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『小説 VS 写真』第十一回

写真と文章を同時に提示する時、親密さや共鳴を見せようとするものが多いと感じています。しかしそれが上手く響き合っているものに出会えることはとても少ないです。相性が良いんだか悪いんだか。似ている二人だから一緒にいるのが難しいんだろうな、と、ふとそんなことを思い、写真家の木村巧くんに声をかけました。「喧嘩しようぜ」と。人生で初めて言いました。まさか二十八歳にもなってこのセリフを言うとは。
親密さを築くのが難しいのであればじゃあもう逆にぶん殴ってやるわ、はっはっは、と思い、バトル形式を思いつきました。仲良くすることを諦めて初めて仲良くなれるのかもしれない。
(山口慎太朗)
写真は目にした0.1秒の瞬間にその人の脳裏にイメージを焼き付けます。
小説と写真を読み解く時間は平等かもしれません。写真から繰り出されるパンチにどれだけの攻撃力があるかは分かりませんが、小説よりもきっと俊敏な一撃をくらわせることができる気がしています。写真は小説よりも手が早い。そんな暴力的なメディアに売られた喧嘩は買うしかないと思いました。
(木村巧)

ールールー

①課題曲を聴く
②山口は小説を書き、木村は写真を撮る
③より課題曲に似合ってる方が勝ち

ー課題曲ー

Talking Heads『Once In a Lifetime』

ー小説ー

 嵐山さんだ。
 あの座り心地の悪い、背もたれもない四角柱の椅子に座っていた。俺は。一人きりの音楽室で。窓の外の屋上を見ていた。嵐山さんが屋上で腕立て伏せをしている。相変わらずおもろい人だな。俺はその椅子を机の下にやたら丁寧に戻すと、この部屋を出ていった。

 簡単な屋根しかない、ほぼ外と言っても過言じゃない廊下を歩いて体育館へと向かう。
 卒業式が終わったあと午後六時から国道沿いのダイナーでパーティーをします。誰がいつから言い出したのか知らないが、卒業式当日になるとそのアナウンスはいつの間にか学年中に広まっていて、みんな澄ました顔をしながらもそのパーティーを楽しみに今日までを過ごしてきた。多分。なぜなら俺がまさにそうだったから。

 何を着て行くか散々迷った挙句、シャツの上からボーダーのトレーナー、黒いスラックスにジャックパーセル、といういつもと同じ格好しか選べなかった。玄関から出ると縁側に回り、腰をさすりながらお茶を飲んでいる母親に「行ってくる」と言う。
「お金は?」
「いらない。大丈夫」
「またつまんない格好して〜、あんた」
「息子にそんなこと言う母親いる?」
「は〜い、ここにいま〜す」
 と、元気そうに手を上げる母を見て笑った。縁側を出て行こうとすると、後ろから母親が「ひろむ」と呼ぶ。
「死ぬ以外オーケーね」
 うなずき、出て行った。

 街灯のなんてことない灰色の円柱も今日だけは違って見えた。そこから伸びる電線も、日の光で焼けて色褪せたコンビニの看板も、空き地に打ち捨てられた石礫も。今日だけは違って見える、と思ったことを覚えている。

