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BL連作ネットプリント「彗星書架」

 BL連作句会に参加しました。今回は参加メンバーの作品のうち特に好きな句の感想と、連作全体への感想をしたためたいと思います。
 公開初日にしたスペースの話(お話した方の許可はいただいています)の感想なども書いています。わたしの備忘録仕様です。
 作品はぜひネットプリントでご覧ください!(2023年4月8日までです)

空缶  楠本奇蹄

水をくださいミモザが脈をくもらせる

 とてもうつくしい連作で、特にうつくしさが際立っていたと感じたのがこの句でした。先生に思いを寄せる生徒という光景の中に、どこか神聖さというか、潔白さが窺える気がします。
「水をください」という丁寧な言葉遣いが、「脈」に対する意識の重さを感じさせます。自分にとってはとても大変なことなのだけれど、平静を装う。ミモザのせいにする。この恋を誰にも知られてはいけない、という気持ちが浮かび上がってくる連作だと感じました。
 スペースで奇蹄さんが「(BL連作句会ということもあり)BL読みをしてくれるだろうと、ずるい頼り方をした」とおっしゃっていて、聴きながら「それな~~~」と思いました。とは言え、それこそがBL俳句の特徴というか、BL俳句と銘打って作品を出すことの醍醐味でもあると思います。読者を信じる、という話は有名になりつつあるかと思いますが、読者に託す、というのもまた作者の楽しみのひとつかもしれません。ご想像にお任せします、というやつですね。
 奇蹄さんの言葉からも、作品からも、はじめてのBL俳句への真摯な姿勢を感じて、背筋が伸びました。俳句そのものへの誠実さも、BL俳句への「わからないことへの挑み方」の姿勢も合わせて勉強になりました。


A面/眼鏡  佐々木紺

ささやいてみてすずらんが曇るまで

 たまたま曇る句が続きましたが、それは一旦置いておくとして。
 この句は連作の最後の句です。タイトルにあるとおり、眼鏡推しの連作です。眼鏡、いいよね……わかる……と思いながら読みました。眼鏡が好きというのは確かにそうなのですが、好きな人の眼鏡姿ってグッとくるよね、というのもあると思うのです。グッとくるけど、その眼鏡すらある種の隔たりとなる、というのがいじらしくも丁寧に描かれていてとてもすてきな連作です。

 紺さんはB面も作っていらっしゃったので、そちらからも。

B面/せんせいのせんせい  佐々木紺

師をすこしあやめて持つてゆく芒

「すこしあやめて」というのは「少し殺めて」ということなんでしょう。あえてひらがなで書かれているところで、本当に殺めているわけではなく、視点の気持ちの揺れ、心の持ちようを繊細に描いていると思います。傷つけてしまったんでしょうか。なにがあったのか、あるいはなにもなかったのか、ふたりの関係が気になるところです。
 花ではなく芒なのも好きです。滋味深い色合いがやるせない気持ちにとてもよく合っていると思いました。
 紺さんは、萌選について(石原ユキオさんの提唱という話から)「最強の概念」と話していました。BL俳句において「萌え」がなによりも大切なのだ、と。俳句としてどうかではなく、まず自分が萌えたかどうか。エモーショナルが大事なのだ、と。
 なるほど、と思ったのと同時に、自分にとってのエモーショナルとはなにか、と考えるきっかけになりました。あまり考えていなかったわけではなく、自分の中の「エモーショナル」を見て見ぬふりしていたと気づかされたとも言えます。

