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三十歳の日記(2/24-3/9)

二月二十四日
 新線新宿から丸ノ内線に乗り換える長い道のりで、犯罪をしながら金を稼いで生きていくことを考える。他人を傷つけて騙してでも楽な思いをして金を稼ぐこと、今の自分にはとっても魅力的だ。しかし実際にそれを選んだ友達は二度と戻りたくないと言う。奪い取っていいのは奪い取られる覚悟がある奴だけなのはお馴染みだが、我々パンピーにおいて重要なのは、「では勝ち確の略奪があるのならばそれを実行するか否か」という疑問です。私はやります。しかし現実にそんなものは存在しません。だからやらない。この経路が大事だ。勝ち確だろうと他人からの略奪はやらない、という人と俺は違う。俺は勝ち確ならばやる。しかし勝ち確など事前に担保できるわけないからやらないだけだ。
 犯罪をしながら生きることを選んだ友達のことを素直に「がんばれ」と送り出したのは、自分がそういう揺らぐ天秤の間にいつもいる自覚があるからだった。自我は砂のお城だから外回りを両手でぐるりとする何かが起きるたびに少しずつ崩れたり、逆に何かのきっかけにバケツいっぱいの砂が補充されたりもするね。色々と考えた上で他人の顔面をツルハシでぶっ叩いて財布を強奪することを選んだ人もいれば、何も考えずに特殊詐欺の受け子やってる奴もいる。過程が想像できない人たちにこれらの人たちは馬鹿みたいに見えるだろうが、そういう、犯罪者を「犯罪者」と一緒くたにする奴は親が金持ちか一回も他人と喧嘩したことない呑気な銅像みたいな団子虫で何もわかっていない。ちょっとした一滴で表面張力が破けて自分もそうなるかもしれないという「ギリの感じ」なんかとは到底無縁で居られますというその呑気さは誰かが作った嘘のお城で守られているだけで(ここで言っているのは金を大量に稼いでいるとか良い家に住んでいるとかそういう物質主義のフレックスとは全然関係ない話です。道端を歩いていても急に誰からも頸動脈を切られずに安全にこの綺麗な道路を歩けていることそのものに疑問を持つか持たないかの話です)、ミサイルが一発ここに落ちてくるだけで、カッターナイフの刃先が腕に沿って動くたけで、今乗っている電車がひっくり返るだけで、状況が一変することをリアルなものとして捉えていない。しかし人は常にそんなことを考えながら時間を過ごしても発狂するだけだから、そんなことは想像しなくていい。犯罪者は犯罪者として一緒くたにされるべきなのである。しかし当の犯罪者には一緒くたにされることを踏まえた上でそれをやってる奴もいる。いた。

 夜中に涙が止まらなくなった恋人を笑わせ喜ばせるために、枕元にテーブルを持ってきて、そこに調理道具一式と蓮根と生姜を置いた。そしてそれらを猛烈な勢いですりおろしながら喋り続け、スープを作った。「蓮根と生姜買ってきたのにスープ作れてない」と泣きながら言うので、「作ったろか? しかもここで。あなた寝ながら見てていいから」という提案になってそうした。彼女は横になったままベッドサイドで野菜をすりおろす俺を見て笑っていた。

二月二十五日
 目が覚めてすぐに羽毛布団にくるまったままフィルマークスを見る。ライクサムワンインラブが上映中になっている。え、どこで、と思い検索すると、キネマ旬報シアターだった。千葉県の柏市。電車で一時間半くらい。今からすぐに出たら間に合う。うーん、でもなぁ、などと迷いつつ、とりあえず起きる。ベランダの洗濯機のところを父親が補強してくれたが、もうこの洗濯機は二度と壊したくないので、もっと補強したかった。屋根をつけたいが、もうスペース的にもきついから新たな土台とかは設置せずにつけたい。粘着式のフックを天井に二つか三つつけて、穴を開けたトタン板かベニヤ板かアクリル板か、そんなようなやつをそのフックに引っ掛けるのはどうだろうか、と思いながらとりあえず島忠へ。
 大きな屋外用アクリル板は一万円近くする。うーん、そんな、わざわざ、そこまで、払いたくねえなぁ、と思う。ベニヤ板は八百円ぐらい。しかし当然雨が降ってずっと野晒しだと腐ったり崩れたりするだろう。防水のニスを見に行く。ある。うーん。塗るかね? 塗るのは全然いいけど。しかしそもそもどうやって設置するよ、と思い、フックのコーナーに。耐荷重八キロとかの粘着式のフックを見つけるが、接着面がデカすぎて、うちのベランダに正しい向きで貼ろうとするには無理そうだ。天井の面に貼ることはできるだろうが、そうなるとフックにかかる力の方向が本来の下ではなく横になる。なんというか、フックを持って引き剥がすような方向に力がかかる。これをやっているといつか剥がれるらしいので、地面に対して垂直に貼って、下方に力がかかり続けるようにしか使わないで下さい、とどのフックにも書いてある。耐荷重が上がれば上がるほど接着面の面積もフック自体の太さも上がっていく。困った。だから何も買わずに帰った。雨が降っていた。