 片側四車線のこの巨大な国道にはパチンコ屋やチェーンの飲食店がぽつぽつと、多くも少なくもない絶妙な具合で配置されていた。巨大な看板がゆっくり回るダイナー『シュリンプ・アンド・ホーン』はそのネオンサインが広い駐車場を紫色に染めて、大量に集まった若者たちのオーラを曖昧にした。俺は遠くでゆらゆらと動くその影の集まりを目掛けてゆっくりと歩いた。深呼吸をする。暖かい夜風が肺を満たすと、任務を終えた空気たちは左頬を伝って満足気にどこかへと消えた。
 数えきれないぐらい大量の同級生たちが集まっていた。このダイナーは広いと言えどとてもこんな人数は入れない。半分くらいの人間はダイナーの表にたむろして、思い思いに群れを形成した。俺も店の外でプラスチックのコップに入ったジンジャエールを飲みながらサッカー部の武知くんと話していた。市内で一人暮らしをしながら先輩が営んでいるバーで働く、という武知くんの今後の話を一通り聞く。
「ひろむくんマジでバンド辞めんの?」
「うん」
「マジかぁ、めっちゃかっこよかったのにな」
「ありがと」
 そう言いながら、ガラス戸を開ける武知くんの後ろからダイナーの中に入った。丸い、大理石のようなものでできた大きな把手だった。入ってすぐの所にあるレジのスイングドアから更に奥へ、キッチンの中に来た。銀色の無機質な調理台があって、一人のおじさんがタバコを吸いながらiPhoneを操作していた。仁人くんの父ちゃんか、となんとなくわかった。このダイナーの持ち主だ。仁人くんの父ちゃんは武知くんに気付くと、「お、なんか飲む?」と聞いた。
「食べるものとかあります?」
「あ〜、食いもんは全部テーブルにあるよ」
「ビールとか飲んじゃダメっすか?」
「ダメ〜」
「ダメか」と言いながらキッチンを出て行く武知くんの後ろについて歩く。
「三枝さんのところの息子か?」
 俺は足を止めて振り返ると、煙の奥にいる仁人くんのお父さんを見つめた。
「はい」
「そうか。でっかくなったな」
 仁人くんのお父さんはガラスの灰皿にタバコを押し付けて消した。浅黒い薄い皮膚をした手の甲に血管が浮き上がっていた。
「お会いしたことあります?」
「こんぐらいの時に」
 そう言うと仁人くんのお父さんは親指と人差し指で3cmほどの隙間を作って見せてきた。
「お母さんは元気か?」
 なんだこいつ。よくわからないが、不快だ。
「はい。元気っす」
「大切にしろよ」
 無視してキッチンを出て行った。

 賑やかなテーブル席の間を歩いていると、すごい格好をした女の子とすれ違った。黒から白にかけてグラデーションになった生地が複雑に折り重なった、ひらひらの、ドレス。武知くんの後頭部が重なって顔が見えなかった。
「今の見た?」
 武知くんがニヤニヤしながら聞いてくる。
「見た。誰? 今の」
「美術コースの嵐山さんわかる?」
「あ〜、うん」
 武知くんはダンス部の女子が集まっているテーブルの前で止まり、「このピザちょうだい」と軽快に言うと、「はい奥詰めて〜」と女子の隣に座った。「武知なんなの〜」と女子たちが笑っている。俺はそこで自然に切り離れて、奥のテーブルの軽音楽部の集団に合流した。もはや何も挨拶を交わさないいつもの顔ぶれ。最後のパーティーだと言うのにこいつらはいつもと同じメンバーで集まって、今日も真空管アンプの鳴りがどうのこうのと話し合っている。
「ちょ、お前らさ」
 思わず割って入る。
「ヴィンテージのマーシャルの話なんかいつでもできるから」
「い〜や、三枝はわかってないね。これが最後なんだよ」
「どうせ会うだろお前ら」
「いや会えなくなるよ、絶対」
「そうかね〜」
「三枝だって結局ここ来てるじゃん」
「俺はね、もうあと十秒ぐらいでどっか行きます」
 わざとらしく腕時計を見ながらそう言った。
「うわ人気者ですね〜」
 ぞんざいに扱うことでしか出ない荒い風合いの革ジャンを着ていた野口が「三枝」と言った。
「がんばれよ」
「うん」
 あとは全員と無言で握手を交わすと、手を振ってこの場を去った。

