二十九歳の日記(5/13-5/27)

五月十三日
 久しぶりに下北で働く日だった。雨が降っていた。思っていたより暇だったので、ラウンジに行き、ひたすらカップにシールを貼るという業務を担当する。無茶苦茶に貼る。ひたすら。長いこと。大量のカップを持ってお店に戻ると、佐藤くんから「たくさんやってくれて助かる」と言われて一安心。そのあともゆったりな様子だったので、予定より早めに上がらせてもらった。日記屋月日さんに入って『二十八歳の日記』を探すが見当たらないので店員さんに声をかけると、もう売り切れていたようだった。マジで、と思う。ありがとうみんな。
 iPhoneの充電をするのを忘れていた。残り14%だ。三軒茶屋までの行き方を調べる。バスで行くのが良さそう。バス停はどこだ、と思ってGPSを使うが、位置情報は充電を食いそうで不安になる。ヨーコちゃんと日下部に「充電やばいっていう凡ミスしてるからもう今から三茶行って喫茶店入っとく、お店わかったら教えるね」とLINEして、バスに乗る。混んでいた。土曜か、と思う。
 別れ際、セブンイレブンでヨーコちゃんに「コーヒー飲む?」と聞くと「飲む」と応えたので、「ブラックとカフェオレどっちがいい?」と聞くと、カフェオレのがいいとのことだった。店員さんに「コーヒーのレギュラーひとつとカフェオレのレギュラーひとつ下さい」と伝える。
「カフェオレは今洗ってます」
 機械を洗浄中という意味だった。おもろい言葉だな、と思う。カフェオレそのものを洗っていたら、それはグラデーションで水になる。
 後ろを向き、店内をうろうろしていたヨーコちゃんに大きめの声で「ヨーコちゃん、今カフェオレ洗ってるって〜、どうする?」と聞くと「じゃあブラック」と応えたが、もうブラックとしか言いようがない質問を投げてしまったな、と日記を書いている今ちょっと後悔している。
 終電での帰り際、反対側のホームにいるヨーコちゃんに手を振り、日下部と一緒に電車に乗る。

五月十四日
 朝起きて真っ先に思い出したのは、韓国料理屋でヨーコちゃんが言った「人間って最悪なのかもね」という言葉だった。それは絶望ではなくてそこから始めるための希望の言葉だった。ノラの五枚目のアルバムをレコードプレイヤーに引っ掛けて爆音で鳴らす。家を出て、近所のコンビニに。大量の手数料を奪われながら金を下ろして、マスクと揚げ鶏とLightningからイヤホンジャックへの変換ケーブルを買う。駅まで歩き、通勤定期を更新しようとしたらJRの改札じゃないとできないようだった。
 働いている間に思い出したのは、ヨーコちゃんとの別れ際に「楽しかったわ〜、ありがとうね」と言うと、ヨーコちゃんが「え、だよね?」とお互い楽しかったことをギャル全開のやり方で確認してきた景色だった。
 休憩中に見知らぬ駐車場に行くと、大雨が降ってきた。日記を書くことは散らかった記憶にパーテーションを設置していく感覚だけど、これが良いことなのかはわからない。つまりもう書かないと気が済まないというか、多くの人は日記を書かずに生きている。日記を書けば落ち着くということはつまり書かないと永遠に落ち着かないということだ。
 働き、帰路、ラップスタアの最新回を観ながら帰る。これまでも毎週ずっと観てきたけど、今回はなんだか毎回凄すぎて、もう特に言うことがない。とにかく全員凄すぎる。ファイナル出場の五人目を話し合いで決める、という方式がおもしろかった。Rさんが「もう一回前半の映像なしで音源だけ聴きたい」と言って、審査員がそれぞれの姿勢で聴く。RalphとSEEDAは立っている。Ralphは正面を向いて、SEEDAは後ろを向いて。AKLOは座ったまま前のめりの姿勢で目を閉じて。うわここノーカットで見せてくれるんだ、とゾクゾクする。TAKAくんは座ったまま、聴いてる間もほぼ動かない。もうそれだけでこの五人のスタイルが見えてくるというか、俺が審査員だったら絶対立ってるだろうな、と思う。帰宅して、お風呂が貯まるのを待つ間もずっと観る。
 風呂から上がり、雨連発でずっと眠い。Apexランク。みんながルールを把握してきているようで、明確に減りが遅くなった。簡単簡単言うてた奴らも今ではもうだいぶ苦戦しているだろう。