 で、見て見ぬふりできなくなってくるわけです。こういう作品に出会うと。

拒まれず  西川火尖

穏やかに困る先生梅白し

 スペースで、火尖さんがこの句の前にべつの句を置いて結社に投句していた話をしていました。そこでBL俳句(連作)における文脈について、しばし話が盛り上がり、わたしのメモもはかどったのですが。まずはこの句の話から。
 そもそも、「穏やかに困る」って、あざとすぎませんか。困ってるんでしょう、実際。「困る」と顔に出しながら、「穏やか」なんですよ。ずるくないですか? ずるい大人の所業でしょう。こんなのあんまりです。でも、そこがとてもよいのです。悔しいけれど、一瞬でこの先生のことを好きになりました。他でもないわたしが。「梅白し」という季語も憎たらしいくらい合っています。桜ではだめです。梅でなければ。気づく人だけが気づく春なんですから。拒まんのかい、とか、最後急に強く出てくるんかい、とか最初から最後までずるい人で困ってしまいますね。
 お気づきでしょうか。これがわたしの「エモーショナル」であることに。やさしくて、すこしずるくてあざとい人がたまらなく好きなのです(言った~~~!)
 火尖さんは、BLを愛好しているわけではないそうです。ご自身では「好きなもの(対象)だとうまく書けないこともあるし」とおっしゃっていますが、その冷静な視点が読者のエモーショナルを引き出させるのかもしれません。作為的な句は時として煙たがられますが、一方で、恋は駆け引きという言葉もあります。句で恋の駆け引きを演出しているのだとすれば、火尖さんはBL演出家(脚本家)とも言えそうです。


春惜しむ  星野いのり

先生に父の顔あり春の雪

 出ました。この度の句会で特選と萌選のどちらも入れさせていただいた、わたしの中の最高傑作「春惜しむ」です。わたしのエモーショナルの最高潮は「片恋」です。ハッピーエンドでもいいのですが、永遠に片思い、というのが最高に好きです。叶うか叶わないかではない。思い続けることこそ至高。究極のエゴイズムです。
 この句は、先生が既婚者である、という点で、同性以前の決定打を突き付けられます。叶うはずがないし、成就を願うのもばかばかしいことです。好きになる相手を間違えた、と後悔してもおかしくない。
 2句目「ぜんまいや苦しみにバス走り出す」(苦しみって言った~~~~)、3句目「花を吐く病を先生にうつす」(おそらく先生が花を吐くことはないのですが……)と切実な思いは続き、4句目「雉啼くや鉄を隔てて雄と雄」「雄と雄」という表現があります。はじめはなんのことを言っているのかわかりませんでしたが、句会で「作中主体の願望ではないか」という評があり、なるほど、と思いました。
 対等ではない関係。交わることのない思いの中、ふと「雄と雄」であれば、と願う。そして5句目「行く春の植物図鑑返さざる」とささやかな抵抗をするのです。返せないのではなく、返さない。気づかないかもしれないけど、それでいい。植物図鑑は、この恋の象徴のように思え、たまらなく愛おしく感じられました。
 めちゃくちゃ好きでした。この連作は、句会でも「いやもうほんと好きで」と言い(語彙力)、スペースでも「ネタバレになるからみんな読んで欲しい。句は紹介しないんで」と言っていのりさんを困らせるという失態をぶちかましました。全部書いていいよ、とのことだったので、すべて紹介させていただきました。本当に大好きです。
 わたしが「こんな世界を描けたらいいな」と思っていた世界があって、とても勇気をもらいました。片恋は実らないからってバッドエンドじゃないんですよ。うふふっ(誰)


アフターアワーズ  松本てふこ

先生の胸板薄く卒業歌

 どこ見てんねーん、というツッコミをしつつ、でも、わかるんですよね。体格や骨格って、やっぱりついつい見てしまうもので。てふこさんの句は、本当に、些細で、でも確かにある「性」の部分を、さらりと描いている。だから、いやらしくないんですよね。それなのに「BLだ!」と鼻息が荒くなるというか。奮い立たされる。これが、BLであると!(誰)
 スペースでのお話で、BL俳句を作るときにどうしても「つきすぎ(季語と取り合わせの距離感や、説明になりがちな表現など)」を避けられないけれど、敢えて「つきすぎ」を決行し、ベタやダサさを許容することが作品の魅力や愛嬌になる、とおっしゃっていて目から鱗でした。
 実際、「春雪」「卒業歌」「薄氷」「淡雪」と、「切ない季語と言えば?」というアンケートの上位にランクインしそうな季語が堂々と君臨しているんです。てふこさんの句には、惚れた腫れたの中にある下心が、とてもうまく織り交ぜられていると思います。「相手のことが好きなんだなぁ」ということがわかる。その「好き」には確実に下心がある。
 別れの先があるのか、ないのか。好みが分かれそうなところもまた憎い演出です。紺さんが「短編映画のよう」とおっしゃっていたとおり、単館映画でそっと涙する作品だなぁ、と思いました。


