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「現代俳句」2021年8月号

 わたしの作業効率の悪さゆえであろう残業に、室長から「遅くまでお疲れさま。ありがとう」とメールが届く世界に生きています。疲れていたからか、ちょっと泣きそうになりました。山場は休み明けに控えていますが、室長に泣きつきながらがんばりたいと思います(泣きつかんとがんばれよという)
 はい。というわけで今月号です。石の上にも三年という言葉がありますが、こんな雑記帳でもおかげさまでちらほら見ていただく機会が増えているような気がします。ハートありがとうございまーす! うれしいー!

  以前からちょこちょこと紹介しております。現俳協のYouTubeチャンネル、地区協会長インタビューの関西版(久保純夫さん)が公開中です。ぽんぽんとね、甲信地区版(どこで撮影したのかめちゃくちゃセットが豪華です。すげ~~~~)、神奈川県版(どこのおしゃれなカフェかしらと思うようなロケーション)も公開中です。関西版のZoomが清々しいほどに「今」という感じがして、わたしはとても好きです。どの地区の動画も、地区会長と俳句の出会いや俳句へのモチベーション、今後の現俳協についてなどとても真面目なインタビューとなっております。
 関西版だと話に出てくる俳人の名前や主な著書などがテロップに出てきますので、一時停止しながらメモを取ってもいいですし、スマホだとスクショ保存で済むのでぜひ。
(多分動画のロケーションいちいち気にしてるのわたしくらいだと思うんですけど、どの動画も雰囲気が違っておもしろいので、その辺も一緒に楽しんでもいいんじゃないかな、と。動画編集できるの、ほんとすごいっす……)

「翌檜篇」(32)
東海地区 現代俳句協会青年部 選

 今月も東海地区のみなさんです。僭越ながら(そして毎度のことですが)「いいな」と思った句とその感想をつらつらと。


やまひ  八木大和

てのひらに名句や俳句甲子園
 てのひらに名句を書き込んでいるのか、ポケット歳時記を持ち歩いているのか、とにかく俳句甲子園の日なんでしょうね。「や」と切れているからか、書いてもいないのにこの日が晴れているような清々しさを感じます。

風死すや戦艦の名を継ぎし我
 あまり作者の名前やプロフィールに関心がないので(コラ)、この句を読んでもう一度お名前を確かめました。なるほど、大和さん。戦艦「大和」と同じ名前なんですね。名前の由来を聞いたら戦艦から取ったと言われたんでしょうか。それとも、同じ名前にどことなく使命感を感じたのか。「我」と強い一人称を持ってきているところに、なにか覚悟のようなものを感じます。


言葉の化学  村上海斗

月涼し付箋に左利きのメモ
 なんで左利きだってわかったんでしょうね。左利きの人でも字は同じように書きますし。「左利きのメモ」とあるので、その字で左利きの人が書いたものだとわかった、と受け取るのが素直かなぁ。一瞬「のりの位置がいつもと逆だったのか?」と思ったんですけど。わたしは右利きだから左側にのりがくるように貼りますけど、左利きの人には剥がしにくいと思うので。
 静かな夜に誰が書いたかわかる付箋がある。夜食のメモかもしれません。なんだかやさしい気持ちになれる句だな、と思いました。

朝焼けや敬語で話す鴨の群れ
 新入りの鴨……なわけないか。比喩ですかね。もしかしたら新入りの鴨がいたかもしれないですけどね。小鴨とか。それはそうと、新人の集まりみたいなものを見かけたのかもしれません。引率の人がいて、あとはみんな先輩で。鴨の群れに投影したのか、そんな姿がそう見えたのか、いずれにせよ取り合わせが面白いな、と思いました。


光  安部奈月

囀や棺の釘を打ち終えて
 棺の釘とはまた、大きなお仕事ですね。棺を作るという行動と求愛行動の「囀」に因果関係はないと思いますが、愛の囁きと生の終わりというのは、なんだか切っても切られないような気もして、不思議な気持ちになりました。誰のための棺なんでしょうね。

父の日の父の居場所を奪う犬
 コミカルなようでシニカルな句だな、と思いました。父の日なんか関係ないぜ、と犬がどーんと居間(かはわかりませんが)に居座る。居直ると言ってもいいかもしれません。犬は主従関係があると言うので、この「父」のポジションが気になるところですが。もしかしたら、ただ構って欲しいだけなのかもしれません。我が家には犬も猫もいないので、こういう光景にちょっと憧れがあります。


私腹  栗山麻衣

ミシン目の街切り離す薄暑光
 光によってあちらとこちらに分けられる、ということは日常でもよく目にする光景ですが、「ミシン目の街」という言葉に惹かれました。わたしは地図かな、と思ってるんですけど。紙の地図って点線で区画を区切ってあって、隣の町は曇っててとか、なんかそういう感じのイメージ。うまく言えなくてもどかしいな。「切り離す」という無碍な感じというか、区別する感じも好きです。

新入りの金魚ちひさく翻る
 水槽に金魚が一匹増えた、という景色でしょうか。ポンプの水流に慣れなくてひゅんっとひっくり返るというか、翻る。一瞬「?」となる金魚も、水流かと気づいてあとは悠々と泳ぐのでしょうか。「新入り」でないと起きなさそうな出来事がささやかでいいなぁ、と思います。かわいい。夏祭で掬ったのかなぁ。

 と言うわけで、今月はちょっと暑さで少なめになってしまいましたが、翌檜篇をお送りしました。現代俳句、毎月読むところが多くて、うれしいけどシンプルに読み切れなくてですね。ただね、最近気づきました。買った雑誌だって、好きなアイドルのページしか読まねぇわ、って。なんなら写真しか見ないときありますからね。翌檜篇はわたしにとってはAぇ! groupのページということですね。マスト。
 余談ですけど、学生時代に先生に「えぬさんは台本があると感情がなくなるけどなんでなの?」と言われて「自分の言葉じゃないんで」って答えて笑われたことがあります。昔から台本は覚えられませんでした。生徒会選挙の応援演説も手ぶらで出ました。「こうしなきゃ」って思うと途端に言葉が出なくなる。それは感想文を書くときも同じみたいです。
 ひとりごとみたいな感想が並んでいますが、ひとりごとです。リビングの一角で「ん~~この句かわいいなぁ」とか「かっけーな」とか「こんなワード出てこねえ~~~」とか言いながら読んでます。それをここに書いてる、そんな感じです。

 余談が長くなっちゃった。今月もお付き合いいただきありがとうございます。落書きばかりのノートですが、また来月。
 

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