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自由な解放感たっぷりの夏

豊かな世の中になった。しかし、どこもかしこも自由で解放感たっぷりかというと、現代は どこか違う感じがする。豊かさの位置が違う。

懐かしい夏休み。夏休みの校内は、自由に出入り出来て、上靴ないから 裸足でペタペタ歩いていた。夜の音楽室からは、ピアノの音がする、ベートーベンの胸像の首が一回転するとか噂だらけ。 学校校門の前には、子供心を擽る怪しい物売りのおじちゃんが敷物敷いて わけのわからない商品の商品説明を「子供」にごもっともな感じでする。子供は聞き入る。可愛いヒヨコが売っていて、そこで初めて 鶏とヒヨコが親子だとしる。横の算数や国語のドリル売りには近寄らない。ラジオ体操参加カードを首に下げていく。体操でなく、友達に会うのでなく・・・夏休み最終日にもらう「参加賞」が欲しくて。

洒落た「高速道路」なんかなく、祖父母に会いに行くのに どこもかしこも「都会」なのに砂利道で、道の端には木柱の電柱。信号なんて少なかった。信号なんて あるようで役に立ってなかった。隣の市なのに、2、3時間も車を走らせて。車中のラジオからは、なぜか毎回ポール モーリアの「マミーブルー」がかかっていて、行くときは祖父母や従妹に会える楽しみを倍増させる曲だが、帰りに聴くと涙が出るほど辛くなること倍増な曲だった。

国鉄電車の乗降口には、人が2,3人はみ出て走ってたけど、落ちた人なんかいなかった。

盆踊りでは、アイスクリームもジュースもお菓子も無料だった。サイダー味のアイスが楽しみだった。これは、一袋にバーが二本入ってるから取り合いだった。知らない土地の知らない子供同士が仲良く踊ったり、約束したり。

金魚売り、ロバのパン屋さん、魚を売る行商のおばちゃん。クジラの肉は、庶民のもので給食にも出ていた。キリンレモンのシュワシュワジュースは、目の中に星が出るほど新鮮だった。カルピスは、贅沢品だった。親のいない時に「濃く」して飲むと怒られた。お中元で届くと「あのおじちゃんは、わかってくれてる!!」とおじちゃんは神様的存在になり楽しみだった。お母さんたちは、鍋を持って、隣の家に豆腐・すいかにおきゅうとやら調味料やら分けたり・借りたい。

ちょいと出掛けるときに、子供をご近所に預けたり。お母さんたちは、百貨店へお買い物や授業参観以外は、化粧してなかった。普段着とオシャレ着が分けて存在した。レース付きの靴下に、赤い革靴を履かせてもらうと「デパート」=「お子様ランチ」=「屋上遊園地」だと一発で。

やはり、何が解放感たっぷりかというと・・・

どこもかしこも、鍵なんかあるようでなくて、玄関扉も裏口も窓も開けっ放しの豪快な夏を過ごしていたということ。現在のような犯罪はあり得ないほど。子供たちは自由に入ってこれていたこと。汚れた服で家に上がり込んで遊んでも、大人が文句1つ言わない、大らかな世界だった。素敵な夏の帽子をかぶった紳士が扇子で仰ぎながら、青い空を背景に玄関先にいる風景は・・・今はない。

昔は、普通の当たり前の風景がどこを切り取っても絵になる「解放感たっぷりの夏」だったよね。

皆さんの懐かしい夏には、どんなものがあるのでしょうかね。

※ この投稿・・・すこしづつ更新します。