二月二十六日
 あんまり思ったことない、というか初めてかもしれないが、映画館で働いてた時に戻りたいなと思った。それは寝る前のことだった。ベッドに入って『メインテーマは殺人』を読んでいたら、ホロヴィッツが葬儀屋の職業についての知識を蓄えておいて来たるべき時に重宝する、みたいな描写があり、それ、あるよね、わかる、と思っていたら、関連して思い出されたのは、デリヘル嬢の話をよく撮る映画監督が恐らく一回の取材だけで得た知識でずっと映画を撮り続けていることで、その監督の映画を観ていた当時の俺は「使い回してんな」と思っていた。そしてその映画のポスターを、スタッフのみんながオマージュというか真似して作ったやつがあり、そのオマージュしたポスターは確かラミネートされてチケットカウンターの中に貼ってあった。それが思い出された途端、あのチケットカウンターの中がリアルに、全てがそこにあるかのように蘇って、戻りたいと思う。さっきまで俺は茹でたパスタに和えるだけのバジルのソースを混ぜて食い、炊いた米に納豆を乗せて食い、いつからこんな物理的に孤独に迷い込んでしまったんだろう、これをずっと続けるのか、みんなどこで何をしているんだろうか、などとぼんやり考えながら掃除機をかけたり皿を洗ったりしていた。七年前に戻りたい。戻れない。戻って何かをやり直すわけじゃない。ただ、もう一回あの日々を過ごすだけです。無理っすか? 無理っすよね。わかりました。

