インド デリー編 2019 09 #08
ギリシャに出かける1カ月前の2019年8月ごろ。
「ギリシャから香港に戻りそのまま日本に帰ってもいいが、2ヶ月の夏休みを満喫したと言える日数の旅ではないな。香港からどこか行ければ面白いのだけれど。
またヨーロッパに飛ぶのはもったいないし、東南アジアは昨冬行ったし。できれば違う地域が良いな」
などとあれこれ考えていた。
そんなある時、
「あれ?インドはどうだ?」
と思いついた。
自分で言うのもあれだが、一度気が向くと割とスムーズに事が運ぶのが長所。(旅行者気質?)
香港-デリー と コルカタ-バンコク-東京 の航空券をとり、11日間のインド旅が決まった。問題は移動と宿だが、これはデリーに入った日に決めることにした。
そして1カ月後。無事ギリシャから香港に帰り、空港泊をして朝の便でデリーに入った。昼前のインディラ・ガンディー国際空港は閑散としていた。2000ルピーをクレジットで払いアライバルビザを申請した。
申請書で興味深かった項目は
・家族にパキスタン人はいるか
・最近パキスタンに行ったことはあるか
といったパキスタンに関する質問があったことだ。
インドとパキスタンは戦争を繰り返しており現在もまだ休戦中だからということらしい。空港も緊急時には軍事利用されるので内部を撮影してはいけないなど色々事情があるようだ。(その辺りもインドなので緩いが)
申請書を書いて待っていると、どこかで休憩していたであろうアライバルビザ担当がのそのそとやって来て、スマホで顔写真を撮り戻っていった。
「いや、適当すぎるだろw」とツッコミたくなったが、静かに待った。しばらくして書類ができ、入国審査に移った。
「いつどこから出国する?」
「9/21にコルカタから出る」
「チケット見せて」
「(スマホを見せて)はいよ」
「今日泊まる宿の名前と住所と電話番号書いて」
「えーと、それはねぇ...(ガイドブックの地図ページを見せながら適当に)ここだね」
泊まる宿をごまかすことは入国審査ではよくあることなので、まあこれで乗り切っただろと思っていたが、
「ほんとに大丈夫かこいつ(笑)一応スタンプは押しとくよ、頑張れよ(笑)」
と、かなり小馬鹿にした態度を取られて入国を果たした。
空港泊でまともに眠れていないこともありイラついてしまったが、この後彼らが予期していたことが起こってしまうのである。
空港を出ると、35℃と暑い。とにかく日差しが強いし、車や工場の排気ガス、土ぼこりで空気がいかにも汚い。
これは香港旅行記でも書いたことだが、その土地にやって来たと感じる第一の瞬間は外の空気を吸った時で、その後に人やら街中の雰囲気やら食やらで感じるのだ。
どう考えても身体に有害な空気を吸ったとき、インドに来たと文字通り肌で実感した。
空港から一歩出るとバスやタクシー乗り場はほとんど整備されていないので、客引きが来るわ来るわ。がっちりサングラスをかけ、デリー市内に向かうメトロに乗った。
デリー市内までは60ルピー(90円)程度。距離やairport express を使うことを考えると安い。
New Delhi Railway Stationに着く。長距離鉄道のチケットは大きな駅にあるカウンターやオンラインで可能だ。デリーには外国人観光向けのカウンターがあると知ってそこに行こうとするが、場所が分からない。やってくる詐欺師の人間には見向きせず、ひたすら探すが分からない。
「どこなんだよーー!」と悲痛の叫びをあげるが、スマホの電池残量もほとんどなく詰んでしまった。機内でコナンなんか観たせいで、全く。
その時、後ろから
「危ないよ!そんな風にバッグ置いてたら持ってかれるよ!」
咄嗟に荷物を抱えるとそこには人当たりの良さそうな中年男性がいた。
ちゃんとしたシャツのポケットから顔写真まで入った名札を出して、
「観光局の人間なんだけど、カウンター工事中で別のところに移ってるんだよね。」
と話しかけてきた。
確かにデリーには外国人観光客の窓口がもう1ヵ所あったなと思い出す。彼がついた嘘と自分の記憶が偶然にも一致し、ここで完全に詐欺師ではないかという疑念が消えてしまったのである。
「今トゥクトゥク呼ぶから待ってて」
と言い、1分もしないうちに
「ああ、あそこだ。さあ、おいで」
とキメ台詞を吐いた。
トゥクトゥクに連れられ、旅行会社の看板を見たとき、
「あ、騙された」
と気付いたが、時既に遅し。大量の荷物で逃げ回れるような状態ではない。観念して付き合うことにした。
部屋には同じような手口にかかったであろう欧米人やアジア人もいたので、とりあえず殺される心配がないことは分かった。
""接客""担当は最初に過去にぼったくった日本人大学生や日本人タレントが自らが提案した旅先で遊ぶ様子を見せ警戒心を解こうとした。次に出国日時、場所を聞き、すぐさまルートを考え始めた。
もう仕方がないので貰ったチャイと焼き菓子で一息ついた。
提案されたルートに要望を加え(意外と要望を聞いてくれた)、余計なオプションをつけずに旅程が決まった。
10日分の車内泊3回を含む鉄道+宿のチケットで30000ルピー(45000円)。インドの物価を考えると3~5倍のぼったくりを食らった。
デリーから西へラージャスターン州に向かい、アーグラ、ワラナシ、コルカタと巡る旅程である。
悔しいがルート自体はなかなか良さそうなので、ここから離れたら満喫してやろうと決めた。
接客担当の車に乗って、最初の宿に向かう。道すがら階段井戸に寄る。映画の撮影などで有名なようで、ちらほら観光客がいた。
宿はなんとぼったくった人間の家という緊迫する展開!
