『即興小説!』 夏己はづき
まえがき
2013年4月初版の同人誌。類まれなる厚意により作者様から頂きました。
10年の時を超えて即興の物語集に巡り合うというシチュエーションがもうひとつの作品のよう。
嬉しかったのでひとつずつ感想を書きました。
「書塔」
書物の塔をひとり昇りつづける少年。「読みほす」「棚に流れる電気や香りそのものが書」など即興詩めいた造語や情景がうつくしい。
短編で世界を物語る方法のひとつにフラクタル構造と自己組織化がある。無限に繰り返される構造とそれを生成するルールによって短い描写のうちに巨大な世界が幻視される。
放たれた矢はどこへ届くのか。描かれぬその軌跡を想うこころに豊穣がもたらされる。
「いざない」
勇者になって世界を救いませんか、といういざないがあるなら、魔王になって世界を滅ぼしませんか、といういざないもある。
プレイヤーにスリルと達成感を与えるため濫造される魔王たち。その中にはこうやってリクルートされた「人」もいることだろう。
軽妙な会話のなかに多元宇宙がつつまれている。
「ある映像」
今からこのお題で小説を書け。ただし時間は15分だ。
そんな縛りの生み出すドラマもいっしょに味わえるのが『即興小説!』という作品集の良さです。
無茶なお題に「なんじゃこら」と悲鳴を上げつつ駆け出して、遮二無二に走り抜ける。終わってみればきちんとDVDの棚に収まっているふしぎ。
「猫の耳を知るための一つの方法とその結果」
短時間に飛べる距離は短い。その短さゆえ発想の転換でぐんと伸びることもあれば、等身大の物語に落ち着くこともある。それが999でも、そのまま1であっても作者の経験と感性が映り込んでいることに変わりない。
そしてこの作品のようによく知ってしまうともう書けず、知らないからこそ書けることがあるのだから、創作において知識の多寡は問題ではないのだろう。それはさておき猫が可愛すぎる。
「きっかけ」
「少年のドロドロ」というお題によぎったイメージから離れるのに3分間使ったという作品。心情を察するに余りある。
端々から追い詰められた苦しさが伝わってくるのもまた楽しいものだ。人間味のないところまで磨き上げられた完璧な球体もいいけれど、作者の煩悶が刻み込まれた荒い球体もまた。
「どこかの家に」
ショートショートの登場人物はエヌ氏でいいか問題。本作では女子中学生を3人そろえるために名が必要という判断だろう。2人でも成立するプロットではあるが、この世には女子3人のバランスの良さというものがある。
A子・B美・C恵と1秒で考えてもいいが、ユウ・マイ・レンのような名前の響きによって喚起される個人的だが強固なイメージもたしかにあって、作者は悩む。それはごくごく短い詩。
「流浪」
朝起きては溌溂として、昼過ぎては眠くなり、夕には疲弊しきって、床のなかで意識を手放す。いちにちごと生まれ老いて死ぬサイクルを繰り返しているともいえる。
今日も死にぞこなったと感じて過ごす人もいるだろうし、生き返るために戦場や晴れ舞台を求める人もいる。
この作品で描かれる諦観としぶとさは人類のテーマのひとつなのだろう。
「霧雨」
得意ジャンルとは読み慣れ・書き慣れて、豊かな畑のできた場所だろう。たくさんの物語要素が密なネットワークを形成しているから、その組み合わせでぽこぽこプロットが生まれる。
冲方丁は種書き、骨書き、筋書き、肉書き、皮書きの順で書き進めるといったが、繰り返してきた分野ほど各フェイズの迷いも減ることだろう。
緊迫した日常感のあるこの作品、軽やかな小気味よさがある。
「阿修羅子犬」
なんでも最果てを考えるのが好きなので、映画「阿修羅子犬」が大ヒットした世界線についてしばし考えていた。
アイスナインやグレイグーのように無限増殖するものによって飽和した世界……。犬原産国の地図を見るに、もうすでにという感じもある。
さておきクロスオーバーとかセルフオマージュっていいですよね。
「税金」
飛び込み営業を成功させるレベルのひとは存在そのものが面白い、という短編ですね。難攻不落の要塞を単身で攻略するように、ひとの心の扉を開けるのは清潔感、自信、スマートさ。
一方で、利益を嗅ぎつけてやってくるひとの粘度のたかい欲望を思うと、「メントールが混じった口臭」というのが言い得て妙ですよねぇ。
「おみこし」
いちばん好きな短編といったら怒られそう。
心身を動かし、揃えることで。勢いにのせて、響かすことで。表現に乗せて、託すことで。つまりは「祭る」ことによって、ふだん言えない気持ちが確かにあることを高らかに宣言する。
そういうカタルシスがめいっぱいに詰まった短編。
「ホーム・スウィート・レッドホーム」
不安と恐怖。脳のもっとも基本的なシグナルであるそれは、ともすれば致命的な問題につながる。だから脳はとても敏感にそれを検出してアラートを上げる。
ほんの少しの違和感から、異界に雪崩落ちていく手腕にぞくぞくする。
「反復の箱」
変奇なことをせず当たり障りのない存在でいること。尖ったことを言わず無難な選択に収まること。そういう想定内のラインを無意識に求めるひとは多くて、自他ともに見えない箱になっている。
一方で「迷ったら困難な道を選べ」とお互いに唆しあうような弾丸同盟もある。何度でも繰り返したいテーマ。
「おんなじ」
ノンフィクション風のフィクション……風のノンフィクションもあるので読者はすきに信じたり疑ったりする。
どこにでも不思議はあるものだし、子供心に刺さったものは折に触れて思いを巡らす価値がありますよね。同じテーマを生涯かけてくりかえし扱う作家もいますし。
「屋内型惑星」
愛すべきマニアの性向。
アクアリウムにせよジオラマにせよ小さな世界を作り込む楽しさというのがありますよね。短編小説なんてのもそのひとつ。
書くたびに立ち上がる世界が、部屋の隅でくるくる回っている。
「休日出勤」
時代の悲哀をするどく捉えて世に知らしめる。それも作家のしごとだろう。
コールセンターはAI応答に切り替わりつつある。度重なる理不尽を受けとめて苦しむ人が減って嬉しい気持ちと、作家のネタがまたひとつ減ってしまうさみしさとがある。
「じゃがいも」
最後の一編はせつない。
なにごとにも終わりは来るけれど、まいにち15分で短編小説を書くなんていうチャレンジを追体験した身として、アクシデントに足を取られているうちに眼の前で扉が閉まったような衝撃がある。
まあでも作者の力量からすると邪魔さえなければ今もまだ続いていたかも知らず、3,650編からなる同人誌だったら感想を一つずつ書くこともなかったはず。縁は異なものと思いましょう。
あとがき
「まだこれらは未完成です」と氏はいった。
経験の刻み込まれた顔には厳しさと柔らかさが同居し、視線の先には引き伸ばされた写真が並んでいる。清められたギャラリーに声が響き、清流を深くのぞきこむ写真のあいだに染み込んでいく。
「まだ自分でもわかってない」
撮るまでどう写るか想像できないし、できたものがなぜよいか言語化できない。それでも大きくプリントしてまいにち眺めていると、染み出してくる仮説がある。
それをタネにして次の計画を練る。どれだけ入念に準備しても現実はそれを超えてきて、全力でじぶんをぶつけるから実りがある、と。
「それは幾つになっても楽しいです」
はにかむ創作者をみていたら、心に風が吹き、かかとに炎の燃える心地がした。