二月二十八日
 笹井賞発表のねむらない樹が今日あたりから発売のようで、応募した『nine states woman blood』が最終選考に残ったので、十首ぐらい載っている。笹井賞ではもう三回目のファイナリストだから、今回の連絡が来た時には最初に最終選考に残った時のような感動は全くなく、「これ以上何すればいいの?」というイラつきみたいなもの、が素直な思いだった。野口さんが審査員からいなくなったのにそれでも残ったことは嬉しいし、面識はないけど白野くんおめでとう。いつもなんかリツイートしてくれる白野くんだ、と思った。
 第二回からずっと応募し続けてきて、第二回・第四回・第六回とファイナリストに残った。しかし応募作について何か具体的に言ったことはなかった。今日は言う。言ってこなかった理由は、短歌のことを俺があんまわかっていないから、というのと、負けた奴が自分のネタ解説みたいなのしてんのサブいよね、という二つからだった。短歌のことを俺があんまわかってないというのは、自分の短歌については言えることたくさんあるけど、他人の短歌ほぼ全てに「へ〜」としか思わないというか、これは格好つけてるとかではなく、なんか、理解とか、できるわけがないと思っているというか、限られた文字数の中で爆発を起こそうとしたら、理屈によって引き起こされる爆発もあるけど「基本的に意味わからんくなるくない? どう足掻いても」という気持ちが強いというか、だから、短歌やってる人たちの中でもかなり他人の短歌を読むのがヘタクソな奴だし、それがわかってるからそもそも読まないし、今回の『ねむらない樹』も、買って、自分のところだけ読んで「うんうん、はいはいはいはい」と言って、さーっと眺めて閉じた。これは、悪口とかではなく、俺の中でかなりそういうものというか、だって狂気の見せ合いをしてるんだからシカトとか平気でするしされるくない? という考えというか、自分で書いている以上、俺は俺の書く話が俺に一番伝わってくるのは仕方ないことだと思う。俺は俺の書く話がこの世で一番おもろいから書いてて、そうじゃなかったら書かない。みんながみんなそうではないと思う。そしてこれは自信とかでもなくて、俺がただそういうタイプなだけの話だ。外で食うメシより自宅で自分で作るパスタが一番おいしい、みたいな話だ。ただそれだけのこと。そしてそんな自宅で簡単パスタばっかり食べてる奴は外のレストランについてとやかく言う筋合いもないので、短歌についてはあんまり言わないようにしていた。だから自分の短歌についてだけ言う。落ちた奴が自分のネタ解説してるのサブいよね、は確かにそうなんだけど、でも、もう三回もファイナリストになって、いい加減なんか言いたいことたくさんある。ちょっとピキッときてるだけですけど。言うたるわクソが、というような勢いです。
 まず、今回の『nine states woman blood』はもともと熊本弁だけの五十首を作ろうとしていた。最初はそうやって始まった。書くことのほぼ全てがそうだと思っているけど、とにかく「どう一貫性を作るか」で作品の良し悪しが決まると言っても過言じゃない。第二回は〆切日にほぼ全部書いてへらへらしながら応募したから論外だとして、第三回からはずっとその一貫性をどう作るかを試し続けている。第三回ではもっと奇天烈に走った。わけのわからなさで一貫性を保つことを考えた。しかし普通に落ちた。そこで第四回は反対に素直さに走った。第二回と近い。第二回の時の上位互換を狙った。一貫性に囚われないことによって出てくる一貫性。素直さの一貫性。素直に書くということだけが条件。それによって何か統一されてる感じ出ないかな、みたいな。このやり方は、確かに一貫性出る。それはもう小説の時にも感じているけど、素直に書くのが一番だ。素直に書くと、長期に渡ってのブレが出にくい。人は時間のビートに乗って日々を過ごしているので皮膚とか血液とかが循環して昔の自分では居られない。短歌五十首を読むのにかかる平均的な時間はどのぐらいだろうか。作られたものにはみんなお手軽に触れるが、作ってる側の俺はエメラルド・ファイアに一年かけた。と言っても一年間毎日常にそのことを考えて書き続けたわけじゃない。一年間生活しながらエメラルド・ファイアを小脇に抱えていた。この「小脇に抱える」というのが大事で、書いてる人にはなんか伝わると思う。書いてなくても書いてる時間がある。循環の中にいると、意図してない齟齬が現れる。三ヶ月前には大好きだった人も、三ヶ月が経った今では普通になっていたりする(嫌いにはなっていない、というこの実際的な絶妙な距離が読み手に気持ち悪さを与える)。なので書き手に求められるのは停止していることだ。この書き手の停止こそが一貫性と呼ばれる部分だった。つまりほぼ一日で書き上げた第二回なんか一貫性の塊だった。しかし人は止まったままだと、短い時間については語れるが、長い時間については語れない。動いていたら両対応できる。動いていたら、短い時間についても長い時間についても語れる。だから動く必要がある。しかし停止を求められている。止まったまま動かないといけない。だからつまり、書く人間には「長い時間ブレずに生きられるか」が問われている。