五月十五日
 ヤマト運輸さんがインターホンを連打してくれたおかげで起きれた。またもや雨で重たい体を引き摺りながら丸ノ内線のホームに降りて、自動販売機でレッドブルを買った。

五月十六日
 覚えとらん。

五月十七日
 えっちゃんの『ワンオブゼム』を聴きながら中央線に乗っていた。「耳にも手にも見えないものが溢れる」という歌詞の意味がわからない。しかし何度も絶叫するのでそれが切実な何かだということはわかる。
 吉祥寺のルノアールに入ってさよぴぃとななえさんとZINEの打ち合わせ。テーマの候補をいくつか決めて、帰宅。
『味方の証明』の続き。

五月十八日
 寝る前にYouTubeで観ていたリズムマシーンとエフェクターを繋げてビートを刻む動画が最高だった。調べる。リズムマシーンはelektronのdigitaktというやつで、エフェクターはMicrocosmというやつだった。makroblankさんの『痛みの永遠』をずっと聴いて、これ俺もやりたいなぁ、という思いが日々積もっていってる。コタローに「ビート作りたいんだけど、サンプラーとかリズムマシーンとか買ったがいいんかな? Logicで充分?」と聞くと、Logicで充分とのことだった。

五月十九日
 働き終え、帰路、そのべさんと冨岡さんがスペースで『蟻酸』について話していたので聴きながら歩く。たくさん褒めてもらって嬉しくなる。帰宅。確かに俺はどうやって短歌を書いてるんだろうな、と考える。理論で説明できる部分はあるにはあるが、そういうのは全て後付けの技術論で、そもそもなぜそれが思い浮かぶのかと聞かれてもわからない。

