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「生きてるだけで偉い」をめぐる議論

 少し前に、「『生きてるだけで偉い』のミーム化」という題のnoteを書いたところ、有難いことにこれが比較的反響の大きい記事となって、Twitterのリプライや引用リツイートでも様々なご意見をいただきましたので、自分の立場を明確にした上で、改めてこのnoteで考えを整理してみたいと思います。


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 ・・・・・・と、このあと実際に議論をまとめて、意見を整理して、いくつか本も読んで、そこから引用して、という風に7000字ほど書き進めたところで、途端にくだらなくなって全部消してしまった。

 「この意見は面白いですね」「これはすごく妥当性のある指摘ですね」「いや、これはこういう意味で、これはこうで、でもあなたの主張にも一理あって……」。批判を恐れて、自分の中立性を示しただけの文章のなんてつまらないことだろう。

 わざわざこんな挑発的なnoteを書いたのは何のためだったか。多くの人に、「生きてるだけで偉い」という命題について改めて考えてもらうためである。だとすれば、この記事がこれだけ多くの人に届いた時点で目的はすでに達成されている。ここに理屈を重ねたところで、一体何が得られるだろうか。


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 上のnoteの要旨は、「存在するだけで満ち足りている」ということを言うのに、「偉さ」を持ち出されてはたまったもんじゃない、そしてそれを旗印に人々を煽動する、人を人とも思っていないような者たちの軽薄さが許し難いというところにあります。「偉い」で満たされるインスタントな効用は、決して長くは続きません。

 だから、「生きてるだけで偉い」なんて言われた時にはちゃんとムカついてほしい。逆に、「偉くなくていいよ」なんて言われてもムカついてほしい。何様なんだよ、と。お前に何がわかるんだよ、と。てかSuzukiって誰だよ、と。 

 「逃げていいよ」「辞めていいよ」「頑張らなくていいよ」。そんな甘い言葉の裏で、何が隠蔽されているのかを考えてほしい。それは、あなたのことを真に想ってくれる人間の言葉なのか。あなたの人生の責任を取る必要がないから、適当なことを言っているだけではないのかと勘繰ってほしい。 

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 それにしたって、「生きる」という特別な事象を、偉いとか凄いとか、そういった価値評価の俎上で論じるのはどうしてもおかしいと思う。生きることは、ただ生きることである。「いや、ここで言う『偉い』というのは絶対評価で、価値の肯定ではなく、存在そのものの肯定なんですよ」という意見もよく分かるが、それでも、そこで「偉い」という言葉は使わない方がいいとハッキリ思う。

 人間は言葉に規定される生き物だから、頭では分かっていても、「偉さ」で足元を固めていると、いつか必ずその地盤が揺らぐ時がくる。これは強者の理論なんかじゃなくて、別のnoteでも書いた通り、自分自身がある種の“繊細さ”を抱えた人間だからこそよく分かる。

 本当に、生きる気力が底の底まで落ちている時、その「偉さ」に照らし合わせて、「やっぱり自分って何にも偉くないじゃん」とさらに自己嫌悪に陥ってしまうのが何より恐ろしい。「生きてるだけで偉い」というお守りが、そのまま呪いに転じる瞬間が怖い。同じような経験があるからこそ、それをもっとも危惧する。

 考えて、考えて、考え抜いて、言葉を吟味して、再検討して、精査した上で、「私」という存在を肯定するのは「生きてるだけで偉い」という言葉でしかありえないというなら、それは全く構わないけれど、そうでないなら、もう一度、自分の中に深く潜って考えてみてほしい。他の誰でもない「私/あなた」という存在を肯定するとき、その「偉さ」に立脚する必要があるのかどうかということを。

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 とにかく、何が書きたかったのかというと、あなただけの切実な悲しみや、あなただけの固有の苦しみを、分かった風でいる他者に 簡単に明け渡さないでほしいということです。

 いくら口が上手くても、「生きてるだけで偉いよ」と紋切り型の励ましをするインフルエンサーはあなたを代弁できないし、あなたを救ってはくれません。それっぽいことをそれっぽいように記述するのが限界です。あなたを救ってくれるのは、あなたのことを本気で考えてくれる家族であり、友人であり、恋人であり、そして、あなた自身に他なりません。

 だからこそ、見栄えのいいようにコーティングされたニセモノの善意が、あなたの優しい心につけ込もうとするのを拒んでほしい。“意味”や“価値”から少し距離をとって、むき出しの世界をそのまま見つめてみてほしい。自分の気持ちを、自分の言葉で表現することを諦めないでほしい。それを一言でまとめて先のnoteから引用すると、

 そのために、我々は人と話す必要があり、街に出る必要があり、本を開く必要があり、例えば生きる必要があるのだ。 


 ということです。あなたが、かけがえのない“あなた”として今生きている(存在している)というただそれだけの事実が、私にはこの上なく尊いことのように思えます。

最後までありがとうございます。