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(小説)リリック・アンシューン(2)





「新しい人が来たのね?そうなのね?」
 クラハがそう言いながら、興奮した面持ちで書斎に入ってきた。手紙は持っていない。
「ええ」
 エブニーザは相変わらず何かの書類を睨んでいたが、クラハがやってくると、顔を上げて微笑んだ。彼はまだ『厄介な事情のある女』に会っていなかった。
 いつも喋り出すと興奮して顔が赤くなるクラハだが、今日はいつもの数倍、うきうきしているようだ。
「しかもシャイより年上なの!」
「そうですね」
 シャイ・ファイは『自称』28歳である。夫になる予定の恋人がいると本人は言うのだが、男の名前が尋ねるたびに変わるので、本当はどうなのか誰もわからない。特に詮索する気もない。いや、『怖くて誰も詮索できない』と言った方がいいかもしれない。
「でもアイラより若い」
「当たり前ですよ。アイラはもうすぐ九十歳になるんですよ」
「ドゥーシンがすごく嫌そうな顔してたのよ」クラハはからかうような顔で嬉しそうに言った「きっとあの人が色っぽいからだわ。すごく、女なのよ!」
 まるで今日初めて女を見たような言い方だなあ、とエブニーザは思い、このクラハが大きくなって『女』になったら、いったいあの真面目なドゥーシンはどうするだろうと想像して、おかしくなって笑いだした。
「どうしたの?」
「何でもないんです。今日は手紙は来てないんですね?」
「あっ!」
 クラハが目を大きく開けて手で口をふさいだ。そして、すぐに部屋を飛び出して行った。どうやら興奮のあまり手紙を取ってくるのを忘れたらしい。
 何を騒いでいるんだか、とエブニーザは思ったが、すぐ目を書類に戻した
 内心は書類どころではなかったのだが。
 彼女が来る。とうとう!でも本当に彼女なのか?
 疑問と期待が頭の中を駆け巡る……。


 昼前、シャイ・ファイに連れられて、女が書斎に入ってきた。
 彼女だ!
 入ってきた暗い顔つきの女を見た瞬間、エブニーザは叫びそうになった。
 彼女の顔を、エブニーザは知っていた。昔から。
 手が震えた、動揺を隠そうとすればするほど、わざとらしく手に取った書類も、ペンも、震えた。
 あきらめて、全部机に放り出した。
 エブニーザは全身の震えを抑えながら、女の全身をざっと見て、クラハが『女なのよ!』と騒いでいた理由がわかった。
 完璧だな!女神でもこれほど完璧な身体を持ってないだろう!
 保守的で地味な、草のような色のワンピースは、ここで働いている女性がみな着ているのと同じだ。足が完全に隠れるほどスカートは長い。管轄区の女性はみなそうだ。
 そんな地味な服装でも隠せないほど、完璧なスタイルを、女は持っていた。
 しかし、そんなスタイルよりも印象的なのは、顔だ。美人ではないのに、どこか惹きつけられるものがある。琥珀色の目は、大きくはないが、二重で、どこかぼんやりとしていて、色気がある。表情は暗い。
 当たり前だな、いい噂のないところに突然連れてこられたんだからな。
 エブニーザは、世の中を駆け巡っている自分に関する『悪い噂』を一通り思い出し、少し目元を歪ませた。
 しかも、あんな目に合って……いや、それも全部、私のせいなんだ、私の……。
 遠い昔の事を思い出して、表情を曇らせた。
 ずっと昔から、時々、エブニーザはこの女のビジョンを見ていた。
 そのたびに、いつか会えるだろうか、会えたら何を話そうかと、何年も考えていた。
 なのに。
 実際に本人が目の前にいると、とたんに何を言っていいかわからなくなっている自分に気づく。
 リリックが、か細い声で、自分の名前と、できることがほとんどない、という話をすると、隣のシャイ・ファイが、
「仕事はわたくしが責任を持って教育いたしますわ!」
 と、妙に気合の入った声で言った。仕切り屋のシャイの事だ、早くこき使いたくてうずうずしているのだろう。にこにこと目を輝かせて、今にも踊りだしそうだ。
「そうそう、何も心配することはないんですよ」表情が暗いままのリリックを元気づけるようにエブニーザは笑いかけてみた「今までいろいろ苦労したんでしょうから、ここではゆっくりと暮らしていいんですよ」
 すると、リリックは、奇妙なものを見るような目でエブニーザを見つめた。その顔には『あなた、私をどこかの貴婦人と勘違いしてない?私は客じゃないのよ』と書いてあった。
 ずいぶん警戒しているんだな。
「どうかしましたか?」
「いえ、ただ」リリックがたどたどしい言葉で言った「今まで、聞いていたのとは、かなり、違うから」
「私の悪い評判ですか?そのうち分かりますよ。全部嘘ですから」
「そう……」
 リリックはぼんやりと、どこを見ているかわからない目つきになった。
 一体何を見ているんだ?
