見出し画像

雑兵の星 第三話

 米がなくとも銭があればどうにでもなる。しかし銭がない。
 まさか仲間の者が……と思ったが、あの連中が姑息な真似をするだろうか。左吉は頭をぶるりと振った。
 腹は正直なもので、食べ物を入れてくれとぐうぐう鳴いている。仕方なく山へ食べる物を探しに入り、半時ほどかけて大きな山の芋を掘りあげた。左吉は野宿している大樹の根元に腰かけて手に入れた山の芋を齧った。
 しばらくすると、はらり、はらりと青い葉が落ちてきた。奇妙に思い見上げると、ふたつの目玉がぎょろりと見えた。そして上からドドドっと何かが落ちてきた。
「ひいっ」
 何が起きたのだ。左吉は頭を抱え身を硬くした。衝撃で地面が揺れた。
「旨そうだな。ワシにも分けてくれ」
 おそるおそる目を開けると、見たこともない大男が目の前に立っていた。黒い顔で髭だらけだ。
「な、なぜ木の上におるんじゃ……」
「寝床だからな」
 しぶしぶ山の芋を割ってやると、男は嬉しそうに両の手を出した。それから左吉の前に腰を下ろし、しょりしょりと山の芋を齧る。あっという間に食い終わってしまった。
「木はいいぞ。盗っ人に襲われずにすむ」
 ぎょっとした。もしや木の上から盗っ人を見ていたのか。男は左吉の心の声が聞こえたように口角を上げた。
「真っ暗で見えんわ。だが馬鹿正直な者は、またやられるだろうな」
 横の木を指さして「こっちの木もいいぞ」という。つまりは木の上に住まえというのか。
「木から落ちたりせんのか」
「縄で腹を縛れば心配ない」
「ずっと木の上におるのか」
「遊んでいるわけではない。敵を待っておるのだ」
 左吉は首を傾げた。左吉の怪訝そうな顔を見た男は「見ておれ」と言い、するすると木に登った。そして懐から小刀を取りだし動かなくなった。何を狙おうと言うのだ。
 少しして凝視する木の根元に狙いを定め、一気に飛び降りた。一瞬のことだった。そして何かに命中する鈍い音がした。
「うわあっ」
 左吉はその素早い動きと音に驚いて声が出た。そぉっと覗き込むと後ろ姿の隙間から小動物の足がピクピクして見えた。兎のようだ。
「見事じゃろうて」
 男は歯を見せた。鮮やかな手際と思うが敵とは大袈裟ではないか。
 左吉のようすをみて男は咳払いした。
「今のは試しじゃ。敵がくれば肩に飛び降り、急所を殺る。ほれ、こういう具合に」
兎の血が滴る小刀で首を刺す仕草をする。
「やめんか」
「なんいうとる。頭つかわんと首なんて取れるかいな。木を降りる勢いで刺すと力が増すぞ」
 左吉は身震いした。たしかに山で生きる者にとって兎は貴重な食糧だ。左吉も罠をしかけるが人となると話は別だ。
「どれ、ワシが仕込んでやる。爺は木の下にいろ」
「と、とんでもにゃあ、乗られたら骨が折れてしまうわ」
 男は舌打ちした。それから二人して兎を焼いて食べた。
 腹が膨れた安心からか、いつしか二人して身の上話をした。男は弥兵衛と名乗り、もとは下級の侍だったという。歳は左吉より二十ほど下だろうか。
「前の大将は敗けた。じゃが此度は勝者について武功を上げるんじゃ」
「そうだったか。間者なのかと思ったわい」
「間者? わはは、それもいいのう」
 弥兵衛は顎ひげを揺らして愉快そうに笑った。いつも木の上で過ごして仲間と馴染もうとしないようだが、人は良さそうだ。
「あんたは? なぜ戦にきた」
 そう訊かれた左吉は視線を落とし、焚火の残りを枝で突いた。
「儂はもともと百性じゃて。だが狼藉者が来て家に火をかけられてな。田圃におった儂ら夫婦は無事やったが、すべて失のうた」
 昔の話をすると辛くなった。昨日のことのように思いだす。
「そんで山に住まいしてな。女房に苦労をかけて今は臥せっておる」
「ふーん」弥兵衛は遠い目をして黙ったが、また話を続けた。
「扶持をもらったら薬を買うてやるのか」
「それもええじゃろうな」
 左吉は濁した。弥兵衛が話を続けた。
「戦の総大将は織田信長の嫡男らしいな」
「まことか? オダノブナガではないのか……」
 左吉は肩を落とした。それでは武功をあげても無駄ではないか。
「まあ、そのうち信長も来るかもしれんがの」
 弥兵衛の言葉は左吉の耳に届いていないようだった。

