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塩見恵介「隣の駅が見える駅」

 塩見先生の句の感想は、以前べつのブログに書いたことがあるので、先にそっちを載せておきます。出会いやらなにやらもこちらに。
 現俳協でも関西現代俳句協会の理事になられたのが記憶に新しいですね。今後ともお世話になります(ぺこり)

 表紙の黄色が眩しく、文字の青がくっきりと浮かび上がるデザイン。ポップな印象を受けつつ、明朝体がきちんとしているのが好きですね。
 章立ては「四月のはじめ~八月のおわり」「九月のはじめ~三月のおわり」となっていて、大学は前期と後期の二期制であることや、ご自身の季節への感じ方が章立てのきっかけになっていることがあとがきに書いてありました。
 あとがきと言えば、タイトルの「隣の駅が見える駅」は阪神電車の神戸線にある駅だとも書かれていました。阪急電車ユーザーのわたしですが、偶然阪神電車に乗って「次の駅が見えてる!」と驚いたところだったので、句集のタイトルには勝手に親近感を抱いていました。本当に見える場所があるんです。おもしろいですよね。
 そんなユーモアたっぷりの塩見さんの句集。いつもどおり、好きな句の感想をぼちぼち書いていきます。

Ⅰ 四月のはじめ~八月のおわり

チューリップ兄より優し兄の友

 チューリップは「幼い花」ではないのに、どうして幼さを感じるんだろう、と考えたのですが、子どもの頃に触れることが多い花だからかなぁ、と思いました。この句の視点は、まだ子どもなのかもしれません。それは、お兄ちゃんよりお兄ちゃんの友だちのほうがやさしいと感じることにもあります。普段、お兄ちゃんはいじわるなことを言ったり、口が悪かったりするのかもしれません。だから、他人の「兄の友」がやさしく感じる。
 でも、大人になるとわかりますよね。他人だからやさしくできることも、小さい子だから気を遣わなきゃいけないことも……(全部言う)
 そういういたいけな幼心がぎゅっと凝縮されていていいな、と思いました。「兄の友」もきっと本当にやさしいんだろうな、と「チューリップ」の風景から想像できて好きでした。

立場上賛成側にいるバナナ

 この句のおもしろいところは、バナナの意思で「立場上」と述べている場合でも、会議中にバナナが登場している場合でも「なんでやねんっ!」とツッコミたくなる点です。会議中のバナナとは限らないかもしれませんが、要するに「バナナが人の前にある状態」。兄弟喧嘩でもいいし、なんでもいいんですけど、バナナをコントロールできる側の人が「賛成側」とも取れるな、と思った次第です。
 いずれにせよおもしろさはほぼ「なんでバナナやねん」に尽きるんですけど、よくよく考えたらバナナはべつにおもしろい要素ではないんですけどね。ただ、なにかとネタにされる存在(バナナはおやつに入りますか等)なだけに、緊迫感のある景色にあるだけでおもしろいというのはあるかも。
 ……って、こんなに真面目に考える句じゃないと思いますけどね!(全部言う)

蝉しぐれ友達百人出来て邪魔

 思わず「そりゃそうやろ」と思いましたが、リアルに友だちが百人いるっていう話だと、正直風情もへったくれもないというか、「ほんまかよ」って思っちゃうんですよね、わたしの場合。だから、少し距離を取って考えてみました。「友達」はSNSやとあるコミュニティでの繋がりのある人を指すのではないかな、と。夏休み、そういう人たちの「ユニバに行ってきた」「カラオケ行った」「BBQした」なんて投稿を目にする。繋がりがあるから「友達」だと思うし、いつもは思うことがないんだけど、ふと「邪魔」だと思う。
 外は蝉がうるさいし、暑いし、自分は誰かと実際に出かけることはないのに、画面の中の「友達百人」はとても充実している。「邪魔」という強い言葉には(今のはわたしの勝手な妄想ですが)、そういうなにかしらの強い気持ちがこもっていそうです。実際に友達が百人いたって、百人と同じように付き合うことはないだろうし、そう思うことだってあるかもしれませんね。
 強い気持ちの背景を想像するのが楽しい句でした。