 エブニーザは彼女の視線の先に何があるか見極めようとしたが、よくわからなかった。
 リリックは軽く礼を述べて、部屋を出て行った。はりきっているのか、足取りの軽いシャイとは対照的に、リリックの肩には常に影が付きまとっているように見え、足取りも重々しかった。
『うちには引き取れない理由があります』か。
 エブニーザは彼女の後ろ姿を見つめながら、手紙の文面を思い出していた。
 確かに、彼女のような女が、何の理由もなく男の家にやってきたら、人々はとんでもない想像を始めるに違いない。たとえ中で何も起きていなくてもだ!
 存在しているだけで誤解を招くんだ!まるで私のようだな!
 エブニーザは、自分の悪口が載っている新聞記事をいくつか思い出した。どれも根も葉もない空想ばかりだった。
 いまいましい!まあ、あんな連中は無視すればいい。
 それより、リリック……変わった名前だ。名前を知ったのは今日が初めてだな、会ったのも。
 でも私は彼女を知っている!ずっと前から知っていたんだ!
 彼は心の中で叫んだ。



「かっこいいでしょ?エブニーザ様」
 廊下を歩きながら、シャイがリリックにいたずらっぽく尋ねた。
 リリックは無表情で、
「あの目はどうした?見えないのか?」
 と低い声で尋ねた。
「ああ、あれ、生まれつき真っ白らしいわよ。確かに最初に見た時は私もびっくりしたわ。でも、普通に見えてるから何も問題ないのよ」
 そのあとシャイは、さっそくリリックにいろいろ仕事を教えようとした。しかし、リリックはあまりにも不器用で、物を持たせれば落とし、掃除をさせるとバケツに足をひっかけて床を水浸しにし……つまり、何一つ満足にできなかった。
 一通りの物を落とすか壊すかしたころ、
「朝食を運ぶ役を譲ってあげるわ」
 と言いながら、エプロンをつけた女の子が入って来た。さきほど、リリックの部屋を覗いていた、あのエメラルドの目の持ち主だ。
 やっぱり綺麗。
 リリックはその緑色をじっと見つめた。少女はリリックに向かって、口元でニッと笑いながら、自己紹介を始めた。
「私はクラハ・メイシン。『メイシン』はアケパリの言葉で『作り話』って意味なんですって。でも、私は生粋の『教会っ子』なの」
『教会っ子』とは、管轄区のイライザ教会信者のことだ。
「クラハ、洗濯ものはもう干したの?」
「とっくの昔にドゥーシンに押し付けたもん」
「あんた……」
 シャイがあからさまに呆れた顔をした。そして、クラハを再び『洗濯もの干し』に外に追い立てると、リリックには床拭きを命じた。
 リリックは言われたとおりに床をぞうきんで拭いていたのだが、その様子をじーっと、監視するように診ていたシャイが、突然リリックからぞうきんを奪い。
「あなた、服を脱ぎなさい」
 と言った。リリックは一瞬何を言われたか理解できなかった。シャイはそんなリリックには構わず、突然リリックの長いスカートをばっとめくり上げた。
「どうしたの、この傷」
 リリックの足には、男たちに殴られたり蹴られたりしてできた青黒いあざが、全体に浮かんでいた。
「けんかした」
「けんか?ただのケンカでこんな痣だらけになる?おかしいでしょ?正直に言いなさいよ!だれにやられたの?」
「なんでもない」
「なんでもないわけないでしょ!誰よ!?」
「なんでもないですってば!」
 シャイがしつこく聞いて来るのでリリックは困ったが、そこにクラハがまた入ってきて『ドゥーシンがサボってる』と言ったので、シャイは怒りの形相で外に飛び出して行った。ほどなく、外から『さぼらないで仕事しろ!!』というすさまじい怒鳴り声が聞こえてきた。 
 一人になったリリックはほっとした。
 怖いな、あの女……まあ、いっか。エブニーザを殺すまでのお付き合いだし……。