五月二十日
 夜の西荻を歩きながら、もっとぶちかまさねえと、と思う。たくさん書かないと。

五月二十一日
 朝から働き、「じゃあ俺TWICE観てくるね!」とわざわざみんなに報告して退勤。吉祥寺でぺっちゃんと合流。明大前で京王線に乗り換えた時にはもう電車の中はTWICEファンだらけで、若い女の人が多い。もっとおじさんの集まりかと思っていたからちょっと驚く。飛田給で大量の人が降りる。駅のホームから味の素スタジアムまでずっと大量の人。自分たちの席に着くまで人混みに揉まれ果てていた。五万人がいた。俺の地元の町の人口より多い。この時点でかなり意味がわからなかった。俺の地元よりも多い人数が一箇所に集まって、九人の人間が歌って踊るところを観ようとしている。客席は上手側の割とステージに近いところで、ランダムで決められたのに結構良い席だった。モニターにはメンバーのアップが次々と映し出されていたが、みんな目を閉じてふわ〜っとしている。寝ている。寝ている映像がずっと流れていた。開演時間直前になるとSET ME FREEが小さな音で流れてきたが、まだ客席はざわざわしているし、なんなら全員が着席していない。まだライブは始まりそうにもない雰囲気。しかしサビが終わった瞬間ノイズが爆音で鳴り、目を閉じて眠っていたミナがガバッ!と目を開ける。五万人が絶叫し、立ち上がる。オンタイムで始まった。次々と切り替わる映像の間を縫ってカウントダウンが始まる。5.4.3.2.1と。爆音と共に九人が横並びになってせりあがってくる。客席は狂喜乱舞。俺も「う〜わ、かっけ〜〜〜!」と言っていた。お馴染みのシンセベースがペッ・ポンと鳴り、SET ME FREEが始まる。ステージと割と近いと思っていたが、いざ九人が現れると、米粒のようにしか見えない。そうだった。あの九人も我々と同じ人間なので比率は変わらない。そこからの三時間はあっという間だったが、まず最初の感想としては、結構怖かった。なんだか色んな価値観とか自分の世界観をぶち壊された気がして、それを簡単には認められない、というような感覚。一番印象的だったのが、ミナがアップになった時に投げキッスをしたシーンだった。ミナが何か喋り、チュ、と手の平を唇から離すと、五万人が大絶叫した。そこで、なんか、バグった。一人の人間が投げキッスをするだけで五万人が叫ぶという現象が、もう、なんか、ちょっと変すぎないか? と思った。いや俺も「その投げキッスいいね〜!」とも思ってはいるんだけど、なんかとにかく、これはちょっともはや不快感に近い雰囲気だった。だって、同じ一人の人間だ。異常だ。今まで色んなライブを観てきたが、これまでこの恐怖は感じたことはなかった。俺が変わったのか周りが変わったのかわからないが、今まで観てきたライブの中でも単純に今日が最も規模が大きい。熱量も。何かを愛したり好きになるという行為は結構異常なのかもしれない。カルト宗教の大規模な集会という感じがして、いや俺もその教祖九人組を好きではあるんだけど、好きすぎて狂ってる人たちが周りにうじゃうじゃいると、ちょっと怖かった。カルト宗教の集会でもそういう人っているんかな。いざ集まってみたら「いや私にとって確かにこの宗教は救いだけど、私はそういう愛し方じゃないんだよな……」みたいなことを思っている人。いたとしたら、なんか、大事にしてほしい。とかそんなわけのわからないことを考えながら人間じゃない何かに成った九つの塊を観ていた。自分が前髪をかき上げるだけで五万人が泣き叫ぶ日々を送っていたら、どうなっちゃうんだろう。正気を保つのが難しいだろう。こうやって書くとまるでライブが良くなかったみたいな感じに見えるが全くそうではなく、なんか凄すぎてとにかくドン引きだった。自分はあの三万人しかいない町でずっとうじうじ何を悩んでいたんだろう。ミナが投げキッスをするだけで俺の地元より多い人数が爆上がりしているのである。そうなるとこの二十九年で積み上げてきたデータ全体にズレが生じる。それが快感であると同時に不快感でもあった。とにかく何もかもが合ってない。そんなおおよそ人間が一人では持てないはずのとんでもないパワーを持っているのに、ぺっちゃんが持ってきた双眼鏡を借りないと小さくて見えないのとか、わけがわからない。だから俺は帰り道に「TWICE全員身長六メートルぐらいあればいいのに」と言ったが、これは本当にそうだった。六メートルとか十三メートルとかないと、ちょっと持ってるパワーと釣り合わない。双眼鏡で舞台上を覗くと、確かに150cm〜160cmの人間がうろうろしている。生でよく見ても同じ人間だった。周りを見ると、ちらほら、静かにじっくりライブを観ているおじさんなどがいて、あ、一緒一緒、と思う。内側できっと静かに燃えている感じ。東京に出てきて激情的な十年間を過ごしてきて、疲れ果てた。だから強烈な愛情とか、爆裂な怒りとか、そういうの、もうやりたくない。持ってるからこそ使いたくないと思う。とか言いながら、ジョンヨンがトロッコに乗って近付いてくると「わ〜! ジョンヨ〜ン!」とか言いながらしっかり楽しく手を振っていた。とにかく「エグすぎる……」という感想が主で、それについてばかり考える。無茶苦茶だ。なんだあのライブは。左後ろらへんに意図的にキモオジムーブをやってる青年がいて、彼が叫ぶ度にここら辺の五百人ぐらいが笑う。あいつ偉いな、と思う。彼はサナが好きなようで、「さぁ〜た〜ん! こっち来て〜!!!」などと絶叫し、あまりにも通る声とその絶妙な内容でみんなが笑う。彼が「何かを好きになる」ということに本質的に付き纏うキモさを一人で背負ってくれていた。なぜ彼がそれを意図的にやっているのかを汲み取ったのかというと、頻度だった。本当に危ない人はやたら叫びまくったり、言ってはいけない内容を叫んだりするが、彼の叫ぶ頻度は多すぎず少なすぎず、内容もラブを軸にして叫んでいるので不快感にならない。実は配慮がそこそこ行き渡っていた。アンコールも終わっていよいよライブ終了、という時に、彼が「気を付けて!!! 帰って!!! ねぇ〜!!!」と大絶叫したが、気を付けて帰るのはどう考えても我々の方である。あの九人はあの九人しか乗っていない個人セスナで移動しており、我々はこのあとありえないぐらいの満員電車に乗って帰るのだ。どう考えても気を付けて帰るのはこちらだが、そんなこと関係なくしてしまうのがラブの末恐ろしさだった。チェヨンがギターを弾いたあとに「ギター練習してるので頑張ります」みたいなことを言った。その時も彼は「がんばれ〜!!!」と叫んで周りのみんなが笑っていたが、そう、どう考えても頑張るべきなのはお前の方である。誰がどう見てもチェヨンは少なくとも物質的には満たされまくっている。彼は毎日仕事に疲れ果てているのにも関わらずそれでもまだ自分より満たされている相手に向かって絶叫し、応援している。実際どうかはわからないがあまりにも不均衡な感じがして目眩がするが、そういうもんだ。それもまた良い感じなのだ。ラブの滑稽な部分から彼は逃げずに叫んでいる。本人がTWICEを観て日々を乗り越えられてきたこと、いること、それが重要だ。だから俺は「お前も頑張るんだぞ〜」と心で返事を送る。

