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【メンバーインタビューvol.1】 蓮池めぐみ「私にとっての場づくりは」

みなさん、こんにちは。
今回はファイアープレイスのメンバーインタビューvol.1をお届けします。
記念すべき1回目はファイアープレイス1人目の社員となった蓮池めぐみをご紹介していきたいと思います。

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ファイアープレイス コーポレートデザイナー
蓮池めぐみ

2019年~ (株)ファイアープレイス入社、当初は店舗スタッフとして業務委託契約。1年後、実力を買われ社員登用、コーポレートデザイナーに。インターナルコミュニケーションや代表秘書業務も担う。
【出身】 愛知県長久手市出身
【好きな映画】 ビッグフィッシュとグッドウィルハンティング
【嫌いなもの】 寒い冬の日の雨
【やってみたいこと】 ジンベイザメと一緒に泳ぐこと

「私の意思はどこに?」自問した高三の冬、外れたレール

高校を卒業後、地元の大学に進学予定でした。けれど、そのまま進学することに疑問を抱き、一念発起して入学を辞退。語学留学でカナダのバンクーバーに旅立ちました。「誰のものでもない私の人生。自分の意思はどこにあるのだろう?」。高三の冬に、迷い、自問したことをきっかけに、レールに乗っていた私の人生は大きく逸れていきました。

帰国後は、アパレル店員の傍ら、複数のボランティア活動に参加したり、旅をしたり。大学に行かない選択をした分、「多様な経験を積むこと」を軸に活動していました。その中で、今でも強く覚えている原体験は、熊本での災害復興支援ボランティアです。仮設住宅に住む高齢者とお話させていただく中で、プライバシーのない生活環境や、そこに住まう方々の孤独を目の当たりにし、「心理的安全性を生む場づくりとは何だろう」と関心を抱くようになりました。

大きな転機は、姉からの一言。「私の上司が、沖縄の宮古島でリゾートホテルを作るんだけど、メンバーを募集しているらしいよ」と。不思議なご縁を感じ、仲間に加わることに。初めての会社勤めは離島から(笑)。島生活はとても刺激的でしたが、何よりも刺激を受けたのは経営層の方たちの仕事に臨む姿勢です。「メンバー全員、魂レベルで幸せにはたらく」ことを真剣に考え、私たちと向き合う在り方に感銘を受けました。多感な20歳を過ごした宮古島の日々。今でも深く感謝しています。

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気づいたら、ファイアープレイスに私一人。

【モダン】プロフィール_MEGU-4

次なる場所を求めて、「場づくり 企業」で検索。PCの画面に表示された「ファイアープレイス」に直感的に反応し、メールで連絡。そうしたら、代表の渡邉から返信があって、「可能なら会いにおいで」と。そこから、私と、代表渡邉の物語が始まります。

バンクーバーから宮古島へ。宮古島から実家の愛知へ。そして、渡邉のいる川崎へ。興味があった、会いに行った、つながった。そうしたら、いつの間にか社員になって今に至る。そんな感じです(笑)。

私が弊社に加わった2019年6月当時、会社としての主要事業はロックヒルズガーデンのみ。2店舗目となるコミュニティスペース、日本橋CONNECTのオープンを3ヶ月後に控えたタイミングでした。当時、社員は0人。業務委託メンバーのみで構成されていた組織体制の中、私は日本橋CONNECTのプロジェクトにアサインされました。と言いつつも、指示命令系統もなく、定例業務もないプロジェクトはカオスの極み。仕事を自分で作るしかなかった私は、社内で目につくタスクを横断的に拾い集め、徐々に、「何でも屋さん」のポジションを確立していきました。

自らの居場所を作り始めていた矢先、やって来たのがコロナです。チームとしても、事業としても、土台が確立する前のタイミング。ダメージは大きく、仲間だったメンバーは、一人、またひとりと去っていきました。気付いたら、代表の渡邉以外、私一人。ファイアープレイスの火は、消えかかっていました。

社員第一号に。仲間が増える。チームになっていく。

当時、飲食事業が収益の柱だった弊社にとって、コロナの影響は甚大でした。メンバーも解散し、この先どうなっていくのだろうと不安を感じるなか、どうしてかはわからないけれど、「ファイアープレイスは無くならない」と強く感じていたことを今でも覚えています。2020年6月、私は渡邉に声を掛けてもらい、ファイアープレイスの社員第一号になりました。コロナ禍であるにも関わらず、正社員として向かい入れてくれたこと、そして私が最初の社員になるんだという責任感を、強く感じました。

それまでは、代表渡邉の一人力だったファイアープレイス。一番苦しい時期を乗り越え、事業が少しずつ回復の兆しを見せる中で、主体的に関わってくれるメンバーが、一人、またひとりと増えていきました。代表の渡邉と、現場の業務委託メンバー。その間に立つ「社員」の立場として、私がこの組織の中でできることはなんだろう。あの時から今に至るまで、そればかり考えています。

7期目を迎えた2021年。弊社は、「つながりを創出し しあわせの総量を増やす」という新たなミッションを掲げました。「つながり」と発信するからには、そのミッションに恥じないよう、強い信頼関係とつながりを社内に生み出したい。私がかつて宮古島で感銘を受けた、「みんなが魂レベルで幸せにはたらく」チームを作りたい。それが、私の役割なんじゃないかって。

ファイアープレイスが、みんなの自己実現の場に

意図的に作ったのは、オンラインでもオフラインでも、役割や雇用形態に関わりなく、皆が顔を合わせ、コミュニケーションを図る場です。雑談のためのランチ会だったり、プロジェクト横断の全社会議だったり。みんなで一緒に働いている、けれども生じてしまう、人と人、言葉と言葉の隙間を埋めたかったんです。

各店舗のリーダークラスも、学生スタッフも、昼間は本業で活躍されている日本橋CONNECTの日替わりママさんも、弊社に関わってくれているメンバーはそれぞれ、多様なバックグラウンドを持っています。彼ら、彼女らにとって、ファイアープレイスという「場」 が、「自分らしさを体現できる場」であると感じていただけるような、心理的安全性を育む場づくりをしていきたい。

現在、ファイアープレイスは自社店舗以外にも、「まち」や「不動産」を起点とする「まちづくり」「場づくり」事業に取り組んでいます。私が入社してから、2年。2年間で、会社ってこんなに変わるものか、と信じられないくらいです(笑)。仕事の幅は広がり、お客さまから多くのお問い合わせをいただくようにもなりました。

7期目の今、「会社」としての基盤を確立するフェーズに突入したことを肌で感じています。私は7年のうちたった2年しか知りません。にも関わらず、こんなことを語るのはとても傲慢かもしれませんが、会社に宿る「いのち」みたいなものを、最近すごく感じるんです。此処に集まるみんなの意思と、自分らしさの集積が、形の見えない「いのち」のようなものなのかもしれません。

これからも、変化し続けるこの会社で、「場づくり」をしていきたい。
それがコーポレートデザイナーとしての仕事だと思っています。

コーポレートデザイナー。
私の場づくりフィールドは、「ファイアープレイス 」です。

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■株式会社ファイアープレイス
ファイアープレイスは「つながりを創出し しあわせの総量を増やす」のミッションの下、地方創生(まちづくり)、不動産価値向上(場づくり)、チーム力深化(チームづくり)、以上3つの事業に挑戦している企業です。

■弊社代表インタビューはこちらから



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