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マレーシア クアラルンプール 2020 03 #14

 2020年の正月。親戚が自宅にやってきての新年会。毎年の恒例行事を終え、片付けをしながら、午後9時前のニュース番組を適当に見ていた。すると、こんなニュースが入ってきた。

「中国・武漢で肺炎により死者」


このニュースから2年ほど経った今でも、地球上のすべての人間にとって大きく関わる出来事をこの時の私は鋭敏にも「あら、大丈夫かな」ととらえた。それは偶然にもこの時期にSARS流行の最前線の様子を描いた本を読んでいたからかもしれない。

それから1か月もしないうちにことは大きく膨れ上がり、日本国内でも一大関心事となった。まさかこんなに長続きするものとは誰も思わなかっただろうが。

上のニュースに反応した理由はもう一つあった。その2か月ほど前に香港-武漢-ニューヨークの格安航空券を押さえ、3月のニューヨーク旅行を予定していたのだ。

結果は誰もが知る通り武漢がロックダウンされ、渡航は叶わず。というわけで長い2か月の春休みがまっさらに戻った。

それから1か月後の2月下旬。春休みの旅行を諦めかけていたが、AirAsiaXが特大セールをなぜか開催。もちろん迷いなくクアラルンプールへのチケットを手に入れた。空港使用料込みで往復JPY8000。たまにこういうセールがあった時代が懐かしい(AirAsiaXは今はもう・・・)。

かくして3月中旬。日本でもマスクだなんだと騒がしくなってきた頃、マレーシアの感染状況を確認していざ出国。欧州での感染爆発の予兆が見られ、もしかしたら暫く海外に行けないかもしれないと思ったので、少々の無理をしてでも行くと決心した。

早朝の成田でチェックインを済ませ、食材と本を抱えA333に搭乗。目下感染拡大中ということで搭乗率は10~20%といったところ。おかげで3席分のフルフラットができた。

LCCなので配られるは入国カードだけ。パスポートコントロールも余裕かと踏んでいたが、中国への渡航歴の確認で大行列だった。

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空港から1時間ほどかかり夕方、KL市内到着。中心地の渋滞がひどい。西日が眩しい、そしてまだまだ暑い。一気に東南アジア感が襲ってきた。

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マレーシア一食目は牛肉麺と肉団子スープのようなもの。ちょっと強めの塩加減が空腹に効く。あっさり食べ、近所を散策することにした。

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チャイナタウンの目抜き通りだが、客は少ない。前日に近くのモスクで集団感染が出たこともあり、KLでも日本同様、感染拡大に翻弄されている状態だった。

ヒンドゥー教寺院のライトアップを見て、ホテルに向かった。

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これはインド料理のローティのようなものだったろうか。ピリ辛の魚介スパイスにつけて食べたようだ。コピを流し込み、翌朝はささっとKLを街歩き。KLに観光名所はないと言ってもいい。むしろだから移住者が多い。

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1960年代のマレーシア独立で造られたムルデカ広場と時計台。官庁やオフィス、大使館が集まるエリアで人はまばら。きれいな建物が続くが、長い歴史のあるような建物ではないので観光名所ではない。東南アジアの歴史を考える上でこういった建造物にあまり魅力が感じられないのが残念である。欧米列強が蹂躙してきた歴史の産物を重く受け止めるしかないか。ロンドンのビッグベンならば長い歴史を伴った名所なのに、こんなにも違うかと思ってしまう。

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そんなことはさておき、KLの繁華街へ。Chow Kit を抜けてペトロナスツインタワー。バスやメトロも通っているが、十分歩ける距離。朝の強烈な日差しを浴びるツインタワーは壮観。平時なら夜にはさぞ盛り上がることだろう。ISETAN横の噴水のある公園で一休み。シンガポールで感じた青空と蒸し暑さを懐かしんだ。

Pavillion近くのUNIQLOに寄って東南アジア限定品を購入する。しかし、このあたりは買い物をするのに全く苦労しない。おまけにゴルフコースが近くにある。やはり移住するならシンガポールかKLか。

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宿に帰り、チェックアウト。そう、KLはもうお別れ。最後に海南鶏飯、チキンライスで腹ごしらえ。薄味のチキンにココナッツオイルで炊いた飯が合うのなんの。

エネルギーを蓄え、一路空港へ。今回の旅、実はとある目的があった。手荷物チェックを終え、搭乗を待つ。向かうは、どこだ!?

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クアラルンプール編、最後までお読みいただきありがとうございました。

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