ナイフを突きつけられている。例えば三ヶ月とか、まるで考えが循環しない奴は馬鹿ですけど、この馬鹿さを持ってる人はとっても創作に向いてると思う。止まりながら動いてるから。俺は持っていないから、普通にブレる。フォーシームみてえに。止める方法に「気合い」というものがあるが、これは続かない。例えば今「うまい棒のチョコ味が食べたい」と思ってる人がいたとして、その熱量を三ヶ月保って下さい、と言われたら、大体の人が無理だ。これは気合いでどうこうとかいう話ではない。しかし天才というのはどうやってかこれを保つ。しかし私は天才じゃありません。なのでどうやって止まるのかと言ったら、止まるのを諦めて、「止まれないです」と言い続ける。そうすると止まってるように見える。「止まれないです」とずーっと言う。一貫して言う。三月一日に「森を守ろう」と言ったあと、三月八日には「森を守ろうって言ってたけど、やっぱり全ての木を燃やし尽くそうぜ」と言う。ブレまくりだ。しかしブレてることも言う。全部言う。全部言うことでしか俺は止まれない。だって森を守ろうって言っちゃったんだもん。でも今は森なんか守りたくないんだもん。森なんか守りたくないのに森を守りたいフリはできない。全ての木を燃やしたい。ここで創作と自分を完全に割り切っている人は余裕で嘘をつけると思う。というかそれがプロの条件だと思う。そうなるべきだ。やってみようとしたことはあるけど、やっぱり俺にはできなかった。全く文字が書けなかった。長くなったが、このようにして私は素直に書く(自分に嘘をつかない。嘘をついたら嘘をついたと言う)というものが一番合っていたが、しかし第四回もファイナリスト止まりで何も獲れなかった。そこで第五回はクソ置きに行った。自分の短歌を評価してもらう時に「露悪的な世界観」「類を見ないガラの悪さ」「独特のスピード感」「名詞の連発によるカメラの切り替わり」ということをよく言われる。しかしそれらは別に何か計算のもとに生まれたわけではなく、単にOKとNGの選別をしていった果てにできただけで、だから何度も言うが素直に書いているだけだ。第五回の時に意識したのは、物語内容に対する評価と、文体に対する評価を分けて考えて、どっちかに寄せよう、と狙った。狙ったのは前者だった。内容に全体重を乗せよう、と。つまり、読んでよくわかる、理屈が通っている、ということを意識した五十首を作り、しかしそれも落選。第六回、再び素直フェーズに戻ってきた。つまり今まで私は丸裸に近いとファイナリストに残り、少し自分から離れると落選している。ではじゃあずっと素直に書けばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、素直に書いてもファイナリストに残るだけで、これより上はない。ここまで残るやり方はもうわかった。こっからもう一撃何かがないと何も変わらないまま同じことを繰り返す。だから実は落選している第三回と第五回にとっても意味があるのだ。独自の一貫性を保とうとした時にコンセプチュアルになりすぎないように、自分から離れずに、しかし見たことない一貫性を保たなければならない。なんという綱渡り。「誰も見たことない驚き」と「みんなが見たことある安心」を共存させないといけない。その比率を調節して良い塩梅に設定できたら未知の感じが不快感じゃなく浸透してくれる。第六回の応募前にはずっとそれについて考えていた。その中で、五十個全部熊本弁で書いたろかな、と思い立った。自分の魂からの言葉である熊本弁でコンセプチュアルを作る。素直でありながら一貫性も保てる、止まりながら動けるかもしれない、と思った。そういう目論見があった。まずタイトルができた。『九州の女の血』と。しかしこのタイトルは「の」が二つ入っている事と、五音五音の連続で美しくないので、仮のものだった。これをきっかけに何か、みたいな感じで温めておいて時間が経ち、ナンバーガールの曲を聴いていた時に、向井の英語の長文の感じっていいよね(Tombo the electric bloodredとかFrustration in my bloodとかSENTIMENTAL GIRL'S VIOLENT JOKEとか)と思い、タイトルをそのまま英語に訳してナンバガっぽく『nine states woman blood』とした。もはやこの表記自体が、英語なのに九州的なものなのです(知らない方に言っておくとナンバーガールは福岡出身のバンドです)。しかしいざ熊本弁だけの短歌をいくつか書いてみると、あまりにも伝わらないな、というところで諦めた。しかしこの「エメラルド・ファイアでは自分のことを歌ったので、今回は他人を」という意識はとっても大事なことだった。同じことをやっても意味がないと思っていたからだ。そういう時に、身の回りの女の子の友達に最悪すぎる出来事が連発しており、『おんなのこのともだち』というタイトルも候補に上がって、とにかく身の回りの女性についてスケッチしないと気が済まないというか、そういう気持ちになってきた。そしてそれに相対する自分の「男」な部分にも。ねむらない樹の十首には載らなかったけど、

