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どうして武蔵美に入ったのか

どうして武蔵美に入ったのか。
私は美大生によくいる「小さい頃から絵を描くのが好きだった」という子供ではなく、絵を書くのが好き、というよりは手を動かすことが好きな子供でした。
小学校4年生の時に、アランジアロンゾ のフェルトのマスコット作りの本に出会ってからフェルトの小物作りにハマったり、中学生の時にはクラス旗を制作したりしていました。しかし、飽き性なので関心のあることがコロコロ変わり、美術においてこれといった強みはありませんでしたし、美術予備校にも通っていなかったので、私の絵を描くスキルは高校までの教育で培ったものでした。
それでも大学に進学を決めた時に美術に関することをしないと後悔する、と思い、一般大学と同じ勉強で目指すことのできるクリエイティブイノベーション学科(以下CIと略します)を目指しました。
何となくでも美術に関することをしないと後悔する、と思っていたので滑り止めの大学も芸術学部を受験していました。

私が志望校を武蔵美に決めた大きな要因は、純粋に武蔵美に行ったことのある回数が一番多かったからです。
母親に連れられて行ったのが始まりで、オープンキャンパスや学園祭で武蔵美には何度も足を運んでいました。
高3の時オープンキャンパスに行こうとしたら、もう行かなくていいでしょ、と言われたのをよく覚えています。
武蔵美には私が行きたい、と言ったのか母が武蔵美に興味があったから私を連れて行ったのかどうかはよく覚えていませんが、今思うと足を運んだ回数が多かったからこそ、当時思い描いていたのは大学生活というのは武蔵美での大学生活だったのかもしれません。

また、私が武蔵美を受験したのはCIという筆記試験だけで入れる学科があったからです。
美術に関することをしたい、という漠然な思いを持っていましたが、同時に一般大学も受験したいと思っていたの、筆記試験の勉強をメインにした受験勉強をしていました。

同じ部活の友達の中には美術予備校に行きながら、学科の勉強もして、多摩美に行った子もいましたが、私には難しかったように思います。

CIに入ってから

私は入学前、CIに入れば絵を描けるようになると思っていましたが、実際は絵が描けるようになれる勉強をする学科ではありませんでした。
それでも、学年が上がるごとに自分でできることを増やすことができたのがとても良かったなぁ、と思います。
就活でもよく専攻はなんですか、と聞かれるのですがCIに専攻はありません。
そのため、私はよくつぶつぶというボールペン画をやっていました、と言うか人と人とを繋ぐ仕組みづくりを課外活動でやっていました、と答えていました。

私が4年間所属した学科であるCIというのは、ざっくり説明すると1、2年生で武蔵美の他の学科のことをかいつまんで全般的にやってみて、3、4年生でそれをプロジェクトで使う、という感じです。
具体的には、彫刻学科でやるような彫刻(私は石膏でヤギの頭を作っていました!)、視覚伝達デザイン学科でやるような文字組み、映像制作などなどをやっていました。

1、2年生の時は小平市の鷹の台キャンパスで過ごすのですが、3、4年生になると市ヶ谷に移動します。
個人的には、鷹の台の食堂でアイスを食べたり、なんとなく世界堂で文房具を眺めてる時間が好きでした。

1、2年生の時の授業で、私が好きだったのは映像制作の授業でした。
小学生から中学生の時はMVやPVを見るのがすごく好きだったので、どういう映像を作りたいか考える時にその経験が非常に役に立ちました。
正直言って映像自体はクオリティは高くないのですが、自分のこうしたい、を追求できた授業でした。

3年生になると、手を動かす授業よりも座学が多くなり、多くがプロジェクトや企画を考えるといったものでした。(サービスデザインなどもあります!)
私はつぶつぶ以外に強みを持っていなかったので、市ヶ谷の坂でヤギを好き勝手させる絵本を作ったり、産官学連携プロジェクトでは大分県の日出町に1ヶ月間滞在していました。
3年生になってからは、仕組みづくりであったり、企画を考える機会が増えるので、自分のやりたいこともだんだんと形にできるようになっていきました。

現在は、「つぶつぶの授業」の講師やつぶつぶの制作をメインにしていきたいと思いますが、在学中に描いたイラストやフィルムカメラで撮った写真を活用していきたいと思っています。

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