 リリックは、さきほど見たこの館の主を思い出した。
 目の白い、優しげな。
 悪い人間には見えないが……まあ、そんなことはどうでもいい。
 そのあとシャイが、大ぶりの足音を立てながら戻ってきて、夕食の支度を始めた。
 シャイは、骨付きの大きな肉を、特殊な包丁で勢いよくドン!バン!と音を立てて切りながら『ムフフフフフフフ』と声を上げて笑っていた。
 リリックは、そのたびに、自分が骨を切られているような恐怖を感じて、痛そうな顔で顔をゆがませた。それを見ていたクラハが、
「どうしたの?あの肉おいしいのに。シャイがムフムフ笑ってる日はいい肉が入った日よ?シャイが怖いから、肉屋もほんとうにいいものしか渡さないのよ?ちょっとでも色が変わってるとすさまじい勢いで怒鳴るから。だからここの料理はいつも最高なの」
 と無邪気に説明した。
「どうしてあんなに大量に作るの?保存食?」
「6人分よ?多くないわ」
「6人?エブニーザ……様にはそんなに家族がいるの?」
「いないわよ。私とシャイとドゥーシンとアイラとあなたの分」
 クラハが平然と、一気に、みんなの名前を言った。リリックは驚いた。
「みんな同じもの食うの?」
「そうよ」
 クラハは、どうしてリリックが驚いているかわからず、きょとんとした顔をしている。
 しかし、この館では、夕食は全員エブニーザと席を共にするのである。同じテーブルに全員の席があり、リリックもそこに加えられた。
 メニューも全く同じだ。
 何の家族だこれは……。
 ポカーンとするリリックだった。
 身分差別の残っている管轄区では、家の主と使用人が同じ席で食事をすることはまずありえない。主人と同じものを使用人も食べるなんてことも、ありえない。
 でも他のメンバーは、身分も何も気にせずに、好き放題に喋りまくり、肉を食べ、エブニーザは黙って(主にシャイとクラハの早口なおしゃべりを)聞いている。
 リリックにも話しかけてくるが、うまく答えられない。この席で娼婦時代の話なんてしたくないし、かといって他にほとんど話題がない。
 それに、この場の全員が、時々リリックの方を、何かを探るような目で見ている(少なくともリリックにはそう感じられた)のが気になって、フォークを持つ手が震えた。久しぶりにまともな食事が目の前にあるのに、味を感じている余裕がない。それでも例の『ぶつ切りにされたシャイのお気に入りの肉』はすばらしく美味だったが。
 食後、香りはいいが味がまずいお茶と、クラハの焼いた、過剰に甘ったるい上に粉砂糖までかけてあるシフォンケーキが出て来た。エブニーザがお気に入りのレモングラスのお茶の話を嬉々として始めるが、全員が『にがい、まずい、飲みたくない』という顔をしていた。リリックも『おいしくない』と思った。
「薬草が好きらしくて、時々変なものを勧めてくるから困るのよ」
 皿を洗っている時にシャイがつぶやいた。クラハは、台所にある棚を開けてリリックに中身を見せた。ハーブがたくさん入っていた。シナモンだけ異様に減っている。
「こっそり使ってるの」
 クラハが小声で言ったが、後ろからシャイが、
「こっそりも何も、見たら一発でばれるわよ!一つだけすぐなくなるんだから!」
 と叫んだ。ハーブは全て、エブニーザ本人が持ってきたものだそうだ。アイラは皿洗いのあとは、台所の隅っこの椅子に座って編み物をしていた。クラハとシャイが盛んに言い合っている間も、アイラは一言もしゃべらない。自分の世界で生きているように、リリックには見えた。
 一日が終わって、部屋に戻るなり、リリックはベッドに倒れたが、傷が痛んでなかなか寝付けなかった。
 不器用に寝がえりを打っていると、ドアをノックする音がした。
 誰?