眠剤を分つ黄色の下敷きを通った光を味方につけて

『nine states woman blood』

 というのが後ろの方にある。なんか多分これだけを言いたかった。恋人が睡眠薬を下敷きみたいなので半分に割っているのを夜の台所の白い蛍光灯の下で見ていた。それで「はい、よう飲んだ」とか褒めて、はい寝るよ一緒に、と、俺はなんにも辛くなかったが、きっと彼女はずっとしんどい。彼女は関東の出身だが俺の熊本弁がどんどん移って、いつからか「はよ行きなっせ」とか言うようになったし、語尾には「けん」が付くようになった。この人といると強さについてよく考える。「九州男児」という言葉がある。実際は何を意味する言葉なのかあまりわかっていないが、男尊女卑の強い地域特有のその暴力性を指したダリィ言葉であることは間違いなく、じゃあ九州の女の人の強さを表す言葉を作ろうという思いもあった。
 ということで複雑なブレンドが果たされていって最終的に五十個が固まったが、ここまでつらつらと書いてきたことも、合ってるのかはよくわからない。全然ずっと何も考えずに書く方が吉、なのかもしれないし、もっと自分から離れる距離が足りてないだけかもしれないし。新人賞に応募しといて「いや別に賞とかが全てじゃないでしょ」みたいなスタンスだけはマジでないから、ちゃんと言うが、俺は獲りたい。出してる以上。獲りたいから出してる。笹井さんめっちゃ好きだし。なんか短歌やってる人に読んでもらって感想もらう、とかやったら良いのかもしれないが、これが一番やる気が起きない。書くってそんなんじゃねえし。しかし賞は獲りたい。相反する思いで、もうどっちでもいいや、となっている。
 
 おもろかったのが、山田さんが選んでくれた十個はまさにその男女とかとはあんまり関係ない歌だった。だからこっちの思いの強さなんて当然関係なく、また迷う。うーん、なんか、もう気楽にやったがいいんかなぁ、みたいな。いや、気楽ではあるんだけど。全然好き勝手言ってるし。「大便漏らし」とか「ヤリマン」とか「機微は死ね」とか、酷いよ。

機微は死ね 暗喩も死ねボケ すぐに言え 家の土台を叩いて回れ

『龍』

 なんでそんなこと言うの? ちんちんちんちん! ちんちんちんちん!

「チェ・ゲバラのポスター貼ってるギャルは良い」という五七五のあとに「龍が百年守った水晶」の七七が来るのはどうしてですか? と聞かれたら、それをどうしてOKしたのかは答えられるがなぜそもそもそれが湧いてくるのかについては答えられない。「龍が百年守った水晶」ではなく「チェダーチーズの静かな香り」でも良いのでは? 「鰆の小骨の気持ちいいカーブ」でも良いのでは? 「ぐんぐる・ぐるんげ・ゲルマン民族」でも良いのでは? いやダメなんすよね。「チェ・ゲバラのポスター貼ってるギャルは良い」という上の句が来たら絶対下は「龍が百年守った水晶」なの。他は何も勝てない。絶対この下の句。としか言えない。代えが効かない組み合わせをずっと探してる感じ。代替不可能というのが自分にとっては強さらしい。ちんちんちんちん! ちんちんちんちん!

三月三日
 Safariに「ガザに地下鉄が走る日」と打って、みすず書房のホームページを表示させた。そしてレジに行って「この本ありますか?」と見せた。日曜のB&Bは混んでいた。スタッフさんがなんか裏口からその本を持ってきた。「あ、それください」と言って買った。
『デリケート』の発売日。目の前で買って行ってくれる人たちに、本当にありがとう、と思う。

三月五日
 働き、終電で帰宅。短歌をキーホルダーにしたくてそれについてまた調べているが、イラレでの納品が大変にややこしく、よくわからない。とりあえず入稿しちゃえばいいと思う。ミスりながら理解するしかない。眠っていたプリンターを持ってきて、足元に置く。コピー用紙がない。Amazonで発注。請求書や納品書のテンプレートをダウンロード。梱包の済んでいる『デリケート』たちをとりあえず玄関あたりに持って行く。
 朝まで一人で配信もつけずにApex。一日で700溶かした日があったが、二時間で700盛った。ようわからん。とりあえずイラついてる時の俺は弱いっぽい。ちりにきが「ファイヤさんは一回ダメになったら全部ダメになる人だって理解してる」と言っていて、それは大正解だった。