骨を拾ふ日  みやさと

先生の骨になりたき春日かな

 かわいい。しゃぼん玉も、夢の中も、咽喉ぼとけも。初見で「許されて僕の田螺が鳴いてゐる」に「ま、まさか下ネt(自重)」と思ったのですが、かわいい雰囲気の中での田螺はおそらくマジの田螺に違いない、いやマジの田螺ってなんや、田螺は田螺やろそもそも、という自問自答を繰り返し、田螺は田螺、というところで折り合いがつきました(なんの話!?)
 咽喉ぼとけの句は、後に「火葬場で残るのは咽喉ぼとけじゃない」という話になり「そうなんだー!」と思ったのですが、初見では、声変わりしてもやや声が高い作中主体(生徒)が、声の低い先生に「先生みたいな声になりたいなぁ」と何気なく言い、「咽喉ぼとけちょうだいよ」なんて他愛ないお願いをしたのかな、と思ったのですが。さすがに妄想が過ぎるのと、タイトルの「骨を拾ふ日」を思い出して、骨のことだと思い直しました。それにしても、骨じゃないんかい咽喉ぼとけ……!(ばくしょう)
 先生と生徒の関係をはっきり描かないながらも、片恋のヒリヒリ感はそれほどなく、むしろ明るく、あたたかな雰囲気が愛らしい連作です。恋の駆け引きはなく、真っ向から向かっていく潔さ。純粋さ。春にぴったりな眩しい光景で、とてもすてきな連作だと思いました。

 みやさとさんに「やりたいです!」と勇気を出してお声かけして本当によかったと思いますし、この場を借りて改めてお礼を。すてきな句会を開いていただき、またいのりさんのお祝いにもお邪魔させていただきありがとうございました。引き続きどうぞよろしくお願いいたします(ビジネスメール?)

 えっと、べつに触れなくてもいいけど、がんばって作ったんで触れますね(全部言う)

レッスン  相田えぬ

 自句自解というか、恥ずかしいのですが言い訳を。設定としては、ピアノの先生と生徒で作りました。生徒の視点です。先生と言われて学校の先生への憧れが一ミリも思い出せなかったので(全部言う)、ピアノの先生にしました。
 句会で「子どもの視点な気がする」と言われて、ソナタ譜・花丸=子ども、というところにハッとしました。というのも、わたしは大学受験のときに、課題曲でベートーヴェンのピアノソナタを練習していて、先生は練習曲(ショパンのエチュード)の楽譜に花丸をくれる人だったので、なんの違和感もなく書いてしまって。高校3年生らしさを他の句に組み込めばもう少し伝わったかも、とか、先生がどんな人か描写すればよかったかも、などと反省しております。設定を句で説明する必要がある、という話もスペースで出ていたのですが、まんまと、という感じでした。
 もちろん、子どものいる景として読んでいたくと、それはそれで「在りし日のレッスン」になるのでわたしとしては違和感ゼロです。句会では「回想ということにしてください!」と苦し紛れに喚いてしまいましたけど(苦笑)
 書きたかったことが書ききれなかった、という技術・表現力不足は今後の課題として、それはさておき、BL俳句として世に出すという一歩は大事にしたいと思います。これからも、自分の「好き」をかたちにするということを、突き詰めていきたいと思いました。

 最後の蛇足ぶりがすさまじいですが、備忘録なのでご容赦くださいませ。
 最後までお読みいただきありがとうございました!

 ネットプリントの感想はぜひ #彗星書架  で。
 わたしにとっても、彗星のように現れた夢のような本棚です。

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