五月二十二日
 昼過ぎに吉祥寺に行き、ぺっちゃんと西上くんとフジロック用のレインウェアを探す。むずい。
 ルノアールで一服して、西上くんとチョコレートパフェを半分こした。
 ぺっちゃんが新大久保に行きたいと言うので、そうする。K-POPアイドルの写真やマグカップやステッカーなどを違法なやり方で売っているお店がいくつもあり、笑う。俺でも作れる。なんなら俺の方がもっと綺麗に作れる。「なんでもありかよ」と笑いながら色んなお店を回る。ブロマイドの裏面を見ると思いっきり「canon」と書いてあり、本当にただ自宅で印刷したようなクオリティーだ。誰からも訴えられないのはここが日本だからだろうか。韓国料理を食って外に出ると雨が降っていた。

五月二十三日
 日記に書き漏らしていることがいくつもある気がする。『味方の証明』と『おんなのこのともだち』は隙間隙間でずっと書いているわけだが、『味方の証明』は少し停滞中で、今は『おんなのこのともだち』がモリモリ進んでおり、もう既に四十首ぐらい出来ていた。電車が来るまでの時間とか、歩いてる時なんかに、iPhoneのメモ帳や黒革の手帳に書いている。今日も働き、帰路、電車の中で『おんなのこのともだち』を書き、自宅の最寄駅で降りる。この日は雨が降っていた記憶だが、もしかしたら全然違う日かもしれない。真っ暗な公園を横切ると、木の下に大学生の男女五十人ぐらいが固まっていた。サークルの仲間たちだろう。しかしその割にはあまりにも誰も喋っていない。なんだこの集団は、と思ってじろじろ見ながら通り過ぎる。少し、喋っていた。数人だけ。どういう集まり? 帰れば?
 ここ最近は落合と早ちりとりとApexをやっているが、今日はなぜかメンタルがちょっと調子悪めで、今思うとそのきっかけは一個のツイートだった。知らん誰かのツイート。『花束みたいな恋をした』の中で、映画や小説が大好きだった菅田さんが就職してからは疲れ果てた体と脳みそで毎日パズドラをやってギリ生きてる、みたいな描写があるらしく、そういう文化的体力みたいなの確かに落ちていくよね、みたいなツイートだった。自分と近い感じがしてぶっ刺さってしまった。観てもないのに。本も読んでないし、人付き合いももう他人の闇に深入りする癖を辞めようと思っているし、映画もここ数年一本も観てない。ゲームをやるか文字を書くかだ。しかしこの五月二十三日の日記を書いている現在の俺はどこにいるのかと言うと、五月二十五日の真夜中だ。だからその落ち込みはミステイクだということを知っている。なぜならこの翌日から『ブラッシュアップライフ』にハマって寝る間も惜しんで観る羽目になり、冷静に戻るからだ。菅田さんのパズドラと俺のApexはそもそも本質的に違うという当たり前のことにすら気付けないぐらい疲れていたんだろう。あとインプットというのは映画とか小説からだけしか貰えないというわけでもなくて、生きている限り周りのもの全てがインプットだということも知っている。冷静になってよく考えると別に落ち込む必要のない問題というのはいくつもあり、未だにこうして些細なことで足首らへんまで浸してしまうが、そのリカバリーは随分と早くなった。