三月六日
 昼に起きて、本たちを持って郵便局に。「岐阜」という字を手書きで書いたのは中学とか高校以来だろうか、書くのが難しかった。スマホのアプリからやるやつだと七百円ジャストだが、こうして持ち込むと七百六十円で、スマホの方が六十円安いらしい。しかし決済がクレジットなのが嫌で、持ってきてしまった。今後もそうするだろう。しかしこういうテキトーさは大変に良くなく、なぜかと言うと初版が売れたお金を使って二刷りをするからだ。だからちゃんとしなきゃいけない。郵便局を出ると、頭の中で送料がこれで掛け率がこれで本体価格がこれだから、いくらのプラスで、これが何冊だから、と金のことを考えながら歩いた。金のことを考えるとしんどくなる。しかし金がないと本は作れない。
 西荻に行きBREWBOOKSさんに直接納品して、腹が減ったので駅前のペッパーランチに入った。俺以外に誰もおらず不安になる。今野書店で多和田葉子『ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前』とユーリー・マムレーエフ『穴持たずども』を買い、荻窪に。コーヒーを飲みたいがどこも混んでいたのでそそくさと帰る。ドトールに入ってブレンドの安さに驚愕する。その驚愕を飲みながら『ガザに地下鉄が走る日』の続きを読んだ。これは、著者の岡さんが、凄すぎる。本を開くと魂が燃える音がする。
 帰宅して、納品書と請求書の作成。そしてメールへ返信しまくる。二十二時。休みの日にこんな感じだと全く休めないなぁ、どうしよ、副業やってる人たちって凄すぎるな、と思いながら風呂に入る。休み方マジで考えないと。

