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「海鳴り」藤田亜未

 亜未さんとは「伊丹俳句ラボ」で出会い、以来「亜未先生」と呼んで俳句を(広い意味で)教わっていた。伊丹俳句ラボで出会った講師の先生は今でも「先生」と呼びたくなるけれど、なんとなく「さん」に移行しつつある。多分、自分の中で「教わる期間」ではなくなったってことなんだと思う。ずっと「学ぶ期間」ではあるけど。まあこの話は置いておこう。
 そういうわけだから(まったく説明になってない)、この句集は伊丹俳句ラボで出会う前の亜未さんの句、ということになる。その時々で作る句は違うだろうし、句集にする際に選ぶ基準も変わってくるだろうから、形として残っているというのは、こういう楽しみがあっていいなぁと思う。というか、句集の良さってそういうところにもあるんじゃないかしら、と。

 いつものように好きな句を書きだして、なにか言いたければ合間に茶々を入れるスタイルで。

夏みかん味方が敵に変わるとき
 甘いけど酸っぱい、という夏みかんの特性と敵に変わるという裏切りがリンクして、どこか恨めしく思えてくるのがいい。

夕顔や片手だけ弾くノクターン
 練習に飽きたのか、仕方なく片手なのかはわからないけれど、ノクターンだとわかるのは聞いている人が知っている曲だったのか、はたまたいつも練習していることを知っていたのか。夕暮れのノスタルジー。

夏草や君とのキスを置いてくる
キスだけじゃ物足りなくて夏の月
テーブルのレモンは唄う恋の詩
空の下ひまわり色の恋をした
 高校生の頃に詠んだ句も掲載されていて、そのまぶしさに目が眩む。わたしが女子高生だった頃、一度たりとも味わわなかった経験、見覚えのない風景、知りもしない感情が十七音になって並んでいる。まるで少女漫画を読むようで、フィクションの世界のような気分になるけれど、この句の中にだけある青春をわたしは愛おしいと思う。そこにフィクションかノンフィクションかは関係ない。

冬の海あいつと並んで見たかった
テノールの音の響いて林檎の香

 誰のことかはわからないけれど、特定の誰かの話をしている。そんな景色に惹かれる。「あいつ」って誰だろう。「テノール」の声は誰だろう。どんな人がいた景色なのか気になってくる。これはもしかして、恋かもしれない。いや、まさか。

 亜未さんとは、今でもTwitterでやりとりをする。(主催されている句会の)公式アカウントなのにわたしとばっかりしゃべっていて大丈夫かなぁと思わないわけでもないけど、わたしは構わないのでお互いに長いリプライを送り合う。これもまたコミュニケーションのひとつ。

ねこじゃらし泣きたかったら泣けばいい
 リプライで送ってくださった句が句集に載っていた。

海鳴りやひとりぼっちを抱きしめて
 キラキラした青春性の中に、どこか冷ややかな視線がちらつく。その鋭さを一歩引くことで煙に巻き、どこまでもずるい眩さを纏って駆けていく。制服の後ろ姿を見つめるような憧憬を思い出す一冊。
 また次に会うときまで(こんな状況下なのでいつとかどことか言いません! いつか!)元気でいましょうね、という気持ちを込めて。

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