五月二十四日
 十四時間寝た。疲れているようだ。日記がなかなか書けない。
 起きてすぐに『巨木とスプリングフィールド』の一枚目のデザインを組む。完成。ワードの中に放り込んでみるが、なぜかサイズがいじれなくて中断。うーん、作業系になると途端に腰が重い。物語を書くことしかしたくないようだ。なんて奴だ。
 洗濯機を回して、びしょ濡れの布たちを干す。
 ヨーコちゃんと落合から同じタイミングで『ブラッシュアップライフ』をオススメされていたので、観る。おもろい。無茶苦茶ネタバレを書きまくるのでこれから見ようとしている人はこれから書かれる文字たちは読まない方がいいです。衣装さんがグッドワークをしていた。全員茶色系。二周目から安藤さんだけ服の系統が変わる。茶色系は一周目の世界という無意識レベルへの刷り込み。脚本を読み込んだ上での衣装術。安藤さんは死ぬ直前、夏帆さんと木南さんとコンビニの前のベンチに座って喋っていた。地方で生きる、ということの細部の汲み取り方が最高だ。移動は車であること。人間関係の広さがこのぐらいであること。でっかいラウンドワンがあるということ。コンビニの前にはベンチが置いてあるということ。時代考証や市役所職員の業務内容についてはサポート的な人がバカリさんに付いているはずだが(ヘタしたら付いてない可能性すらある)、こういう部分は本人からしか出てこない。コンビニの前で安藤さんと夏帆さんはアイスを食べ、木南さんは焼き芋を食べている。もうこれだけで最高だ。これはト書きに書いてあるんだろうか。二周目に入って小学生に戻った安藤さんは夏帆さんと木南さんと駄菓子屋の前にいる。ここでも安藤さんと夏帆さんがアイスを食べて、木南さんだけチョコバットを食べている。この時点でもう泣きそう。ずっとそうなのね、あなたたち。しかし凄かったのはここからもう一発あるところだった。黒木さんが入ってきて、そのコンビニの夜をまた迎える。夏帆さんと黒木さんがアイスになって、安藤さんと木南さんが焼き芋になった。本当は、この四人組だったんだ、と思って涙が出る。ゲームボーイアドバンスが返ってくるところは普通にぶち上がった。椅子から立ち上がって「うぉおおお〜〜〜い!!!」とか叫びながら観ていた。拍手しまくり。久しぶりにドラマを観て、浄化された気分。やっぱ物語ってええなぁ、と思う。