 テーブル席を回りきった先のゴール地点、カウンター席に、ゴスロリの後ろ姿が見えた。嵐山さんだ。
「嵐山さん」
 後ろから声を掛けると、嵐山さんはiPhoneの高速フリック入力をやめてこちらを向いた。
「一年の体育祭の時に美術室で喋ったことあるんだけど。三枝広霧。覚えてる?」
 嵐山さんは左隣の席に置いた小さな黒革のハートマークのバッグを取ると、「座っていいよ」と言った。質問には答えてくれないんだな。俺を隣に座らせたあとはまたすぐにiPhoneで爆速に文字を入力していた。

 一年の体育祭の時、あまりにも暑かったので俺はこっそり抜け出して、誰もいない校舎の中をうろうろしていた。美術室は離れの一階の一番奥にあって、そこの前を通った時、とんでもない爆音で何か奇怪な音楽が流れていた。恐る恐る扉を開けると、嵐山さんが一人で大きなキャンバスに向かって絵を描いていた。それが初めて話した時だ。「変な子」という噂通り、会話の流れは見たこともない、ぐにゃぐにゃの水風船のように曲がった。
「初対面の人と話すのあんまり得意じゃないから急に変なこと言って傷つけたりすると思う」
 嵐山さんの第一声はそれだった。しかも俺からの「サボりっすか〜?」という問いかけへの返答だった。
「あ、全然、大丈夫っす」
 嵐山さんはうなずくと自分の絵へと向き直った。キャンバスには海が描かれていた。わかりやすく大きな海だった。絵に集中する嵐山さんから少し離れたところに座り、長いこと見ていた。遠くから体育祭の喧騒と爆竹の音が聞こえる。扇風機は退屈そうに首を振った。筆を置く手つきと白い時計。

「あの海の絵は」と言うと、嵐山さんはiPhoneを置いてこっちをまじまじと見つめた。近い。目が茶色いな、と思う。耐えられずに視線を逸らしてジンジャエールを飲む。
「完成しました?」
「うん」
「ああいう大きな絵ってどうやって持って帰るの?」
「手だよ。両手」
「両手。力持ちっすか?」
「割とね」
「あ、腕立てしてましたもんね、今日」
「え、なんで知ってんの?」
「音楽室から見えるんすよ、屋上」
「何飲んでんの?」
「ジンジャエール」
「え、私も飲みたい」
「持ってくるよ」
「いいよ、自分で取り行く」
 嵐山さんが笑いながらそう言ったが、それは嘲笑のような様子だった。
「外なんだよ。かっこいい服着てるから出入りするの大変だろうなって思って」
「あぁ、そうなんだ」
「一緒行く?」
「うん」
 高い椅子から降りて二人で店の外に出る。その僅かな距離でも周りからの視線がかなり集まっているのに気付いた。
 ダイナーの表でジンジャエールを飲むと嵐山さんは「落ち着いた」と言った。
「落ち着いてなかったの?」
「文化祭でベース弾いてたね」
「あ、俺? うん」
「ああいう大きな楽器ってどうやって弾くの?」
「手だよ。両手」
 そこで嵐山さんは嬉しそうに笑った。笑う時に顔の右側だけをくしゃっとさせるタイプだった。嵐山さんはすぐに笑うのをやめて、ジンジャエールをがばがば一気飲みするとカップを丸いテーブルに置いて「海見てくるから、ばいばい」と手を振った。
「うん、じゃあね〜」
 どんどん小さくなるゴスロリの後ろ姿を見つめて、なんかおもろかったな、と思う。

 それから二時間でほぼ全てのテーブルを回り、同級生全員と話した。ぱらぱらと、ゆっくり人が減っていき、気付くともうダイナーの表には誰もおらず、店内に収まるほどの人数になっていた。グラスのぶつかる音、薄く流れる八十年代ロック、たまに起きる笑い声、ファイヤーキングのマグカップに入ったカフェオレを飲み干して、「じゃ、帰るわ」と同じクラスだったギャル軍団に別れを告げて、ダイナーを後にした。