ここまで来たら殺されないようにだけ気を付けて楽しんでやると意気込んだ。夜ご飯の材料の買い出しに付き合い、ものすごい渋滞の中、家を目指した。
家に入ると旦那の妻と子どもが3人。子どもは高校生(男)に中学生~高校生(女)、小学生高学年(男)といったところであろうか。
マンションの3階に5部屋くらいで、個室にはそれぞれシャワールームがついているかなり良い方の家だと思った。
ホテル風とかではなく本当に普通のインドの家で驚いたが、こういう日常が見れるのは何か嬉しかった。
いつもは長男が使っている部屋に通され、しばし夕飯を待つ。
夕飯は、チキンカレーとチャパティ(orロティ)、ヨーグルトのような乳製品、野菜の酢漬け。カレーと酢漬けはさすがに味が濃いが美味しい。味が濃いものと薄いものの組み合わせはどこへ行っても愛されるらしい。
そんな美味しい料理は全て中学生くらいの女の子がつくり、母親は全く手伝わない。そういうもんなのかと思っていたが、皆がリビングで夕飯を食べ始めても彼女はキッチンで作業している。
どうにも耐えきれず、
「彼女は食べないのか?」
と聞くと、
「彼女はメイドだから」
と父親が一言。
そうか、インドではまだまだメイドが主流の職業なんだと気付かされた。
もっと裕福な家庭には複数のメイドを抱えていて仕事を分担しているらしい。
それにしても青春真っ盛りのはずの女子中高生(学校に行ってないと思われる)が夜遅くまで毎日メイドをしていると思うが、「ここはインドなのだ」が全て答えになってしまう。
食後にインドのSIMカードを登録していた夜9
時頃、長男が支度を始める。
「塾に行って夜勤バイトしてくるんだよ」
と父親が説明してくれた。
経済格差に教育格差という旅行1日目にしては重すぎる現実を見せられた。
インドに来た以上このテーマからは逃げられないと知っていたが、それにしてもである。
「明日はジャイプル行きの朝の電車に乗ってもらうから早く寝ろよ」と言われ、ベッドに入った。
インド1日目はまだ終わらない。
その夜、デリーの住宅街で数ヶ月に一度の停電が発生。
「色々起こりすぎだわ」と苦笑してしまった。
冷房もファンも止まり、暑さで寝られない。
「こういう時のために本当の金持ちは自家用発電持ってんだよ」
と余計な知識を披露してくる父親。
1時間ほど喋っていたところ、電気が復旧し眠りにつくことができた。
翌朝6時頃に朝食をとり、迎車タクシーでDelhi Junctionに向かった。
ホームで電車を待っているが、線路上に普通に男たちが降りていく。犬も降りていく。石を拾っている人、チャイを運んでいる人、それぞれの理由で線路上を歩いていた。
ジャイプル行きの電車に乗り込む。
指定席がある車両はそれなりにきちんとした格好の人がほとんどだった。
コナンを観ながら5~6時間の旅路を楽しんだ。
以上、インド・デリー編でした。
デリーの魅力には触れられませんでしたが、お読みいただきありがとうございました。
次回、ラジャスタン州!
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