アートとビジネスの違いから見るアート教育
教養としてのアートが大切と言われて数年。多くの人が美術館に足を運んでいます。
アートを教養として学ぶことも大切ですが、
そのアート作品がなぜ作られたのか、作者の意図は何かを考えることも大切だと感じます。
アートや感性を使った研修プログラムを考えていく上での気づきを今回は書いていきます。
経済学士から芸術学修士を取ろうとしている今、ビジネスマンとアーティストがプロジェクトをする上で大切にしていることの違いを日々感じています。
アート教育を学び続けて1年経ってやっと違いや勘所が掴めてきたように思います。
当たり前かもしれませんが、ビジネスマンが成果や数値を大切にするのに対し、アーティストは自分の中にある思いや社会に対する疑問を大切にします。作品を作る工程すらも作品になります。それは最終作品にたどり着くまでのアプローチを大切にしているかだと思います。
授業でこれまでにやったことを発表する機会に、最初はどの有名な企業とやって売上をこれだけ上げたということを中心に話していましたが、クラスメイトの反応がよくありません。それよりもどうしてそれに取り組んだのか、それが環境、人間にとってどういいのかを話した方が面白がってくれます。オープンクエスチョンを喜ぶ人がいいなという印象。
この感覚を持っているクラスメイトと一年間過ごすと不思議とそのような感覚になっていき、世の中の物事を見る目が変わってきました。どの人が、企業が、アーティストどれだけ新しいことをして、儲けていて、、、ということよりも、人・地球にとって意義のあることをやっているのはどの企業、アーティストだろうと。新しいことを学ぶということはこうやって物事に対する本質が何かと考える視点が変わることなのだと実感しました。だからこそいろんな価値観を受け入れることができるようになる。その違いは修士論文の方法にも現れています。アーティストの修論の方法としてArtistic Researchはあり、それは発見を重視するのに対して、ビジネスによっているデザインでよく使われるProduction-based researchでは何か新しい知識を生み出すことが重視されています。
“普通の生活においてモラルのある行動責任が求められるが、アートにおいてはモラルに対する責任から解放される”
"actual life requires moral responsibility, yet in art we have no such moral responsibility”
Fry, R. (1996). An essay in aesthetics. In C. Harrison & P.Wood, P.(Eds), Art in theory 1900-1990: An anthology of changingideas (pp. 78-83). Oxford, UK: Blackwell.
こちらに来て、自己肯定感が高まったのは、アートはモラルからフリーになり、人と比べなくなったり、常識から解放されるから、自己肯定が高まったのだなと思います。
こういった学びをビジネスマンを対象にしたプログラムに落としこむにはどうしたらいいか。
私のいる学部長のケビンは、
“アート教育者の難しいところは、生徒や先生の見方や解釈、世界に対する対応を分類や美学の定義に束縛されることなく入れることを助けることだ。”
“I believe the challenge to art education is to help students and teachers view, interpret, and respond to the world through a language ideally unfettered by the discourse of aesthetics, with all of its loaded categories, ideological baggage, and troubling taxonomies.” (p.44)
Kevin Tavin (2007) Eyes Wide Shut: The Use and Uselessness of the Discourse of Aesthetics in Art Education, Art Education, 60:2, 40-45, DOI: 10.1080/00043125.2007.11651635
今回Laereさんと行ったオンラインワークショップでも、いきなり参加者のモラルを外そうとするのではなく、どうアートや感性が身近な生活の影響しているのか体感してもらうことで、腑に落ちやすくなると思いました。その気づきから少しずつ日常の気づきが変わっていく。そこから徐々に世の中の見方や解釈を広がっていくなと。
学びということにおいては簡単な方法はないなと常々思います。時間をかけて自分の感覚の変化と向き合いながら徐々に変わっていくものだと思いました。
BJÖRN WECKSTRÖM
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