 深夜、太鼓が鳴り響いて法螺貝の音が木霊した。
「逃亡者だっ」誰かが叫ぶ。
 松明が焚かれて物々しい山狩りが行われた。兵たちは手柄を求めて我先に駆けてゆく。出遅れた左吉はひとり斜面に取り残された。
 突然、地響きがしたかと思うと斜面を人が転がり落ちてきた。数人の逃亡者が血相変えて突進してきたのだ。左吉はその場から逃げだしたかったが、上役に指示された通り、槍の柄を脇に抱えて目を瞑った。
――笠を深く被って前を見るな。槍は脇にはさんで突っ走れ――
 そのまま懸命に突撃をかけた。前は見ていない。ズブリ。槍に手ごたえを感じて目を開けると、敵の顔がすぐ真ん前にあった。
 驚いて槍を引き抜こうとしたが、血で手元がぬるぬると滑り、勢いついて尻もちをついた。ガシャッと響く甲冑の音がした。尻の下には違う骸が転がっていたのだ。
「ひいっっ」
 飛び跳ねた左吉は周りをみて驚愕した。騒ぎを聞きつけて戻った兵が死に物狂いで闘っている。恐ろしい。力が抜けて槍を手放した左吉は敵とは逆方向に走りだした。山を横断してさらに下に駆け降りた。
 喧騒から離れた頃にようやく小川に辿りつく。返り血を洗うため流れに入り、手や脚、顔を洗った。川はみるみる真っ赤に染まってゆく。躰の震えが止まらない。水が冷たいわけではなく、さっき槍で殺した敵の顔が瞼から離れないのだ。怖い。戦はしょせん殺し合いだ。左吉は大きな岩に隠れるように身を潜めた。なんてことをしでかしたんだ。儂は人を殺したのだ。
 辺りはすっかり陽が落ちた。その頃には落ちつきを取り戻すが、戻る気はすっかり失せていた。
 そうだ。女房のもとに帰ろう。決意して立ち上がると、敵の顔が脳裏をよぎった。駄目だ。このままでは帰れない。
「あの者を弔ってやらにゃあ」
 仏を埋めてやろう。左吉は考えた末にそう決めた。
 
 夜明けの靄立つ中、左吉は山の斜面に立っていた。静かだ。昨晩この場で起きたことが幻のように思えた。しかし辺りは血なま臭く、骸が幾つも転がっている。
 視界が悪いのが幸いした。まともに見たら正気ではいられまい。左吉はその場で両手を合わせ、目当ての骸を探しはじめた。すでに身ぐるみを剝いだ骸もあった。
 陽が差し、靄が晴れてきた。すこし離れて人の気配がした。骸を起こして戻すことを繰り返している。顔は見えないが、武具を盗みにきた者らしい。
 向こうもこちらに気がついたようだ。盗みを咎めようと思ったが、怒りを買えば命を狙われかねない。気にしないことにした。気配とは方向をかえて骸を探していると、脇に槍が刺さったままの骸をみつけた。左吉の槍に違いなかった。
 骸は無念そうに顔を歪めたまま息絶えていた。苦しかったろう。この男にも家族はあったろう。持ってきた木の板で土を掘り、心を込めて土をかけた。やがて左吉は疲れ果て、その場に座りこんだ。
「おじいさん、何しているの」
 背後から声を掛けられ、左吉は飛びあがるほど驚いた。
 目の前に小袖姿の女子が立っていた。手ぬぐいで髪をひとつに纏め、手に武具をぶら下げていた。歳は二十四、五というところか。
「なにって……弔いさね」
「弔い? その骸は知り合い?」
「まあ、そんなものさね」
 左吉の目はおのずと女子の武具へ向く。やはり盗んだ物に違いない。
「そいつは、どうした」
「こいつのことかい?」
 女子は手に持った武具を持ち上げてみせた。
「説教ならよしとくれよ。おじいさんも盗みくらいするだろ」
 女子はふふふと笑う。左吉は呆れて言葉を失なった。もう話すことはない。骸を弔って気も済んだ。左吉は寝床へ帰ろうと重い腰を上げた。
 後ろからカッシャカッシャと音がする。女子がついてくるようだ。しかし気にも留めずに足を運び続けた。
 寝床に着く頃には音はしなくなっていた。

〈続く〉


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?