Ⅱ 九月のはじめ~三月のおわり

秋晴れのバでハウリングするマイク

 体育大会で校長先生が最初に「今日、この秋晴れの下」と言い出した瞬間キーンとなるのをすぐに想像できました。日本全国津々浦々、どこかでこんなことが起きていそうな気がしてくるのがおもしろいですね。
 校長の、とか、運動会で、とかではなくあくまで「秋晴れ」なんですよ。そうじゃないと「バ」でハウらないから。バでハウリングするのは秋晴れしかないわけです。絶妙な、トリックありきのようで景色が先、というのも巧妙だなぁ、と思います。着地点が「マイク」なので、マイクのせいになっている感もありますが、それもまた校長が顔をしかめてマイクを見る光景が思い描けていいなぁ、と思います。多分、校長の声がでかいだけなんですよね、こういうのって(そうなん?)

元カレを案山子にかえて六体目

 こっわ(ばくしょう)完全に魔女ですやん。人形でもぬいぐるみでもなく案山子なのが容赦ない。案山子なんてその辺にないし、田畑にしか必要ないのになんで案山子にしたん。と、思わずツッコミを入れてしまったわけですが、文字通り想像するとそうなっちゃうんですよね。「元カレ」だから成立しそうなのがポイント。
 ギリギリ実現しそうなラインを考えるとすると、案山子を作っている人が元カレに似せて作るっていうことならできそうですが、まあ……苦しいな、これも。塩見さんの句には「ありそう~!」と素直に頷けるものとそうでないものの温度差がすごくありますよね。これも「あるあ……るわけないやろ!」という勢いでツッコんでしまう。非現実的なことなのに、しれっと「いや、あるよ?」みたいなノリで句になっているのが本当におもしろくて好きです。バナナもね、なんのこっちゃと思いますけども、そこが好きなんですよね。

いかなごのくぎ煮と子午線をまたぐ

 兵庫県民なので放っておくわけにはいきません。どこへ行くのかはわかりませんが、明石より西へ行かれるのでしょう。え? 東かもしれん? まあ、東かもしれませんけど。兵庫の春と言えば「いかなごのくぎ煮」です。大阪在住の友人に「いかなご見ると春が来たなぁと思うわ~」と言ったら「いかなごってなに?」と言われたのを昨日のことのように覚えています。兵庫県民というか、瀬戸内海沿いの兵庫県民なら、食卓にいかなごのくぎ煮が並ぶことは(きらいなご家族を除けば)、スタンダードだと思います。
 だから、この人も、いかなごのくぎ煮を携えていくんですね。誰の元へ行くのかはわかりませんが。もしかしたらトラックの運転手かもしれないですよね。兵庫県民にしか馴染みがないと知って、ショックどころかちょっと誇らしい気持ちすらあるので「いかなごのくぎ煮と」の「と」が、距離の近さを感じて好きでした。

 以上、好きな句の感想でした。
 あとがきにもあったんですが、前回の句集からこの句集に至るまでに塩見さん自身の環境ががらっと変わったそうなんですね。教育現場やカルチャーセンターでの出会いを通して、若い頃とは違うモチベーションで句作されていると。前回の句集「泉こぽ」が未読なので、その対比は他の方にお任せするとして、少なくともこの「隣の駅が見える駅」には、挑戦的だけど戦闘態勢ではないというか、どこかおだやかに日々のおもしろみを見つけていく、というような感覚を覚えました。
 最近覚えた言葉ですが「洒脱」と言いますか、「洒落」と言いますか、そういうものを感じる句集でした。

 今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。また一冊、素敵な句集が本棚に並ぶしあわせを噛みしめつつ。今日はこの辺で。


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