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シンシア様のお話(2)

「もっと手は上にあげて!にこやかに!なんですかそのひきつった口元は!?」
 大広間に、老女中タチアナの甲高い声が響く。ラナは、馬車に見立てたソファーの上で、『群衆に向かってにこやかに手をふるお嬢様』役の練習をさせられていた。そう、ラナにとっては、そんなのは『劇の配役』としか思えない。しかもかなり間違った人選である。どんなに笑おうとしたところで、顔が引きつるのも無理はない。
「いいですか」
 老婦人はきつい目をラナに向けて、下から見上げるように睨みつけた。
「祭りのパレードは、年に一度、平民が高貴な方々を見ることができる大切な機会なのです。そこで、いつものあなたのようなおマヌケなことをされては、ツヴェターエヴァの名に傷がつきます」
「タチアナ、そろそろ休ませてあげたら?」
 呆れ顔のシンシアが、隣の一人掛けソファーにぐったりともたれながらつぶやいた。
「まあ、いいでしょう」
 言葉とは裏腹に、老婦人の顔は不服そうだ。ゆっくりとドアまで歩いていき、突然立ち止まって振り返ると、
「お母様のようなことはしないでいただきたいですわ」
 と吐き捨てるように言って、出て行った。ラナはソファーに横になってため息をついた。
「ママはいったい何を?」
 シンシアは立ち上がり、不思議そうな顔のラナを覗き込みながら、からかうような声でこう言った。
「おばさまは、パレードの最中に馬車から飛び降りて、ベーカリーに向かって走って行き、『そのベーグルを三つ頂戴!』と叫んだのです」
 とささやいた。ラナはその気持ちがよ~く分かった。足を動かすたびにばさばさと奇妙な音を立てる、装飾過剰のドレス。にこやかさを強要されるパレード。神経質で意地悪な老婦人……。
 ラナには母親の記憶がほとんどなかったが、この前カルザイに聞いた話といい、このベーグルの話といい、きっと自分に似て、自由気ままな性格だったのだろうと思っていた。こんな窮屈な生活に耐えられるわけがない。だからイシュハに逃げたのだ。
「私もきっと同じことをするわ」
 ラナは天井を見上げてため息をついた。
「そういえば、シンシア、あなた、夜中に空を飛んだりしてないよね?」
「空……?」
 シンシアが目線を上にあげた。
「なんのことです?」
「リボン屋さんに行ったとき、近所の男の子が『シンシア様が空を飛んでいるのを見た!』って言い張ってたの。お父さんがかなり怒ってたけど」
「まあ」
「どうなの?」
「人違いですわ」
 シンシアは、いつも通りにっこりと、優しく笑った。驚いている様子はない。
「そうよねえ。でも何なのかしら、子供の作り話?」
「空を飛べるのは私だけではありませんから。月の魔力が地上を満たしている夜には、ある程度の魔力がある人間であれば、自分の魔力とかけあわせて、空中に浮かぶことができます」
「そうなの?いいなあ。私絶対無理。今も飛んで逃げて行きたいけど……普通に歩いて部屋に戻って寝るわ。もう疲れちゃった」
 ラナは勢いよく身を起こすと、逃げるように廊下に飛び出して行った。

(続く)


*本当は、ロンハルト物語の主人公はラナでした。先々代の城主の一人娘ですが、外国で育ったので自分の身分をよく理解していません。
 シンシア様はいとこです。現城主様です。
 先々代が国外逃亡したので、妹であるシンシア様の母親が先代の城主になりました。

 あとは察してください。


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