 ドアが開く。そこには、エブニーザがいた。
 無言で優しく笑いかけてきたので、リリックはドキッとしたが、彼の表情はすぐ険しくなり、ベッドに近づいてきたかと思うといきなりブランケットをめくりあげた。傷に当たって痛むからと服を着ないで寝ていたため、下着姿だ。
 何だ?襲う気か?
 やっぱり噂どおりの悪人か?
 いや、男なんてみんな一緒か……。
 と思ったリリックだが、エブニーザは厳しい表情で、
「この傷はなんですか?」
 と聞いてきた。リリックは全身あざだらけの自分の体を見おろした。
 なんですかって言われても……。
「前の雇い主とケンカした」
 と言い訳のように言った。すると、エブニーザは、
「ずいぶんひどい所にいたんですね……でも、もうそんな心配ないですよ」
 ブランケットをリリックにかけ直して、
「おやすみ」
 優しく笑って、去っていった。
 今のは何だろう……。
 思いながらも、ブランケットの感触が急にあたたかく感じられた。
 同じものなのにどうしてだろう……。
 どこか安らいだ気持ちで、リリックは眠りについた。客を相手にせずに眠れる夜なんて、今までほとんどなかったな、と思いながら。

 次の日。朝の六時。
 リリックはまだぐっすりと眠りこんでいたのだが、突然ドアが開き、クラハが大声で、
「起きて~起きて~!!」
 と叫びながら部屋に駆け込んできて、ベッドに飛びこんだ。
 クラハは、ぴょんぴょんと、トランポリンに乗っているように飛び跳ねた。
「起きて~!起きて!!起きてぇぇ~!!」
 リリックは目を覚ましたが、驚きのあまり何が起きているのかわからず、しばらく呆然と、周りで飛び跳ねている誰かをぼんやりと見ていた。
 寝ぼけた頭で台所に向かう。シャイに『運べ』と言われた朝食は、クラッカーだったり、小さなパン一つだったり、梨やリンゴだったりとあまりに少ないのに驚いた。
 エブニーザに向かって、使い慣れない丁寧な言葉で話すと、
「そういう話し方はやめてください!普通に話してください。クラハだってそうしてますよ」
 と言われて困った。
 普通の話し方ってどうだったっけ……?
