、私も自分に問いかけて今日を生きようと思います。
おわり。
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