三月七日
 ありがたいことにトントンと本の取り扱いの連絡が来た。次に自分が動けそうな日はいつだろうか、とカレンダーを見て、明後日の土曜の昼間だと知る。
 働き、帰路、こんなん、恋愛とか、無理じゃないか? とふと思う。フルタイムで働きながら誰かのことを好きになったら、どうするんだろう。でも、だからこそ、生きる希望だろうな。自分は毎日十八時上がりの土日休みだが相手は夜勤で休みは固定とかじゃない、とかだったら、大変だな。この三十代らへんから突如始まったビターな感じはなんなんだろうか、とずっと思っている。コロナも経由したからかな。もう昔みたいに他人に対してどうこう、みたいな執着があまりにもなさすぎる。しかもそれがみんなにほぼ同時に降りかかった気がする。自分の中にある好きの水晶玉を見習い占い師みたいに大切に赤いクロスで磨き回してそれで精一杯だ。それ以上は求められなくなった。
 風呂に浸かりながら『メインテーマは殺人』を読む。推理小説のラスト150ページは、体感20ページだ。ここに突入したらレミー・ボンヤスキーに横から蹴られても本を離さない。
 最近ずっと僕らの別荘を観ていて、この四人はくらいくらい公園と似た距離感というか、ケムリさんが俺でてっせーさんがポテサラで石井さんが落合でこんのぴが西上くん、という配置をすると、あまりにもそうなる。それぞれがそれぞれに似ているとかではなく、配置された四人の間合いが完全に同じだ。それでずっと観ている。くらいくらい公園もこんぐらい人気になってたら続いてたんだろうな、と思う。しかしそうはならなかった。四人ともおもろいのに。
 それで今日も寝ながら再生させていたら、石井さんが野球部時代の話をしていた。小学校ずっと野球をやって、中学では帰宅部で、高校でまた野球部に入った。だけどその高校は野球部が強豪で、スポーツ推薦の奴らも入ってくる。スポーツ推薦の奴らからすると石井さんみたいなほぼ未経験の奴は「何こいつ」という感じだった。入ってすぐの頃に監督に「走ってこい」と言われて、スポーツ推薦の奴と二人で走ることになった。ここだけは野球の技術とかじゃなくて根性だから絶対ついて行くと決めて、十キロ近くスポーツ推薦の奴のとんでもないハイペースにビタでついて行った。という話をしていた。そして石井さんが最後に「この背中を見失っちゃいけないってすげー思ったの」と言った。寝ようとしていた俺は自分の高校の時のことを思い出して目が覚めてしまった。俺にも石井さんと同じような経験があったから。
 行こうとしてる高校には軽音楽部があると聞いたのは二〇〇九年の三月だから、十五年前か。十五年ってめっちゃ長いな。こんな長いとなんでもできる気がする。今から十五年後、俺は四十五歳だから、四十五歳までめっちゃ色んなことできると思うと嬉しい。小学校で野球をやって中学でソフトテニスをやり、もう運動部は懲り懲りだと思っていた俺は、自分の好きに生きると決めた。中学の時の俺は不良っぽいイケてるグループについて行くのに必死で、でも必死じゃないフリをするのにも必死だった。自分の中での「かっこいい」の暫定一位がこのグループの価値観だからとりあえずついて行ってる、というような感じだった。ただややこしいのが自分の中には本当に不良の部分(差別的で他人への思いやりなんてまるでない瞬間)もあるにはある。だけどこのグループとは何かが決定的に合わない気がしていて、ずっと薄っすら「もっとかっこいいのあるよな」と思い続けていた。これは「不良 VS サブカル」の戦いではなく「集団 VS 個人」の戦いだった。その「もっとかっこいいの」というのは、意識が自分の中に向いてる奴のことだった。連携で生き延びることをDNAに植え付けられてる田舎者たちの中にはそんな奴はなかなかいない。しかも自意識like a蒸気機関車の中高生にもなると尚更。自分に集中してる奴がかっこいいはずなのに、そういう奴が一人もいないとなかなか自分に集中できない。十五歳の俺にはそれを一人で信じることはできなかった。周りからかっこいいと思われることをやってる奴がかっこいい、というかっこよさに中学生ながらに疲れ果てて、中学の卒業式の帰りの車で母親に「誰のことも好きじゃなかったかも」とポロっと漏らしたことを覚えている。自分の胸の中でずっと張っていた緊張の糸が切れた手触りを覚えている。紫外線を浴びすぎてぼろぼろになった洗濯バサミが割れる時みたいだった。
「なーんね、友達いっぱいおったたい」
「でも、なんか、あんま、楽しくなかった」
「そうね。高校では楽しくなるとよかね」
 というような会話を経て、なんとなく曖昧な希望を持ったまま部活動見学に音楽室に行った。音楽室は後ろに行くほど高くなっており、大学の教室とか自動車教習所みたいに後方に向かって段を上っていく形になっていた。後方の壁には扉が四つあって、それぞれ中は防音室になっている。一番左がピアノの部屋。左から二番目がドラムとベースアンプの部屋。右から二番目がミニドラムの部屋。一番右がガットギターの部屋。これから三年間左から二番目の部屋に入り浸ることになるとはつゆ知らず、結構な数の新入生が集まっている中、どうしようかな、とうろうろしていた。集まった新入生たちのほとんどが未経験者のようで、先輩たちからギターの持ち方とか弾き方を教えてもらっている。そんな中、唯一の経験者だったそいつは一番右のガットギターの部屋にいた。先輩が「いや上手すぎるわ」と言いながらそいつのギタープレイを見ていた。上手すぎるそいつがエンヤだった。エンヤは五歳からギターを弾いていた。そのあとの俺はライブハウスにも出入りするようになったが、三年間で出会った誰よりもエンヤが一番上手かった。「上手い」の定義はいくつもあるが、エンヤの上手さが一番かっこよかった。先輩が「いやうますぎうますぎ!」と騒いで、人が集まってきた。それでもエンヤは別に嬉しそうでも恥ずかしそうでもなく、ただ弾いた。ただ弾いていた。「こいつ、なんか、飄々としてんな」と思った。そりゃそうだ。俺らにとっては未知で特別なエレキギターという装置も、五歳からずっと弾いてきたエンヤにとってはもう体の一部だった。それが、俺が望んでいたかっこよさだった。そうあるべきだと思っていた。でもそんな奴は今まで一人もいなかった。ようやく会えた。そのあとの三年間も、エンヤはそんな調子だった。どうやって一緒にバンドをやることになったのかわからんが、きっと俺から誘ったんだろう。俺はどんどん、音源出そう、ライブ出よう、閃光ライオット出よう、とか言いまくるが、エンヤはとにかく自分のペースでギターを弾きたい時に弾く、という雰囲気だった。次元が違った。そりゃそうだ。俺は十年遅れで始めている。この十年を追いつくにはガンダしなくてはいけない。だから毎日八時間弾いた。すぐに勉強を捨てた。音楽でメシを食うと決めた。それから僅か五年後ぐらいにはメシを食うどころか楽器に触ることすらできなくなるというのに。高校の校舎に入る扉のオートロックは朝の六時に解除される。だから毎日朝の五時ぐらいに起きてすぐに家を出て、オートロックが開くのを扉の前でドアノブをがちゃがちゃやりながらビタで待っていた。これを毎日。三年間。そんな奴はいない。しかしいた。朝のホームルームが始まるギリギリまで音楽室の左から二番目の部屋で弾き続け、授業中は握力鍛えるマシーンを左手で握り続けて、十分休みも音楽室にダッシュしてベースを弾く。放課後も真っ暗になるまで音楽室で弾き続けて、家に帰っても寝るギリまで弾く。それで四時間ぐらい寝たらすぐに起きてまた校舎の扉のドアノブをがちゃがちゃ、はよ開け、はよ開け、と、異常だった。しかしそれでも、エンヤに追いつけなかったと思う。エンヤのかっこよさは、技術とかそういうのじゃなかった。心意気の話だった。エンヤはその自分の技術に意識的になって、それをわざとらしく磨いて、東京に出てきて、自分を売り込んで、とか、そういう計算を元に行動していたら、ピカイチのスタジオミュージシャンとかに余裕でなれてたと思う。しかし、そういうんじゃないのだ、エンヤにとってギターというのは。生きながら自然と音が鳴ったり鳴らなかったりするものだった。俺はいつももったいないな、と思っていたが、そういう発想を持っていないからエンヤはかっこいいんだった。
 石井さんが「この背中を」と思っていたのと同じように、バンドメンバーとしてエンヤの背中をひたすら追いかけていた。今ではもうあの時みたいな努力の仕方はできない。朝の、オートロックが開く直前のドアノブっていうのは、とっても冷たい。早朝で周りは真っ青で、あの感じを、十五年が経った東京の真夜中、一人の羽毛布団の中で思い出していた。オートロックが開くと、ウイーンという機械の音が鳴って、突然扉が奥に開く。そして俺は殺意のようなものを抱えてあの階段を上って音楽室を目指した。早く上手くならんと。早く。早く。毎日。