五月二十五日
 マックデリバリーを頼んだ。インターホンが鳴ったので玄関に「は〜い」と言って出ると、配達員の人が無言でこちらを見つめている四秒間ぐらいの謎の時間があり、「あ、マックデリバリーです」と言ったので、「……はい」と応えた。何の間だったんだろう。「マックデリバリー」という単語が出てこなかったんだろうか。だとしたらだいぶ調子が悪い。
『ブラッシュアップライフ』の続きを観ながらダブルチーズバーガーを食う。四周目の人生で勉強に励むことを選んだ安藤さんはそのせいで夏帆さんと木南さんと友達になれない。しかしふと、平日の夕方、自室で勉強しているその鉛筆を置いて、お母さんに「図書館行ってくる」と言う。しかし行き先は公園のベンチだ。シール交換をしている夏帆さんと木南さんに「混ぜて」と言う。もうここら辺から涙が止まらない。五時のチャイムが鳴っている中、安藤さんだけ別の方向に帰る。
 眠いけどずっと観てたくてそのまま八話まで観る。もう、確変に入った。全てのシーンが美しすぎてずっと泣いてる感じになる。
 働き、帰路、終電ギリギリだったので走る。それだけでヘロヘロ。無事に乗り、ブラッシュアップライフの続きを観る。帰宅してからもずっと観る。全部見終わった。衣装が最後に茶色系に戻ってくるところにグッときた。
 全十話を通してぶち上がった箇所はいくつもあるが、特に喰らったのはアドバンスが返ってくるところと、小学校の入学式の日に廊下ですれ違う二人がお互いに手の平をひらひらさせるところと、志田さんが旦那さんについて「え、ギリ斎藤工じゃん」と返すところ。この三つは特に最高だった。
 セブンイレブンに行くと、レジ前に設置されていた透明のでっかいビニールが撤去されていて、そこで初めてコロナの収束を感じた。長かったな、と思う。色んな計画が狂った。マスクにいくら金を払ったんだろう。もう着けないつもりでいる。

五月二十六日
 働き終え、ラップスタアのラストライブを観る。ぶち上がり。全員すげえ。今回のラップスタアはもうサイファー審査から最後までずーっと全員良かった。RさんがAMOくんに「もっと自分の人間性に甘えていい」とアドバイスを出していたのが印象的だった。SpadaのところでRalphとSEEDAとRさんが立ち上がっていたのも最高だった。
 夜中、落合と早ちりとりとランク。クソ盛った。もうすぐダイヤ。

五月二十七日
 休憩中に今野書店に行く。四冊も買う。
 働き終え、ヘロヘロで帰宅し、風呂に浸かり復活。浸かりながら『うるわしの宵の月』の一巻を読んだ。ガッツリ少女漫画だなぁ、と思う。ガッツリの少女漫画に出てくる男の子ほど女の子のことを物体として見ている節があるのは不思議だ。「ふっ(微笑み)、おもしれえ女」みたいなやつ。つまりイケメンにされたら嬉しいけどブサイクにされたら地獄のように最悪ということで、この中間が皆無な感じについてしばらく夢中になって考えそう。だけど、あ、良い漫画かも、と思ったのは、琥珀くんが男友達から「なんで宵ちゃんに夢中なの?」と聞かれて、「服脱いだらどんな感じなんだろうとか思うじゃん」みたいなことを応えて、「なんだよ性欲かよ」と呆れられるシーンだった。琥珀くんはそのあと一人で歩きながら「あんな美しい人を前にしてもっと知りたいとかずっと見てたいとか思う方が真っ当だよ」と思う。良い切り口。琥珀くんは自分の欲望とか願いをちゃんと認めて飲み込んでいる。
 風呂から上がり、早ちりとりとランクに。昨日の戦いが良かったので早ちりとりは配信を見返していたらしく、しかし昨日は戦いに夢中で気付かなかったけどファイヤさんイカれてるよ、と言った。落合が昨日ブラハを使っていたが、普段はオクタンを使っている。オクタンのつもりでアビリティのボタンを押すとスキャンが出てしまう、ということがあり、「あー、俺ジャンパとかないんだ」みたいなことを落合が言った。それに対して俺が「無能じゃん」と言い、ちりにきはそれに対して「言葉強っ」と笑っていた。あれとか特にイカれてるよ、と言われて、「いや、冗談よ」と説明すると、「もちろんもちろん、わかってる、スピードね。『無能じゃん』が出てくるスピードが早すぎるってことよ」と言われる。スピードか、と思う。オリンピックの上映会を阿佐ヶ谷ロフトでやらせてもらった時にアンケートに「矢吹くんがまともなのかイカれてるのかよくわからなくて良かった」みたいなことが書かれていて、それを思い出す。凄い真面目でまともな奴だと自分のことを思っているけど、意外と変なのかもしれない。わからないもんだな。
 寝る前に『われら闇より天を見る』を読む。おもろい。第三章に入る。どうなっちゃうんだろう。

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