見出し画像

絶望の単価は低い

僕が公募勢に復帰したのは2021年7月。

きっかけはシンプルで、「小さい頃から見てたエヴァ終わっちゃったよ。じゃあ自分で書くしかないか」という感じ。
足りないモノは自分で供給するしかない。
そんなテンションだった。

8年半筆を折ってた割にすんなり復帰しやがったなこの野郎、と心の中で自分に悪態をついたのは良い思い出。
少しワクワクしていた、としておくのも割と悪くない思い出補正。

7月中旬から書き始めて、初稿ができあがったのが10月上旬。
年甲斐もなく「これは受賞確実や」と自信と不遜たっぷりに集英社ライトノベルに出してあえなく一次落ち。

絶望感と焦燥感と、そしてどこか納得感を孕んだ心が肺の動きに合わせてぼんやりと収縮してた。
たぶん、二度目、筆を折るタイミングとしてはここしかなかったかなと思う。
「まあこんなもんか」とあきらめていれば人生としては楽だった。

しかし、何を思ったのか「もっと自分を解放して書いてみるか」となってしまった。

Twitterではあまり言わないけれど、書くということは筆を折るか死ぬまで絶望と向き合うことだと思う。

……選考通過しない
……時間ばっかり食う
……睡眠時間も削ってしまう
……皆すごい
……自分、駄目じゃん   etc

そんな感じのことばかりが目から耳から指先から心に染み込んできて、気が付けば心から漏れ出し体と脳を汚染していく。

公募勢でいる限り、絶望の単価は低くて簡単に手に入る。
無意識のうちに買ってしまうくらいには安い。
むしろ勝手に飛んでくる。

なのに、効果は抜群。
絶望はどんなに安くても粗悪品がない。
残念無念。
さらに厄介なのは、絶望を取り込むほど、希望が欲しくなる。
これでは筆を折れるわけもない。

正直、復帰作が一次落ちした時点でさくっと筆を折っておけばといつも考える。
毎日どころか数時間単位で考える。
でも過去は変えられない。

だから僕は今日も書く。
あの時筆を折らなかった自分を呪いながら。
毎日供給される絶望を飲み込みながら。
いつ手に入るのかもわからない希望を夢見ながら。

今日も書く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?