 国道沿いを歩いていると、一台の、クリーム色の車高の低い車がゆっくり横に停まった。野口だった。
「乗ってく?」

 車の中ではトーキング・ヘッズが爆音で流れていた。
「何この車」
「もらったんだよ」
「良いやつ?」
「ボルボ」
「お前さぁ、免許取り立てでボルボってどうなの? ダサくない? 逆に」
「なんでだよ、かっこいいだろ」
 それからしばらく無言で国道を走った。窓の外を見ていた。錆びた歩道橋や随分昔に潰れたカメラ屋の空き地や、24時間営業のチェーン店を通り過ぎ、しばらくすると車は左折して、すぐにまた右折する。海沿いの道に入る。
「さっき永遠の別れみたいにかっこつけて握手したのに、すぐこうやってまた会うんだな」
「気が合うんだろうね」
「いいね。バンドやる? 一緒に」
 ふん、と笑うことしかできない。野口とバンドをやっていた。高校を卒業したらみんなで東京に行ってもっとガンガン活動しよう、という提案を俺だけが却下した。金の問題だった。
 海沿いの道は進むにつれてどんどん細くなっていき、地面は舗装されたコンクリートからただの土へと、防波堤はただの放置されて伸び切った草へと変わった。雨が降ってきた。野口がレバーを押してワイパーをつける。もうすぐうちの前に着く、というところで砂浜に人影が見えた。あの三角錐のシルエットに見覚えがあった。
「うわ」
 嵐山さんだ。
「どした?」
「ちょっと一回停めて」
「え?」
 古いボルボは海沿いの汚い道路で停まると赤く光った。ワイパーが窓を拭う、ぐぐぐ、という音が鳴った。
 俺は車を降りると、その人影に向かって「嵐山さ〜ん!」と叫んだ。その影はこちらを向くと、ゆっくり近付いてきた。
「車〜! 乗る〜?」
 嵐山さんは時間をかけて砂浜を歩き切り、ようやく目の前まで来ると「乗せてくれんの?」と言った。

 野口はトーキング・ヘッズの音量を下げてくれて、三人で静かに話した。何を話したのかはもう覚えていない。俺の家の前に着くと、嵐山さんが「泊めてくんない?」と言ってきた。野口が俺の顔をちらっと見る。反射的に俺も見返す。
「いいよ」
 二人で車を降りて、運転席の方へと回る。野口が窓を開ける。
「じゃあな」
「うす」
 今度は握手はしなかった。

 母ちゃんは嵐山さんを見るなり、「何このかわいい子」と言い、気に入った。俺はもうヘトヘトだったので風呂に入るなりすぐに寝たが、リビングで嵐山さんと母ちゃんは夜がふけるまでゴスロリについて話し合っていたらしい。

 目を覚ますと既にもう昼で、隣には嵐山さんがいた。と言っても同じベッドの中ではなく、嵐山さんは床に布団を敷いてそこに寝ていた。ツインテールだった髪は降ろされて、化粧もしていない。ドレスも着ていない。母ちゃんが昔よく着ていたピンクのスウェットを着ている。肌が白い。

 俺はあの日、嵐山さんと栗拾いをした。本当は母ちゃんが毎年一人で収穫していたが、腰を痛めていたのでずっとできずにいた。嵐山さんは起きてすぐにリビングに降りてきて「栗拾いしたいです」と言った。

 卒業式の翌日、俺は、ゴスロリの、一度しか喋ったことのない同級生と栗を拾った。


ー写真ー

木村くんの写真はこちら↓

ープロフィールー

山口慎太朗 -
1993年熊本県生まれ。作家。
映画『アボカドの固さ』脚本
短歌連作『怒り、尊び、踊って笑え』『Emerald Fire』が笹井宏之賞最終選考に残る。
著書『誰かの日記』
Twitter:@firedancesippai

木村巧 -
1993年茨城県生まれ。写真家。
ライブカメラマンを経て写真家青山裕企氏に師事。
独立後はフリーランスを経験したのち就職。毎年1冊のペースで写真集を制作中。
Instagram:@kmrsan

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