 ほとんどまともにしゃべらない生活をしてきたリリックは、ひどく困惑してしまった。
 リリックは管轄区の娼婦だったが、エブニーザについてはろくな噂を聞いていないので『女神に逆らう悪人』というイメージしかなかった。
 だから、殺せと言われても何とも思わなかった。
 しかし、実際のエブニーザは、そういう人間ではなさそうだ……。



 夜。
 リリックが寝ようと着替えていると、クラハがまたリリックの部屋を覗いていた。ドアの影から、エメラルド色の目がこっちを見ていた。
「何の用?」
 リリックが声をかけると、クラハが部屋に入って来た。
「どうしたらそんなにセクシーになるの?」
 クラハは、リリックの腰のあたりをじーっと見つめている。
「そんなにいいものじゃない」
 リリックは下を向いて答えた。
 体の話はしたくなかった。リリックを抱いた男たちのだれもが『完璧だ』とその肉体をほめたたえたが、その言葉を聞くたびに、リリックは自分が汚れて行くような気がした。厳格な女神はきっと自分を許さないだろうと、そのたびに震えあがった……。
「エブニーザ様って、あんなにお金持ちなのに女がいないのよ、おかしいと思わない?」クラハが興奮気味にしゃべりだした「普通のお金持ちじゃないのよ。すごくお金持ちなのよ?私、学校で統計学を習ってるの。世界中のお金持ちの財産を、愛人の数で割るの」
「は?」
「エブニーザ様のも計算してみたんだけど、私の計算だと、これくらい愛人がいてもおかしくないと思うの」
 クラハがエプロンのポケットからメモ帳を取り出し、数字を書いてリリックに見せたが、その数字のてきとうな膨大さにリリックは呆れてしまった。
「クラハ」リリックは真面目な顔で注意した「そんなにたくさんの女と寝られる男は、この世にいない」
「そう?南国の王様にはこれくらいいるわよ」
 クラハは平然とそう言った。
 南国ってどこだろう……。
 考え込んでいるリリックに向かって、クラハはさらに、
「リリックならエブニーザ様にピッタリだと思うの。アイラはおばあさんだし、シャイは意地悪。私はとってもかわいいけど若すぎるもの」
 平然と言ってのけた。リリックは茫然としてしまった。
 街にいた娼婦を一人一人思い出して、どのタイプに当てはまるか考えてみるが、同じようなタイプの女は出てこなかった。
 きっとクラハは、ああいう落ちぶれた街にはいないタイプの女なのだろう。甘やかされていて、おちゃめで、おしゃべりで、自分が一番ステキだと思っている……そんな子だ。
 クラハは、リリックが持ってきたヒールの高い靴を見て『欲しい』と言った。今ははけないけど、あと三年もたてば『大人の女』というやつになるから、ヒールで歩く練習をするのだそうだ。
「あげる、もう使わない。私はこっちのほうが歩きやすい」
 こちらに来てから用意されたローファーを指さしてそう言うと、リリックは靴をクラハに渡した。クラハは大喜びでその靴に履き替え、危なっかしい足取りで出て行った。
 リリックは、自分が着ている保守的な服を改めて鏡で見た。まともな服を着たのは本当に久しぶりだ。靴だって、地味なローファーだけど、ガレットって書いてある……有名ブランドだ。それにこの長いスカート!足首が隠れるほど長い。こんなものは今までにはいた記憶がない。そして……白いブラウス。
 白いブラウス……。
 忘れていた光景が、リリックの頭によみがえった。
 アコーディオンの音楽、
 歌声、
 優しい顔……。
 リリックは、突然床に座り込み、自分が着ているブラウスを両手で抱きしめて、泣き始めた。
 昔のことだ、
 もう十五年?二十年?
 もう思い出してもしょうがない。
 自分に言い聞かせていると、
「どうしたんですか?」
 ドアがいつの間にか開いていて、エブニーザが立っていた。
 リリックは何も言えず、気まずい顔でエブニーザを見上げた。
「傷が痛むんですか?それとも、嫌なことでも思い出したんですか?」
 ……なぜそんなことを聞く?何しに来た?
「なんでもありま……なんでもない」
 リリックが消え入りそうな声でつぶやく。
「ここは変わった人間ばかりでしょう、でもみんないい人たちだ、そのうち慣れますよ」
 優しい言葉をかけられたリリックは、居心地が悪くなり、
「何の用でここに?」
と聞くと、エブニーザは黙って笑っている。
「私と寝たい?」
「違います!あなたはもう娼婦じゃないでしょう」
 エブニーザはそう言って笑うと、
「おやすみ」
 ドアを閉めた。去っていく足音が聞こえた。
 ……こっちはあんたを殺しに来たってのに!
 とリリックは心で叫んだ。
 しかし、やはり、想像していた『悪人』エブニーザとはあまりにも違う……。
『あなたはもう娼婦じゃない』という言葉が、リリックの頭の中に残って響き続けた。
 本当にそうだったらいいのに。
 リリックは立ち上がり、荷物を探った。
 化粧品と一緒に、男たちに渡されたナイフが光っている。
 何かの呪いのようだ。




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