三月八日
 働き、終電で帰宅して、デリケートの発送準備。梱包して、納品書と請求書を作る。Amazonで頼んだコピー用紙がいつまでも届かず、ツイッターで Amazonの配達員がストライキがどうの、というニュースを見た気がするのでそれが関係しているのかもしれない。いや全然そんなニュースはなかったかもしれない。テキトーなことを言っている。とにかくいつまでも届きそうにないので、一旦コンビニでコピーするしかなさそうだ。朝。寝る。
 京王新線から中央線に乗り換えるところで野口さんと会ったのはいつだったか。ここら辺だろうか。最初はお互い一度スルーしたあとにもう一度振り向いて確認した。野口さんがこちらに向かって手を挙げていたので、あ、やっぱ野口さんだ、と思って手を振り返した。お互い別々の場所で別々の何かに取り組み、それぞれが今日最後の電車で自宅に帰るというタイミングで交差して手を振り合う、というのはそれだけでだいぶ救われる気持ちだった。

三月九日
 それで起きてすぐにエアドロップでiPhoneに飛ばして、セブンイレブンで印刷。すぐに帰宅して捺印して、封筒に入れて、本の束にマステで括り付ける。家を出る。奥渋に行き、SPBSに入る。お客さんが多い。嬉しいな、と思いながら本をお渡しして、働きに。富ヶ谷からコミュニティバスが出ていた。ハチ公バスというやつ。百円で乗れるやつ。それに乗った。
 大変だ。ずっとできるかな、と思う。ベースを弾くことはあんなに頑張っていた少年も今ではもうなんも頑張れる気がしない。しかしこっからが本番なのである。敵陣地のど真ん中のキャンプで最後の炎が消えた。味方はみんな死んだり逃げたりした。白煙だけが上がる焚き火の前で一人になった。銃剣だけしか持ってない。食料もない。死ぬだろう。だがしかしやる。だからこそやる。どうせ死ぬ。

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